戸籍上の性別変更について考える

 多少古い記事だが、偶然MSNのポータルサイトに出てきたので、注目して読んだ。トランスジェンダーとして生きている「男性(元女性)」が、生殖除去手術をしなくても、戸籍の性別を変更できることを求めて、提訴したという記事である。https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/930559.html
 現在は、同性婚が正式に認められていないので、戸籍の性別を変更することによって、結婚したいということのようだ。
 今年は、LGBT法案が与野党の合意に一端至ったが、結局、自民党保守派の反対で流れたということがあった。また、その前の3月には、札幌地裁で、同性婚を否定する民法は、違憲であるという判断もでている。https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6051715cc5b6f2f91a2d567e
 この問題は複合的な要因が絡んでいる。

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白鵬の引退 相撲協会は民族差別をやめるべき

 白鵬が引退した。もう少し続けること思ったが、今から考えれば、もうずっと前に引退してもおかしくないような怪我だった。前にも書いたことがあるが、引退という契機に、再度書いてみたい。
 白鵬が引退に際して、今後、行動を慎むことの誓約書を求めたと報道されている。ここまでやるか、という寒々しい気持ちになった。白鵬が親方になったら、霞んでしまうような現在の親方たちが、自分たちの地位を守ろうと必死になっているような感じすらする。何故、ここまで彼等は白鵬を嫌うのだろうか。そして、それはどういう意味をもつのだろうか。
 私は、別に相撲ファンでもないが、この問題の背景にあることについては、無関心ではいられない。
 これまでは、明確には書かなかったが、相撲協会や、よき伝統に固執する相撲ファンたちの、白鵬への対応は、「民族差別」そのものである。白鵬は弱い存在ではないから、そうした差別をはねのけているが、それがますます差別意識を強めている。

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小室氏結婚問題(一月万冊批判)

 一昨日は、政治的システムの天皇制について、小室-真子結婚後に起きる事態について考えてみた。今回は、今騒動になっていることについて、トピック的に整理してみたい。
 私がけっこうフォローしている「一月万冊」で、普段政権に批判的な姿勢であるにもかかわらず、この結婚問題については、いかにも「理解派」のように語っていることに、少々驚きを感じている。私のスタンスは、個人の結婚問題などはどうでもいいが、皇室利用、天皇利用については、敏感であるべきだということだ。少なくとも、小室氏だけではなく、秋篠宮、そして、彼らを利用しようとしている勢力が、この結婚を契機に、自分たちに都合のよい皇室システムを作り上げようとしていることが問題なのである。小室氏は、そのための非常に都合のよい駒なのだ。そして、自分も最大限に皇室利用をしている。そして、そこに費やされている費用は、ほとんど税金である。こういうことについて、一月万冊の人たちは、まったく気にしていないように感じる。単に、二人の若い人が結婚のために努力しているのに、様々な中傷しているというレベルでのとらえ方だ。そして、メディアが、そういう中傷の先頭をきっているかのように受け取っているらしい。しかし、メディアをずっとみていれば、大手メディアは、ほとんどが皇室批判や、この結婚への異議申し立てなどはしておらず、好意的に報道してきたし、今回の結婚決定で、いよいよその姿勢は明瞭になっている。羽鳥モーニングショーの玉川氏のスタンスをみれば、それははっきりわかる。あれほど、権力に批判的な玉川氏が、この結婚問題については、一貫して、ふたりを高く評価している。もちろん、個々の人をどう評価しようと、それは各人の自由だが、この結婚が、そういう二人の問題ではないということを見逃しているとしたら、それは不見識といわれても仕方ないだすろう。

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教師への超過勤務手当て不支給を違法ではないが、実情にあわないとした判決

 埼玉県の教師が、教師の超過勤務に残業手当を出さないのは違法であると訴えた訴訟に対する地裁の判決が出た。形式的には、原告の敗訴であるが、実質的にはかなり勝訴に近いといえる。
 現在、教師に対しては、勤務時間外に命じることができる勤務内容を限定している。そして、その時間外勤務に対しては、超過勤務手当てを支給しないかわりに、4%の特別手当てを支給する体制になっている。しかし、実態は、限定された内容以外に、非常に多くの時間外勤務が行なわれ、事実上強制されている。それは違法ではないか、というのが、提訴の理由である。多くの教職員から支持が寄せられ、私も確か応援メールをだした記憶がある。
 判決は、教職員給与特別措置法(教特法)によって決まっており、違法ではないと結論付けた。法解釈の大原則として、一般法に対する特別法の優位というのがあり、労働基準法よりは、教特法が特別法であるから、法解釈上は、教特法に従って判決をせざるをえない。だから違法ではないとしたのである。

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真子内親王結婚後の天皇制の論議の必要性

 小室-真子内親王の結婚が正式に発表された。私自身は、民間人となるわけだから、早く結婚してニューヨークにいって、日本の視界から、消えることはなくても、薄くなってほしいと思っているだけだが、本当の問題はこれから始まるということを忘れてはならないと思う。つまり、今後の天皇制というシステムが、どのようになっていくのかが、今後熾烈に問われていくということだ。
 まず忘れてはならないのは、「天皇主義者」とでもいうひとたちほど、天皇を尊重しておらず、利用したいと思っているひとたちだということだ。戦前の軍部の皇道派などをみればわかる。また、終戦の前日と当日に天皇の「玉音放送」の録音レコードを奪取しようとした軍人たちは、より鮮明かも知れない。本当に天皇の意志を尊重するひとたちであるならば、天皇自らが吹き込んだ録音を放送させないなどという行動をとるはずがない。

