小田急の無差別刺傷事件

 信じられないような事件が起きた。混雑している小田急線の車内で、まったく無防備なひとたちを包丁で切りつけるという事件だ。「幸せそうな、勝ち組の女子大生」狙って、誰でもよかった、たまたま近くに座っていた、犯人が勝手に想像した「勝ち組」らしい女子大生が被害にあったわけだ。重傷だが命にはかかわらないということは、幸いだったが、本当に酷い話だ。その後火をつけて、更に被害を拡大しようとしていたらしいが、サラダ油だったために、火などつかず、これはうまくいかなかったのは、よかった。理系で学んだにしては、お粗末だとネットで嘲笑されているが、おそまつでよかったわけだ。ガソリンなどを巻かれたら、とんでもないことになっていただろう。本人は自殺意志があったのだろうか。

 
 ネットでは早速犯人の素性探しが始まっていて、かなりの情報が公開されている。それをみると、少なくとも、学歴上は、学校でかなり悲惨な目にあって、それが怨念となって蓄積していたとは、あまり思えない。高校や大学時代は、ごく普通に順調だったのではないだろうか。ただ、大学は中退しているので、そのあたりから、狂い始めたのかも知れない。
 ただし、当日の動きには、気になるところがある。
 万引きを通報されて、警察に呼び出されたが、帰され、復讐しようと思ったが、店が閉店していたので、小田急線内での犯行に切り換えたと説明しているという。ここで、不可解なことがある。
 警察は、万引きした大人を呼び出して、そのまま返したのか。窃盗犯ではないか。
 警察は、万引きの通報が店の者からあったということを、彼に話したのか。もちろん、この場合、勝手に、彼が推察した可能性はあるが、それでも、店員に疑いがいかないように、話し方に配慮する必要はある。警察の不用意な説明で被害が生じたことは、川崎での少年殺害事件で、大きな問題になったことがある。こういうことは、普段どうなっているのだろう。
 メディアやネットでは、女性に対する関心が高く、ナンパを繰りかえしていたということ、出会い系サイトで会った女性に、途中で帰られてしまったなど、女性との関係をうまく作れないことが続き、それが、勝ち組の女子大生への怨念へとつながったようなことが、多く書かれている。当人が語っている部分のようなので、大きくずれていることはないのだろう。万引きが通報されたことは、その日に決行する決意をさせたが、こうした犯行のことは数年前から考えていたというのだから、いずれは起こす可能性があったわけだ。障害者施設への襲撃もそうだったが、長い時間、恐ろしい犯罪を考え続ける人がいるということは、よくよく原因や対策を考えておく必要があるということだ。
 もうひとつ気になることとして、この犯人がアスペルガー症候群で、それが犯行の原因になっているというような議論があく。過去の犯罪でも、アスペルガー症候群であることを周囲が理解して、適切な対応をすれば、犯行は防げたという議論がいくつかある。アスペルガーであることによって、人間関係がうまく結べないことはあるだろうが、それが直ちに犯罪につながるわけではない。現代社会自体が、人間関係を結びにくくしている構造がある。だから、アスペルガーには限らない。排他的な競争社会、非正規労働者の極端な酷い労働条件、学校での管理主義等、共同的な関係を結びにくくしている要因はたくさんある。こうした問題の解決を志向することが重要で、精神疾患的なところに要因を求めていくことは、アスペルガー症候群への偏見も生む危険性がある。
 
 現時点で、これ以上のことはわからないので、あとは、余談である。
 この事件で思い出すのは、鬼平犯科帳に出てくる「葵小僧」だ。長谷川平蔵が扱った実際の事件で、最も有名なものだろう。『火付盗賊改の正体 幕府と盗賊の三百年戦争』(丹野顕)によれば、この事件についての詳細な記録は残っていないそうだが、それは、事件の性質上、早急に処刑すべきと判断した長谷川平蔵と幕府が、プロセスを省略して処刑してしまったからだという。しかし、江戸でかなりの頻度で商家に押し入って、盗みをはたらいただけではなく、妻女を凌辱したことは、記録に残されているようだ。
 この骨格を元に、池波正太郎は、葵小僧の生い立ちから、犯行の模様を創作している。だから、あくまでも池波の想像に過ぎないのだが、今回の事件と重なってみえてくるのである。
 葵小僧は、愛知の有名な俳優の子どもとして生まれ、小さいころから役者として舞台にあがっていた。名子役として人気があったが、鼻が低いので、長ずると役者には不向きだ、評判が下がってしまう。後ろ楯の父親が亡くなると、役もあまりもらえなくなり、女性にもまったくもてなくなってしまう。そういうときに、ある女性が受け入れてくれると信じたのだが、実は利用されていただけで、団長といい仲になっていることがわかり、団長とその女性を殺害して逃亡し、やがて盗賊に拾われて、腕を磨いていく。そして、やがて盗賊の首領になり、江戸に出て、盗みだけではなく、強姦を必ず行う犯行を重ねていくという筋だ。つまり、若いころ、女性に馬鹿にされた怨念が、犯行の背景にあるという解釈である。そして、それに足をとられて、長谷川平蔵に逮捕されてしまうのである。小説では、被害者への風評被害を防ぐために、裁判もせずに、長谷川平蔵が切り捨ててしまうことになっている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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