オンライン診療とかかりつけ医

 田村厚労相が、新型コロナウィルス流行期で特例的に認められている初診からのオンライン診療について、「かかりつけ医」を対象に恒久化する方針を示したと報道されている。これは、10月8日に、菅首相の意を受けて、オンライン診療を安全性と信頼性をベースに初診も含め原則解禁するという方針を、田村厚労相、河野規制改革担当相、平井デジタル改革担当相が合意していたことを、実現する方向で着手したということだろう。
 しかし、この記事を読んで、正確に理解できる人は、あまりいないのではないか。私自身も、よくわからないところが多い。それは、「かかりつけ医」に関することだ。そもそも「かかりつけ医」とは何か。コロナ禍で、一般的な病気でも、医者にいくのが不安だということで、オンライン診療が求められたとき、厚労相はそれを推進しようとしたが、医師会が「かかりつけ医」に限定すべきであると主張したことが背景にあると思われる。
 ところが、肝心の「かかりつけ医」と意味があいまいなのである。日本医師会の示しているふたつの定義をみてみよう。
 「かかりつけ医」とは何かについて医師会はふたつの定義を示している。   

1 日本医師会では「健康に関することを何でも相談でき、必要な時は専門の医療機関を紹介してくれる身近にいて頼りになる医師のこと」かかりつけ医と呼んでいます。
2 なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師。
 これは別にひとつの場所で違う説明をしているというわけではなく、2は医師会のホームページだが、1は、上記報道の記事が引用している説明である。従って、引用者が、医師会の説明を簡略化したようにも読める。微妙に違っている。だから、ここでは、2を正式な医師会による「かかりつけ医」の定義としておこう。それでも、わからない点がある。
 まず、「最新の医療情報を熟知」しているということは、どこで担保されているのだろう。素直に読めば、熟知している医者とそうでない医者がいることになり、熟知していることが「かかりつけ医」の条件のひとつであることになる。
 次に「紹介でき」とある。1だと「紹介してくれる」だから、多少ニュアンスが違う。「紹介してくれる」なら、親切心を感じるし、「紹介できる」なら、その資格なり能力があるという意味にある。2を正式と考えると、「資格・能力」があるという意味だろう。つまり、専門医のほうで、紹介されたとしても、その紹介者が有資格者であるかどうかで、紹介状の扱いが異なるという意味にとれる。
 最後に「総合的な能力を有する」とあり、ここは、1のほうにはまったく欠けている。これも、すべての医者が「総合的な能力」を有しているはずがないから、一部の者ということになるだろう。
 ここまで確認すると、私が「あいまいだ」という意味がわかるはずだ。つまり、私が「かかりつけ医」を決めたい(そもそも、決めるという行為が必要なのかどうかも不明だが)と思ったとき、まわりに開業している医院のなかで、「かかりつけ医」となりうる医者と、その資格がない、あるいは能力がない医者が存在していると考えてよいのか。たぶん、医師会の説明だとそうなる。では、資格のある医者とそうでない医者は、どこかで区別されているのか、そしてそれが明示されているのか。
 では、地域の実情を調べてみようと、ある地域の医師会のホームページをみてみる。「かかりつけ医」とは、という説明がある。
 
 「かかりつけ医」とは
あなたの健康を気軽に相談できるパートナーです。
 過去の病歴や持病など、あなたの全体像をしっかりと把握している。
 「かかりつけ」は、あなたの健康を生涯にわたって気にかけてくれるパートナーです。
あなたの病状と専門医を結びつけるアドバイザーです。
 どこかに変調が起きたら「かかりつけ医」相談しましょう。
 これまで身につけた幅広い知識と技術をもとに診察してくれます。
 必要があれば適切な専門医にあなたを結びつけてくれるアドバイザーです。
あなたの家族の健康状態を把握したコンダクターです。
 あなたとあなたの家族の健康の在り方を考え、いろいろな病状に対応してくれるかかりつけ医は、家族というオーケストラが健康というハーモニーをかなでるためのコンダクターです。
 
