Law & Order テロリストに対する拷問は適法か

 しばらく休んでいたが、アメリカのドラマ Law & Order 考察を復活させたい。Law & Order は本編だけでも20年続いたロングシリーズだが、多数のスピンオフがある。本編の第20シリーズは最終であることが決まっていたためか、相当意欲的に取り組んだようで、非常に傑作が多い。第一回は、いきなりイラク戦争における捕虜拷問がテーマになっている。
 導入は、ある女子大生が授業料を払えないから退学するといって、タクシーに乗るのを男性が追いかけて、自分が払うから辞めるな、もうすぐ大金が入ると告げるが、女性は去ってしまう。実は女性はその男性の妹で、兄のタナーは、イラク戦争に従軍していたが、拷問を行ったことで神経を病み、退役・帰国して、ドラッグの売人をしていたのだった。そして、そのタナーが大学の駐車場で死体となって発見される。警察が捜査に乗り出すと、タナーが退役軍人への手当てを支給するようにと、申請の援助を働きかけて、もめていた法学部の教授フランクリンの存在を突き止める。フランクリンの当初の言動が事実と合わないので、逮捕しようと方針をだしたところ、フランクリン自身が、正当防衛で殺害したことを認めて自首してくる。駐車場で付きまとわれて、危険を感じたので撃ったと主張する。起訴するかどうかを決める大陪審が開催されるが、不起訴が決定してしまう。

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優生思想を考える

 
 『教育』が「優生思想をこえる」という特集を組んだために、優生思想について改めて考えることになった。各論文については、個別に考察するが、優生思想を基本的にどう考えるかということを整理してみたいと考えた。
 『教育』12月号(2020年)の5ページに優生思想の定義が書かれている。
 「人間の存在と人格の全体性に対して、役に立つ、生産性の有無というごく限られた部分のみをもって価値を計ろうとするものであり、歴史的に侵されてきた負の遺産を引きずり、かつ現代社会が再生産しつつある思想である」
となっている。
 ところで、「優生思想」という言葉は、国語辞典や百科事典にはほとんど見出しにない。あるのは「優生学」である。だから、優生思想とは、優生学の立場を正しいと認め、それを社会的政策として進めようとする思想ということになるだろうか。『教育』の定義とは、異なることになる。『教育』の定義は、近年の保守的政治家や、やまゆり園事件を起こした植松聖の表明した考えかたをまとめたものというほうが適切だろう。

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ハーバード大学のアファマーティブ・アクションは合法とい判決

 アジア系の住民が起こしていたハーバード大学に対する、アファーマティブ・アクションをやめよという提訴に対して、連邦高裁が訴えを退け、ハーバード大学の措置は、公民権法等に違しないという判決を下した。これは、大分前から、アメリカ社会の大きな争点のひとつだったし、いまでも論争が続いている。アファーマティブ・アクションとは、公的機関が行う採用人事において、住民の民族構成の割合に沿うというものだ。私的企業などには義務付けられていないが、私立大学であるハーバード大学は、通常のアファーマティブ・アクションのように、割合を決めるというのではないが、民族構成を考慮する措置をとっているとされている。以前、NHKでハーバード大学の入試のやり方を、ドキュメントで放映していたが、日本の大学のように、点数順に並べて上から機械的に合格させるというのではなく、様々な要素を考慮して、個別に合格者を決めていくので、日本の採用試験でいえば、教員の「選考」に近いものだといえる。

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北海道の指導死事件の判決について

 11月13日に、2013年3月に起きた「指導死」によるとされた自殺に関して、保護者が提訴した裁判の判決があった。かなり考察が難しい事例であるが、避けて通れないので、じっくりと可能な資料を読んでみた。たくさんの文書がネット上にあるが、かなり事実認定が錯綜しており、何が事実だったのかがよく理解できない。そこで、地裁の判決文で確認することにした。13日にだされたのは、高裁判決だが、まだ公開されていない。基本的に地裁判決を支持した内容とされているので、事実認定は地裁判決でよいだろう。
 事件の推移をみて、まず感じるのは、私自分が当事者である部活の指導者だったと仮定しても、どうしていいか分からないという思いになっただろうことだ。簡単に事実を整理すると、Xは、中学から吹奏楽をしており、高校でも吹奏楽の盛んな高校に入学して、吹奏楽部に入った。(ところで、面白いのは、吹奏楽部とはいわず、吹奏楽局と呼んでいるのだそうだ。そういう呼び方は初めて接した。ここでは一般的に部としておきたい。)
 Xは、入部したあと、意欲的に活動していたと思われるが、2学期くらいから、様々な困難にぶつかったようだ。ひとつは、病気である。小学校5年のころから心臓に持病をもっており、練習中に倒れて救急搬送されたり、顧問に車で送ってもらったりしたことがあったという。また、年末に腎臓の疾患で入院手術をした。それ以後、自分の健康にかなりの不安をもったようだ。

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トランプはアメリカ・ファーストではない トランプ・ファーストだ

