永山則夫の死刑を考える

 永山則夫は、私と同世代である。私が大学生だったときに、かれは次々と殺人事件をおこし、そして逮捕された。当時大学紛争が最も盛り上がっていたときで、しかも、それは永山にも大きな影響を与えた。街頭活動で逮捕された東大生の活動家が、永山と同房になり、永山に勉強することの大切さを教え、それがきっかけとなって、永山は猛然と読書をするようになり、自分の人生をふり返ることになる。そして、自分をモデルにした小説を次々と発表し、高い評価をえるようになった。哲学書なども読破していたようだ。印税は被害者への賠償や恵まれない人への基金として拠出されていった。
 永山の裁判は、大きな話題となり、しかも、判決が揺れたことで論争にもなった。現在でも「永山規準」なるものが語られる。そういう中、永山を担当していた刑務官木村元彦氏の「実弾50発を盗んで4人を射殺した『死刑囚』はなぜ世界から注目される作家になったのか」「『絶対に殺してはいけない』現場が声を上げた死刑囚・・・その最後の瞬間に待っていたもの」という文章が掲載された。
 永山が更生し、贖罪のために小説を書き続けたこと、死刑は執行されないという予想が、サカキバラ事件で急変したこと、死刑判決そのものに疑問があることなどが記されている。ぜひ多くの人に読んでほしい文章だ。

 私は、大学で毎年必ず一コマを使って永山の話をしていた。そして、学生たちと討論もしてきた。しかし、やはり、現在の学生たちに永山問題を理解してもらうのは難しい。貧困が広がっているといっても、永山が経験した貧困は、比較を絶するからだ。
 永山の生い立ちを説明し、犯行の経過、そして、獄中での勉強と贖罪、判決の経緯などを説明する。ポイントとして、永山は、国家は自分に教育を保障しなかった。保障する義務があるのにそれを実行しなかった国家が、自分を抹殺することが許されるのかと問題提起していたが、これについてどう思うかということにおいた。永山は自分には罪がないと主張しているのではなく、あくまでも死刑はおかしいと主張していたと説明するのだが、永山の見解を肯定する学生もいるが、多くは否定した。いくら贖罪しても、罪は消えないということと、貧困だといっても、兄弟は犯罪者になっていないではないかというわけだ。
 「罪は消えない」ということは、死刑制度をどう考えるかに関わってくる。私は、死刑制度は肯定するが、永山の死刑判決は支持しない。それは東京高裁の最初の判決で述べられたことをまず重要だと考えるからだ。最初の東京高裁判決のみが、永山に無期懲役の判決を下した。それは、「誰が考えても死刑以外はありえないという場合のみに、死刑を選択する」というものだった。具体的にいえば、判決は裁判官の多数決で決めるのだが、死刑判決の場合だけは、全員一致を条件とするということだろう。あまり知られていないようだが、アメリカの陪審員制度では、有罪は全員一致が必要である。一人でも無罪を主張しつづければ、有罪にはならないのである。もちろん、日本とは事情が異なるが、死刑判決はそれだけの重みをもたせるべきだろう。東京高裁で、最初全員一致にならなかったこと、そして、死刑は全員一致が必要だという合意はあったのではないかと想像している。
 では、永山の場合、死刑を避ける理由があったのだろうか。
 ひとつは彼の極端な貧困だろう。戦後日本が貧しかったとはいえ、永山ほどの貧困は滅多になかったといえるだろう。父親が蒸発し、母親は子ども半分を北海道網走に、残して去ってしまう。小学生以下の4人の男の子が、まったく誰からの世話をも受けることなく、一冬を過ごすわけだ。そのときのことを永山は、『捨て子ごっこ』という作品に書いているが、そこで永山は最後に死んでしまうことになっている。もちろん、死んではいないのだが、永山は親に殺されたと感じたのだろう。春になって、やっと近所の人が福祉事務所に通報して、青森にいった母親に引き取られるが、学校はほとんど不登校で、新聞配達をずっとしていた。集団就職で状況、その後も仕事をいくつも変わっている。結局、人間関係をつけていくことを一切学ぶ機会がなかったので、同僚とうまくやっていけない。学生たちは、兄弟は犯罪者になっていないという。人間は悲惨な状況になると、より弱い人間を虐げることによって、いびつの満足感で自分を支える。兄たちはそれができたが、一番下だった則夫は、兄たちからの虐待を受けるだけだった。
 もうひとつの理由は、更生と償いである。まったく学力や教養と無関係だった永山が、獄中で猛勉強を始めて、人間としても大きく成長していく。彼と接した刑務官は、当初彼は中学生のレベルだったと感じたそうだ。生物的な年齢は犯行当時19歳だったとしても、実質的に中学生以下の精神的発達状況だったといっても、それは無理からぬところがあった。
 そして、被害者に償うようになっていった。被害者家族全員がそれを受けいれたわけではないが、受けいれた家族もある。償うことを学んで、しかもそれを実行するに至ることは、明らかに、まともな人間になっていったことを示している。とするならば、死刑によって抹殺してしまうことに、どのような意味があるだろうか。
 では、償いをして、まっとうな人間になれば、罪から逃れられるということなのかという疑問かでてきそうだ。もちろん、反省を繕うとか、償いの姿勢を表面的に示すという、虚偽の事例も生じるだろうが、そこは、しっかりと専門家が、評価する問題ではないだろうか。罪を犯しても、本当に反省し、償いをするということであれば、抹殺するよりは、社会のためにはなる。被害者がそのことを許容することを条件とすることも考えられる。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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