政治の世界は大きな変動のあった一年だった。国際的には、トランプが敗北した。トランプの盟友だった安倍首相も退陣した。そして、世界中がコロナ対策に明け暮れた年だった。
日本の政治は、特に与党政治家の劣化が否定しようがないことが明らかになったといえる。コロナ対策は、仕方ない側面もあった。最初の対応が、外国籍のクルーズ船で、乗客に日本人が多かったためだろうが、入港を断れない状況になり、しかも、患者が船内で発生するという、大変難しい状況であったことは間違いない。しかし、日本政府の対応で目立ったことは、本当の感染症対策専門家が中心となるのではなく、専門家とはいえないひとたちが取り仕切ったことである。そのことが、岩田健太郎氏によって指摘されると、「頑張っているひとたちに何をいっているのか」という批判が、岩田氏に向けられるという、本末転倒なことが起きた。これは、日本の行政の象徴的な出来事だと感じるのである。
それでも、政策担当者の愚作が目立った。アベノマスクは、権力の中枢にいるひとたちが、いかにリアルな感覚をもっていないかをしめした。
安倍氏が、日本の政治と社会を劣化させたことに、大いに責任があることは、ダボス会議での演説に端的に表れている。氏は、今後の大学政策として、基礎研究には力を注がず、実用的な研究を応援していくと語ったのである。その記事を読んだとき、心底恥ずかしいと思った。基礎研究を疎かにして、科学技術の進展をもたらすことができるはずがないではないか。勉強などとはまったく縁のなかったらしい安倍氏の言葉といえば、なるほどと思うが、日本の研究業績が低下しつつあることは、基礎研究軽視が結果がでてきていると考えるのが妥当だろう。そうした姿勢と、日本学術会議でのトラブルとは、つながっている。
権力的対応と説明拒否
この一年は、安倍内閣にせよ、菅内閣にせよ、説明をしない、権力的に抑圧するという、反民主主義的な姿勢を露にしたことでも目立った。安倍晋三氏の説明拒否的姿勢は、以前から露骨だったが、桜を見る会の前夜祭問題は、それを疑いようのない事実で示した。一人5000円という予算で前夜祭を行い、会費をそれぞれ参加者が支払ったとずっと言い続けてきたわけであるが、それが真っ赤な嘘であることが暴露され、国会で100回以上の虚偽答弁をしたことがわかり、それを自ら国会で説明するとして行った説明がまた酷かった。これは来年にかけても、大いに問題として継続するだろう。1000万円近い補填分は、安倍晋三氏自身のお金を使って、秘書が無断で使ったもので、安倍氏は知らなかった、無断で使ったことは横領だから、被害届をだして、告訴するのかという問いには、長年仕えてくれた秘書だからしない、という、呆れた答弁をして済まそうとしている。そんないいわけは、世間的には通用しない。
安倍首相が退陣し、菅首相に変わったわけだが、早速でてきたのが、学術会議の推薦された人を6名拒否した。これについては、何度か書いたので繰り返さないが、学問を圧迫する政治は、かならず国家・社会の衰退を招くということを、再度強く主張しておきたい。NHKのニュース番組でこの問題を問われたとき、「説明できることと、できないことがある」と開き直った。それは、学術会議の任命拒否は、「説明できないこと」だと語ったことになる。つまり、国民に説明できないような理由で拒否したことを、自ら示した。このことが重要である。つまり、拒否には正当性がないと、菅首相自身が認めているわけである。正当性がなく、学問を圧迫したことの結果を、菅氏はわかっているのだろうか。
黒川問題も忘れてはならない政治的事件であった。
黒川問題の本質は、もちろん、安倍内閣がその不当な政策を検察によって捜査されないように、予め臭いものに蓋をしておく措置である。黒川氏の検事総長実現のために、定年制まで不法に操作しようとしたわけだが、国民の大反発を招いて頓挫した。そして、それはごく当たり前の状況に戻ったことを意味したが、私が非常に不思議に思ったのは、あれだけ注目されているときに、賭麻雀をやり、それが漏れてしまった点である。麻雀をやっていた新聞記者たちは、当然秘密を守っている必要があるから、彼らから漏れることは考えられない。しかも、朝日と産経という政治姿勢が反対の新聞記者が仲間であったのも、奇異だ。私は、現在では、実際にリークしたのは、黒川氏ではなかったのかと思っている。黒川氏は、元々検事総長にはなりたくなかったと言われている。それにもかかわらず、わざわざ内閣が黒川氏だけ定年延長を閣議という大げさな場で決めてしまい、しかも、それを正当化するための法案まで用意して国会に提出していた。当然、世間は黒川氏に対して、批判を強める。別に黒川氏が、積極的に、人事上の動きをしたわけではない。安倍内閣の様々な問題が、司法的に扱われないように、責任者として留めてきた。そこまでやったのだから、いいかげん解放してほしいと思っていた可能性は十分にある。やめれば、自由な弁護士として活動できるわけだから、批判されたまま検事総長などになりたくない。そう思って、わざわざ賭麻雀をやり、そして、それをリークして取材させる。一時的に非難されて、辞職するとしても、弁護士になるには差し支えないし、世間の監視を受けながらの検事総長など、なんとしても避けたいと考えたのかも知れないと、思うのである。いずれにせよ、黒川検事総長人事が実現しなくてよかった。
まだしがみついているオリンピック
別の大きな問題はオリンピック・パラリンピックである。私は、もともとオリンピック開催には反対だから、3月、4月の時点で、延期ではなく、中止になっていれば、その後の展開はずっとすっきりしたのではないかと思う。正確なところは知りようがないが、IOCは春の段階で中止という見解だったという。それを日本側の強い要望で延期となり、それも大勢は2年延期案だったのが、安倍首相の強い意見で1年延期になったという。安倍氏がいかに長期的にものごとを考える姿勢がないかがわかる。2年延期にしておけば、開催は可能だったかもしれないが、一年延期にしたために、まず開催は不可能になるだろう。国民は開催されると思っていないひとが多数であるし、マスメディアですら、中止を匂わせ始めている。現在の状況で、オリンピックが開催可能だと考えるほうが、異常というべきだろう。
私がオリンピックに反対する理由は、オリンピックが利権の固まりになっているからである。安倍前首相、菅首相がオリンピック・パラリンピック開催に拘るのは、開催によってえられる経済効果が3兆円だということらしいが、そもそも実施しなくても、これまでに、かかわった企業や人々は多大な利益を得ている。しかし、他方で、こき使われるひとたちがいる。10万人ともいうボランティアは、文字通り無報酬で、酷暑のなか、多くは外での奉仕をする。また、1万人ともいう医療従事者たちも、無報酬で医療行為をするように要請されていた。さすがに批判に耐えきれず、若干の謝礼金を出すことになったようだが、おそらく、十分な金額からはほど遠いだろう。組織委員会のひとたちが得ている給与からすれば、ないに等しい程度の謝礼に違いない。そもそも、新型コロナウィルスで疲れ切った医療関係者は、外国から膨大なひとたちがやってくれば、確実にそのときでも感染を拡大するに違いないのに、医療崩壊どころではなく、医療喪失ともいうべき事態になるだろう。オリンピックを開催するという政治家は、そうした事態か起きたらどうするのだろうか。
現在なおオリンピックをやると言い張っている関係者たちの無責任ぶりには、怒りしか感じない。