 トランプの悪あがきがまだ続いている。盛んに不正が行われたという発信を続いているようだが、そのほとんどが根拠が全くないと言われている。ところが、日本でも、ヤフコメなどをみると、トランプ陣営が流すデマを信じきったような書き込みがたくさんみられる。フジテレビの「上席」解説委員である平井文夫氏などすら、意図的としかいいようがないジュリアーニ元ニューヨーク市長のデマをそのまま流したらしい。(朝日新聞2020.11.12)少し考えれば、まるでおかしなデマが多数みられる。
 例えば、ある州では、有権者登録が住民総数よりもずっと多く、しかも、そのなかには死亡者が多数含まれていた。だから、民主党が不正投票をした、というのがある。有権者登録名簿や住民総数をきちんと把握しての発信とは、到底思えないということはさておき、有権者登録のなかに死亡者がいることは、ありうるだろう。州によって違うようだが、有権者登録は多くが一端すれば、そのまま有効なのだそうだ。引っ越しや死亡で、抹消する手続をする必要があるだろうが、それをしないまま放置されることもあるだろう。孤独死すれば、だれも抹消手続をしないかも知れない。しかし、死亡者が名簿にあるからといって、死者が選挙にいくわけではない。死者が名簿にあることを知り、その死者を装って投票するには、当然本人確認をパスしなければならない。かなり困難なはずである。そして、それが稀に可能であったとしても、民主党支持者だけがやるとも思えない。常識的に考えれば、世論調査で常に不利であったトランプ陣営のほうが、あせりがあるはずである。もちろん、共和党支持者が不正をしたなどというつもりはないが、不正があったとしても、それは双方にありうるのであって、ただちに民主党の票が不正だなどということにはならないのである。更に、アメリカには、住民登録制度が存在しないのだから、「住民数」と比較してなどということ自体が成立しないはずである。

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『教育』2020.12号を読む 佐藤広美「優生思想をこえる教育思想」

 『教育』という教育科学研究会の機関誌の巻頭論文が担う役割とは何だろうか。私は、『教育』の読者としては永いが、教科研に入会したばかりであり、そのようなことを述べるのは僣越かも知れない。しかし、ここ数年の『教育』を読み続けているが、どうしても、不満が残るのである。今月号の特集1は、やまゆり園事件の判決が出たことをきっかけにして、「優生思想」を克服することを目的としている。優生思想を論じるのではなく、克服するのだから、優生思想をもっている人たちに、優生思想の間違いを自覚させ、正しい思想的在り方を提示することが目的となるはずである。『教育』を熱心に読んでいる人のなかで、優生思想を信望している人がいるとは思えない。だから、優生思想は間違っている、事件を起こした植松の考えはおかしいと、繰り返し述べる必要はない。もちろん、確認のため必要だろうが、『教育』の読者が、優生思想の人たちと議論をして、間違いに気づいてもらうための「理論」を提示することがなければ、結局、同じ価値観をもつ人たちの「相槌」に留まるのではないか。それでは、「克服」することにならない。『教育』の読者で、植松に共感している人は、おそらくほぼ皆無だろうが、世の中には共感する人は少なくない。SNSには、植松の考えがわかるという表明が多数あるようだ。植松はトランプを信奉していたようだが、トランプの支持者はアメリカの半数近く存在するのだ。植松は何故、あのような考えをもつに至ったのか、そして、考えをもったことから実行に至る過程で何があったのか、植松に共感する人は、何故なのか、そして、彼等を変えるためには、どんな論理が有効なのか。それを提示することが、特集全体の課題でなければならないはずである。そして、巻頭論文は、そのための理論的課題の整理が必要だろう。それはなされているだろうか。

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鬼平犯科帳 昔の人は記憶力がよかった?

 鬼平犯科帳を読んでいて、特に感心することに、「記憶力」がある。とにかく、登場する人物の記憶力かよい。もちろん、小説だから作り事ということで済ませることもできるが、しかし、記憶というのは、様々な形態があって、時代とともに伸びるものもあるし、衰えるものもある。現代人は、多くの人が感じているのではないかと思うが、記憶力は落ちていると思われる。よくいわれるのが、昔は知人の電話番号などをいくつも覚えていたが、今は自分の番号すら忘れがちだ。私も実はそうだが、よく聞く話だ。口承文学は、人が覚えて伝えられたものだし、平家物語は、琵琶法師が暗唱していたものを吟唱したという。
 もちろん今でも、舞台俳優は、かなり長い台詞を覚えているわけだし、落語家も一人で50分近い話を語り続ける。しかし、そうした人は、覚えることが仕事であり、日常的な鍛練によって記憶力を鍛えているに違いない。
 ところが、鬼平犯科帳に登場する人たちは、記憶のスペシャリストというわけではない。それが非常な記憶力を発揮する場面が、たくさん出てくるのである。

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『教育』2020.12号を読む 優生思想の克服のために1

