大阪都構想が住民投票で否決された。私はずっと関東に住んでいて、ほとんど大阪には関係がないので、ずっと実感がわかなかったのだが、さすがに実際に住民投票が行われ、結果が出たことで、自分なりの意見をもつ必要を感じた。しかし、この住民投票は、いかにも不可思議な現象だ。まず公明党は国政では自民党と組んだ与党なのに、大阪では自民党と対立し、維新の会と組んだ。しかし、大阪では維新の会が与党だということだ。つまり、公明党とは、権力のほうばかり向いた政党になってしまったということなのか。しかし、山口代表が乗り込んで、盛んに賛成演説をしていったのに、あの無類の組織政党であるはずの公明党支持者の半分は、反対したという。また、最も強力な反対政党が、自民党と共産党だというのも、極めて珍しい現象だ。
この間、当然テレビでも盛んに解説していたが、いまいちわからないことが多い。大阪に住んでいれば、生の資料を入手できるから、具体的な争点かわかるのだろうが、メディアでの報道で知る限りは、行政の二重性をなくせるので、いいのだというが、それがどのような二重性で、どのように解消されるのか、丁寧に解説してくれるメディアがあまりないので、表面的なことしかわからないのだ。
それで、ネットでわかるような資料をいくつか読んでみたが、まず驚いたのは、最初の構想から、かなりの紆余曲折があって、当初橋本知事が提起したことと、昨日住民投票にかけられた案とは、同じ大阪都構想と呼べるものではない、それほど違っていることが改めてわかった。当初は堺市などが対象に入っていて、堺市と揉めているなどというニュースがあったわけだが、当初はかなり広範な市をまたいだ都構想だったが、結局、大阪市だけが対象となった。いくつもの市が否定して構想から脱落し、大阪市だけで、大阪が都になるというのも妙な話だ。
私は、成人年齢くらいまでは、東京の世田谷区に住んでいたので、「特別区」にいたわけだが、実は、その特別区自体が、制度的に重要な変遷があった。私が住んでいたときには、区長の選挙はなかったが、出たあと区長選挙が行われるようになった。住んでいたときには、あまり自覚がなく、自覚が出てくるような年齢になったときには、住んでいなかったので、区と市はどう違うのかということにも、あまり知識がなかった。調べてみると、要するに特別区というのは、通常の市よりもずっと権限が小さいのだ。権限が小さいことが、ただちによくないとはいえないが、可能なことが少ないわけだから、自治という点では弱いことになる。そもそも、東京市が特別区に再編されたのは、東京府が東京都になって、市の権限を吸い上げ、より強い権限を都としてもつためだったわけだから、当然のことだろう。そうすると、大阪都構想も、大阪市の権限を大阪府に吸い上げる目的だったのだと考えられる。大阪市民としては、反対しても自然なわけだ。地方自治という観点から考えれば、むしろ、東京都の特別区を市にするほうが、その趣旨にあうのではないかとも思えてきた。特別区は、市への移管という要求はなかったのだろうか。そう思って調べてみると、やはり、あった。「東京23区、「区」の廃止表明で「市」への脱却目指す・・・東京都、財源と権限を収奪し弊害」というBusiness Journal2019.4.21(小川裕夫)だ。通常の市に認められている財源や権限を、特別区は縮小されており、それは都が収奪しているので、いくつもの区が市への脱却をめざしているという記事だ。やはり、そうした動きがあったのだと理解した。
大阪都構想は、また、多くの市が拡大して、政令指定都市をめざす動きとも逆行していたことも、私には不思議だった。もっとも、市町村合併が本当にいいことなのかは、かなり疑問なので、市の拡大や、政令指定都市化には、あまり共感できないのだが、だからといって、本来の市がもっている権限を縮小して、特別区にするのは、地方自治の理念に反しているように思われた。
また、松井大阪府知事と吉村大阪市長が、役割を交換して、ダブル選挙をするという、いかに策略的な方策をとったことも、不信を醸成したと私には思われる。
私としても、これから勉強しなければならないように感じているが、道州制にして、都道府県は廃止、市はあまり大きくならず、適正規模以下におさめるような構成がいいのではないかと漠然と思っている。