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大リーグの乱闘

 大谷翔平の不調が、死球と四球の連発にあることを、前に書いたが、たまたまyoutubeをみていると、大リーグの乱闘映像がたくさんあったので、いくつかみてみた。すると、あまりに日本の状況と違うので、びっくりした。
 日本でも、プロ野球で暴力沙汰はあるし、両軍の選手か出てきて揉めることもある。しかし、暴力沙汰はあっても、特定の人間、しかも多くは外国人選手が絡んでいることがほとんどで、日本人選手が本気で殴りあうような場面は、少なくともyoutubeでの乱闘場面でもない。日本だと、ベンチから出てきた選手は、止め役がほとんどで、あるいはだまって立っている。当事者以外の選手が殴りあうような場面は、見たことがない。
 それに対して、大リーグの乱闘シーンは、とにかく、出てきた選手がそれぞれに乱闘に加わってしまうような感じが多い。もちろん、多くは止めにはいっているのだが、それでも抑えられない。
 乱闘の原因はいくつかあるようだ。

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『教育』2021年10月号を読む 山田殻変哲也「教員世界の地殻変動」4

 山田哲也氏の文章の検討は、前回で終わっているので、今回は、私なりの「学校を楽しく働ける場」にするための、基本的に必要なことを書いてみたい。もっとも、私は、教育制度論が専門であり、かつ、あくまで研究者であるので、ここでは、早急に実現可能なことではなく、実現は遠いとしても、必要なことに焦点をあてたいと思う。
 
 まず考えねばならないことは、組合がずっと主張してきた「労働者」としての権利である。そして、「専門職」としての権利である。このふたつは、完全に調和するのだろうかということがある。もちろん、労働者としての権利を、憲法上の人権である労働基本権のレベルでいえば、専門職と全く齟齬があるとは思わない。しかし、一般的に労働者を時間を基本に働く存在と考えると、専門職とは具体的に合わない面が出てくる。
 労働基本権と、憲法で規定されているのは、「団結権・団体交渉権・団体行動権」であるが、これは労働組合であろうと、職能団体であろうと、妥当するものである。憲法では「勤労者」となっており、時間で拘束されるという意味での「労働者」に限定されないからである。しかし、この時間で規定されるという点で、労働者と専門職は、重ならない部分が生じる。もちろん、学校の教師が、勤務を時間で拘束されても、なおかつ専門性を重視されることはありうる。しかし、教師の専門性は、時間に囚われない部分が必ず存在するのである。それが、無限定労働につながることになる。

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『教育』2021年10月号を読む 山田殻変哲也「教員世界の地殻変動」3

 いよいよ、山田哲也氏が提案する「教職員が楽しく働ける学校へ」の内容である。
1 学校教育に対するさらなる資源の投下、つまり教職員の増員
2 教員文化に生じつつある変化をテコに、子ども・保護者との対話に開かれた「民主主義的な専門職性」を可能にする職場同僚関係を構築
3 同時多発的な草の根の取り組みと、組合活動や民間教育研究・実践運動のような従来から続く粘り強い社会運動とを接合し、合理的な判断に基づく学校制度の改善を企図する取り組み
 以上の3点である。
 もちろん、これらのことに異議はないし、むしろ、ずっと多くの教職員が求め、努力してきたことといえるだろう。逆にいえば、そうした努力にもかかわらず、何故、実現してこなかったのか、ということの分析もあわせて必要なのではないだろうか。そして、要検討の内容はないのだろうか。

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『教育』2021年10月号を読む 山田哲也「教員世界の地殻変動」の検討2

 前回は、求心的関係構造とその弱体化に関する検討を行なった。
 今回は、職務の無限定性と献身的教師像について検討する。これは、ペアのような関係だ
が、やはり、単純に議論すべきことではない。学校職場がブラック化している最大の要因が、この「無限定性」にあるわけだが、これは、確かに、積極的な意味での教員文化としての側面があるが、他方、行政が安上がりの労働を押しつけるための仕組みを作り上げたことも見逃すわけにはいかない。
 戦後民主化された教育の世界で、教師たちが要求したことは、労働者としての権利だった。この場合、労働者とは、労働内容が明確化され、それ以外のこと(雑務)をむやみに押しつけられることなく、労働時間が規定されており、それを超過する場合には、超過勤務手当てを支給するということである。つまり、定量労働ということだ。しかし、これらがきちんと決められて実行されたことは、戦後一度もなかった。それだけではなく、憲法で保障された「労働基本権」すら、教師には一部制限されたのである。

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『教育』2021年10月号を読む 山田哲也「教員世界の地殻変動」

 『教育』2021年10月号の特集1は「教職員が楽しく働ける学校へ」である。同様の特集は、過去何度も行なわれている。それだけ、教職員が楽しく働けない現状があるということだろう。今回の特集でも、新任の最初の職場で、生徒たちに振り回され、懸命に生徒たちに入っていこうとして奮闘しながらも、先輩教師や管理職には適切な助言がえられず、結局一年を待たずに休職し、そのまま退職してしまった教師の手記が掲載されている。公立小中学校が、国内で最もひどいブラック職場であることは、多くの人に指摘され、広く知れ渡るようになってきた。しかし、文科省の対策は、かえってブラック度を強めこそすれ、問題解決の方向にはほど遠いものでしかない。
 そのようななかで教育科学研究会は、そうした職場でも最大限よい実践を行ないたいと努力している教師や、その方法を見いだそうとしている教育研究者の研究組織である。そして、今回の特集は、その努力の一端と見ることができる。巻頭論文は山田哲也氏の「教員世界の地殻変動」で、伝統的な教員文化が変容しつつあり、ある意味困難は増大しつつあるものの、その変動のなかに、「楽しく働ける学校」に発展する芽を探ろうとするものである。その個々の記述には、ほとんど頷くことができるのだが、しかし、構造的に理解するとき、違和感を感じざるをえない点がある。

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