 『教育』12月号の第一特集が「優生思想をこえる」である。やまゆり園事件の判決をきっかけに、植松被告の考えである優生思想を、ナチスの思想とだけみるのではなく、現代社会に深く浸透した思想や価値観に関わる課題として引き取ろうという視点で、特集が組まれたということだ。優生思想とは、人間の存在と人格の「全体性」に対して、「役に立つ」「生産性」の有無という「部分」のみをもって価値を計ろうとする思想と定義している。以後、個別の論考に対して考察をすることにして、今回は、特集全体に対する感想と疑問を書いておきたい。
 個々の執筆者には、多少の差異があるが、だいたいにおいて、どんなに重い障害をもっていても、「生きている価値」があり、それを否定した植松の行為を批判する構造になっている。ただし、思想的吟味ということになると、全体が、被害者の立場、つまり、障害をもった弱い立場から論じているので、そこからはみ出す論点については、あまり掘り下げられていないか無視される。そこが残念である。
 まず何よりも、どんな人でも生きる価値があるとするならば、死刑判決を受けた植松については、どうなのだろうか。もし、本当にどんな人でも生きる価値があるならば、彼への死刑判決は批判されていなければならない。何ら触れていないので、おそらく、死刑判決は是認されているのだろう。しかし、死刑を是認すれば、「生きるに値しない人間は存在する」ことを認めることになる。何度もブログでも書いているように、私は死刑否定論者ではないので、極論としては、生きるに値しない人間が存在することを認める立場である。

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読書ノート『言語学者が語る漢字文明論』田中克彦著

 日本の代表的な言語学者である田中克彦氏の「漢字重視」に対する批判の書である。
 一言で著者のいいたいことを整理すれば、「言語は音であるから、音から独立し、かつ修得に極めて困難な漢字使用は、やめるべきである」ということになるだろう。教育学の立場からいえば、漢字学習は、日本の学校教育の重要な柱となっており、かつ近年ますます重視されている。学習指導要領では、義務教育の間に学ぶべき漢字が決められているが、その数は増えている。この問題をどう考えるかに直接関わってくる。
 まず、田中氏の注目すべき指摘について考えたい。
 第一は、「訓読」についてである。日本人は、中国から漢字を取り入れて、中国語としての漢文を日本語にして読むという技法を編み出し、そのことによって、日本語を豊かにした、といわれているが、中国語を自分の言語に直して読むことは、どんな言語でも可能であると、田中氏はいっている。特に、ヨーロッパの言語は、だいたいにおいて文法的な構造が、中国語と似ているので、日本よりもむしろ訓読がやさしいというのである。日本語の場合には、返り点などをつけて、かなり複雑な読み方になってしまう。訓読を編み出したことが、日本人の器用さだけではなく、漢字文化の優れた点であるとされるが、それは違うというわけだ。考えてみると、田中氏のいうように、現在漢字文化圏というのは、中国と台湾と日本の3カ国しかない。南北朝鮮は、ハングルに転換して、漢字はほとんど使わない。ベトナム語もアルファベットを採用している。漢民族周辺の民族は、かなり前から独自の文字を考案しているそうだ。そして、中国も台湾も、漢字の重荷に耐えがたく、悪戦苦闘しながら、簡易化を図っている。漢字を重視するひとたちは、そうした中国の苦労にまったく思い至らないと批判する。

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アメリカの民主主義を考える

 アメリカ大統領選は、バイデンに当確が出て、新しい段階に入ったが、今のところ、予想されたような事態に入りそうになっている。バイデンが勝利しても、トランプがそれを認めず、法廷闘争になるという予想だったが、実際にいくつかの提訴がなされ、トランプの訴えをそのまま認めた判決はでていないが、トランプ支持者が、開票所にはいって監視することを認めた判決があったようだ。いまのところ、もうひとつの予想であるトランプ支持者による暴動などは起きていないが、今後どうなるのかわからない。今この文章を書いている時間、アメリカは真夜中であり、明けると日曜日だから、そのとき支持者たちの動きがあるかも知れない。トランプは月曜日から提訴の活動に入るといっているから、そちらはもう少し先のことになるだろう。すべての開票が正式にだされるのが、いつなのかよくわからないのだが、まだ開票作業が続いている州もある。もちろん、そうした結果が明らかになれば、バイデンの圧勝に近い数値がだされるだろう。その段階までに、家族や共和党、友人たちの説得が、トランプの敗北宣言を引き出せば、平和裡の政権移行が実現するが、あくまでもトランプが居すわろうとすると、本当にどうなるか予想もつかない。制度としては、このように進行するという解説はあるが、実際に得票数が確定すれば、それで決まりになるはずだが、それに従わないのだから、どうなるかは神のみぞ知るということなるだろう。(ただし、私自身は、トランプは比較的早めに諦めるのではないかと思っている。そして、トランプを説得するのは、家族であり、娘のイバンカだろう。共和党のひとたちが受け入れるべきだという意志を表明しているから、その力にトランプが押されるわけではなく、家族がそれを受けてということになる気がする。)

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