今日でオリンピックが終了する。関係者やメディアは、成功したといっているが、残念ながら、メディアを中心に何か盛り上がった感じを作り出したから、そう感じているのだろう。
他方、オリンピックなど、まったく無視しているひとたちも少なくないのだ。コロナのほうがよほど心配事項であるというひとたちだ。また、IOCに対する最大の資金提供者である、アメリカのNBCは、あまりに視聴率が低いので、こまっているだけではなく、スポンサーへの補償なども考慮せざるをえなくなっているという。これで、盛り上がったといえるのだろうか。
これから、様々な負の結果が出てくるのだ。何よりも、コロナ感染の拡大だ。一昨日明らかになったことだが、コロナの変異株であるラムダ株が、7月20日に検出されていたが、それを厚労省が隠していたという。ラムダ株は、南米で猛威を振るっている変異株で、感染力も重症化率も格段に大きいとされている。どこから持ち込まれたのかといえば、隠されているのでわからないが、時期的に、オリンピック関係者の来日組と考えるのが、もっとも自然だろう。だからこそ、厚労省は、オリンピックが終わるまで発表しないと決めていたのだ。それが、海外のメディアが発見し、調査していると、突然NHKがニュースで報道したという。海外で騒がれる前に、国内でちゃんと発表したという形をとりたかったのだろうと憶測されている。
つまり、こうした推測が正しければ、オリンピックがコロナの感染を引き起こしたということはない、という言い逃れができなくなるということだ。恐れられているラムダ株が、これから猛威を振るうようになったら、明らかにオリンピックのために、コロナ感染が拡大したことになるからだ。
それから、当然心配されるのが、これからの感染拡大が、まず北海道で起きるだろうということだ。数日に渡って行われた競歩とマラソンには、かなりの人手が出た。映像や写真をみても、かなり密集して、見物がでている。拡声器で注意を促しているとしても、本気で人が密集することを止める意志があるなら、いくらでもやりようがある。交通規制や立入禁止地域を設定すれば、人手はかなり防げるはずだ。間違いなく、組織委員会や自治体は、そうして観戦の規制をする意志がないのだろう。プレ五輪でマラソンが行われた数日後から、札幌で酷い感染拡大が起きたのは、忘れるわけにはいかない。あのとき以上の観戦者がいて、しかも期間が長く、何よりも、感染拡大の時期だったわけだから、今後どうなるか、非常に不安である。
オリンピック関係者の感染も少ないとはいえないほどだった。オリンピックが終われば、速やかに帰国するとも思えないし、国内のボランティアなども解放気分になって、慰労会などをやるに違いない。そこで、感染拡大がおきる可能性はある。
そして、何よりも恐れることは、これから赤字のつけが国民に課せられることだ。ある報道によると、予算としての予備費が10兆円余っているそうだから、そのなかから、赤字とされる1兆とも2兆ともいわれる部分を補填していれれば、国民も喜ぶだろうし、予備費としての使い方として懸命だといえるが、そんなことをするとも思えない。国内はもちろんのこと、海外のチケットもまだ返金していないようだが、チケット代だけを返金することになるだろうが、それで収まるかどうかは、甚だ疑問だ。ホテルや飛行機のキャンセル料などの個人的損失が、かなり出るだろうから、そうしたことへの賠償請求がなされる可能性もないとはいえない。
更に、金銭的なことだけではなく、国際的に非難される事態も多々あり、そうしたことが今後問題にされねばならない。そのひとつが弁当廃棄問題である。東京オリンピックはSDGsを謳い文句にしていた。持続可能性だ。今回のオリンピックで、持続可能性の精神を感じたことは、私は一度もなかったが、それに反するもっとも象徴的なことが、この弁当廃棄だろう。しかも、これらは、オリンピック関係者たちのための弁当なのだが、その弁当を割り当てられるはずのボランティアが、組織委員会の記者会見で、お弁当の量が少ないので、増やしてほしいという訴えをしたところ、記者ではないという理由でつまみ出されてしまったのだそうだ。少ないと感じる人には、ふたつ配布するというような措置をとった例もあるには違いないが、表面に出てくるこうしたことは、あまりに酷すぎる。
非難の的の次は、過酷な暑さだろう。既に、選手たちから強い抗議や不満が出されているというが、とにかく、オリンピック招致の際に、温暖でスポーツに最適な気候という理由を掲げていたことは、誰でも知っている。また、それがうそだということも、知られていた。おそらく、不満を述べた選手たちも、事前に知ってはいたのだろう。それでもやはり、不満を言わずにはおれなかったに違いない。私や家族は、この東京招致が決まったときに、福島の扱いや気候のことには、心底呆れていたが、やはり、嘘をついてまで招致するということについて、国際社会は、次第に寛容ではなくなっていくはずである。
バッハ会長を始めとするIOC委員や組織に対する疑問も強く残った。なにしろ、日本には大きな犠牲がかかるが、IOCは何ら負担はないのだ。1泊300万もするスウィートルームに、ほとんど日本の負担で宿泊しているなどということに、象徴的に現れているが、迷惑がっている日本人も多いのに、平和主義者面して広島を訪れたにもかかわらず、8月6日の黙祷を禁止するなど、一貫しない立場にも腹がたたざるをえなかった。
そもそもIOCは、国連の機関でもなく、単なるNPOである。それが国家的な、あるいはそれ以上の扱いを受け、委員たちは贅沢三昧な生活をオリンピック期間中、他人のお金で営み、まるで王侯貴族のような「命令的な」な行動をとる。
IOCは、今後かなり厳しい批判に晒されるに違いない。このような不自然さは、いつまでも受け入れられるはずがないのだ。