一年を振り返るとき、たいていは今年はああいういいことがあった、と思い出すものだが、今年日本にいいことがあったのだろうかと、懸命に考えてみたのだが、どうも日本全体に関わるおめでたいことが、何もなかったような気がする。昨日からずっと考えているのだが、思い出せない。今年はノーベル賞受賞者もでなかったし、スポーツの国際大会は軒並み中止だから、そうした話題もない。ただし、コロナの影響で、普段ならあまり進展しないことが、かなりの速度で進んだこともあった。最大のことはICTの活用で、オンライン授業やオンライン会議などが進んだ。オンライン授業は窮余の策だろうが、オンライン会議や在宅ワークは、生産性向上や、ライフ・アンド・バランスの改善に役にたつ。ただし、その裏の事実として、日本があまりにICT活用の点で遅れているかが、はっきりしてしまった。
コロナ対策についても、いまだに議論が継続している。PCR検査を多数やるべきか、強制的な自粛措置をするべきか、違反者をどうするのか等々。
今日の新聞に、三重大学がクラスターを発生させたことに対して、県からの問い合わせに、違反して感染した学生は処分するという方針を伝えたことが、話題になっていた。そして、ヤフーのコメントでも、様々な意見が書かれている。感染することについては、誰でも感染するのだから、感染したことを非難するのは間違いだと言われることが多いが、しかし、明らかに、感染リスクがあることを、注意もせずに行ってしまった結果、感染したとすれば、それは批判されても仕方ないと思う。大学でも、明らかにルール違反をした結果、感染クラスターを発生させ、しかも、そこからルールを守っている学生たちに感染させたときに、感染させたことではなく、ルール違反を、大学の処分規則に従って対応することは、必要ではないか。
第一次感染のときには、パチンコ店がさんざん批判された。自粛要請に、かなり公然と従わなかったのは、パチンコ店が代表だったし、ギャンブルだという点も批判の対象にされた要因だろう。しかし、実はパチンコ店では感染はなかったはずである。というのは、パチンコをやっている人たちは、黙々とやるもので、互いに話したりしないだけではなく、パチンコ店は非常に環境対策を厳格に指導されていて、換気設備がどこでもきっちりと機能しているのだそうだ。換気が大事だと言われているわけだが、パチンコ店ほど換気設備が整っている業種はあまりないという。私自身、パチンコをやったことはないし、今後やるつもりもないが、あのパチンコ店たたきには、疑問を感じていた。
むしろ、飲酒を伴う、大勢での食事をする店のほうが、よほど感染リスクが高いのは、自明である。しかし、そうした店は、閉店ないし自粛させられたら、とても十分とはいえない補償金ではやっていけない。飲食店の倒産的閉店は、非常に多かったという。感染対策をしっかり守ることを徹底させた上で、営業を認め、ただし、そこから感染者のクラスターが発生したら、店を公表するという在り方もあるのではないかと、我が家では話していた。というのは、食中毒が出た店などは公表されることが多いので、感染者がでた店が公表されれば、その店には行かないようになるだろう。しっかり対策している店は営業できる。こういう方式は無理なのだろうかと今でも考えている。
なんとかならないのかということに、保健所の業務がある。だれがみても、当初から保健所はあまりに大変な仕事を押しつけられていた。しかも、保健の専門家が実施する必要がないものもたくさんあるのではないか。例えば、濃厚接触者の調査、そして、濃厚接触者に電話して、PCR検査を受けるように連絡するとか、あるいは、陽性の人を隔離施設に運ぶ運転なと、他にも多数あるはずだ。バイトがなくなってこまった学生はたくさんいるのだから、そういう人を、教育して使えば、できる業務もたくさんあったろうし、保健所の人たちの仕事を軽くすることができるのではないか。更にいえば、クラスター潰しという方式そのものが、私はどうしても間違っていたと思われるのである。ただただ保健所に負担をかけていたわりには、本当に効果があったのだろうかと疑問だ。
指定感染症をインフルエンザと同等にすることは、必要だろう。ただし、やはり、インフルエンザよりは、重傷かリスクが高い病気であるというのも事実なので、発症し、重症化したときの治療等については、現在のように公費で行う体制はしばらく継続する必要はあると思われる。
教育の世界でも確実に変化が生じた。私が思う最大の変化は、小学校の学級定員の35人を財務省が認めたことだろう。これは、学校現場と文科省の長年の要求を、大蔵省・財務省が潰してきた歴史が続いていたが、コロナ禍での3密対策という意味もあって、等々財務省がおれた形だ。35人ではなく30人にしてほしかったとは思うが、大きな前進といえる。これは、現場のほぼ全員が歓迎することだろう。ただし、これで現場のブラック職場が大きく改善するわけではない。もっともっと、削減すべきことかたくさんある。昨年書いていた「学校教育から何を削るか」をもう一度整理して、来年はしっかりと書いて公表していきたいと考えている。コロナは確かに、多くの人の感覚を変えた。学校教育も、多くの変化すべきことがある。それを明確にしていきたい。