となっている。私の疑問はまったく解決されていない。これでは、要するに、医師会の説明にある、「最新の医療情報を熟知している」「専門医を紹介できる」「総合的な能力を有する」という3つの条件が、あるかないかわからない。とにかく、普段診察を受ける医者は、決めておきましょう程度にしか、受け取れないのである。それに私が住んでいる地域に、「私の過去の病歴や持病など、私の全体像をしっかりと把握してくれている」医者など存在しない。私は、滅多に医者にいかないし、また、行くときにも、その都度違う医者にいく。すると、私は「かかりつけ医」というのをもちようがないことになるのだろうか。
 
 では、「かかりつけ医」なる存在が、なぜ言葉として登場したのかという背景を確認しておこう。
 日本はヨーロッパなどと違って、個人の開業医でも、大きな病院でも、大学病院でも、原則的に、いきなり、どんな病気であっても診察を受けることが可能だった。すると、多くの人が大病院や大学病院にいくので、そこには過剰な患者がくることになり、「3時間待って3分診療」などといわれる事態がおき、大病院や大学病院がもっている専門的な診察と治療が阻害される事態にもなった。
 西欧ではほとんどの国がホームドクター制度をとっており、医師は、ホームドクターと専門医が明確に区別されている。日本では、基本的な資格は「医師」というひとつの専門職であり、個々人が自分で得意分野を決めているというに過ぎない。(もちろん、細かくは、一定の制限等が導入されているが)西欧では、まずすべての患者が(救急は除く)ホームドクターの診察を受け、簡単な治療なら、ホームドクターが施し、薬の処方箋をだす。専門医の診察が必要だと、ホームドクターが判断すれば、適切な専門医に紹介状を書き、紹介状があってはじめて、専門医の診察が受けられるという仕組みである。そして、ホームドクターは、選択と指定という国によって違いはあるが、いずれにせよ、「登録」されている。ホームドクターは、全般的な医療知識と、簡単な病気の治療法などを教育されるが、専門的なことは学ばない。しかし、医師会があげている条件は、優劣はあるだろうが、だいたいは備えているわけだ。そして、誰がホームドクターであるかは、明確になっているのである。
 ところが、日本には、ホームドクターは存在しない。開業医にしても、内科、外科、整形外科、眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科、歯科等々の看板を掲げている。ホームドクターであれば、指定制なら一人、選択性なら若干名であり、どんな病気(歯科は除く)でも、その決められたホームドクターにかかるわけだ。だから、本当にその人の健康状態を把握しているといえる。しかし、「なんでも相談できる」といっても、内科医にいって、目の調子が悪いと相談する人はいないと思うが、眼科でなくても、「かかりつけ医」というのは、目の相談も受けるのか。
 都道府県によっては、「認定かかりつけ医」という制度を、医師会が設定しており、一定の講習を受けた医師を「認定かかりつけ医」として認定し、公表している。しかし、認定された医師がわかっても、市民のほうがどうすればいいのかは、たとえば、鹿児島県の認定かかりつけ医制度の説明でも、判然としない。ちなみに、私の住んでいる千葉県の医師会ホームページをみても、こうした「認定」制度は書かれていない。
 結局、 日本の「かかりつけ医」制度は極めてあいまいであって、認定された医師が公表されている県もあるが、そういう制度がない県もある。どのように、市民が活用するかも、はっきりしない。
 MSD株式会社が2019年12月に行った「47都道府県 一般生活者11,280名の健康に対する意識・実態調査」の結果では、「かかりつけ医がいますか?」という質問に対し、「いいえ」と答えた人は65.2%となり、約7割にかかりつけ医がいないことがわかったそうだ。
 つまり、ほぼ機能していないのである。やはり、医療制度は、国家の制度だから、国で明確な制度設計をしなければ、掛け声になってしまう。そして、その制度設計なかには、医師の養成制度まで含むものでなければならない。
 こうした点が明確にならないと、「かかりつけ医」のみがオンラインの初診が可能といわれても、一般市民としては困ってしまうのである。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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