パソコントラブル顛末

 最近のパソコンは、滅多に故障しない。ハングアウトなどはたまに起きるが、ソフトの問題であって、ハードとしてのパソコンは、本当によく働いてくれる。しかし、使っている二台のパソコンが同時に多少おかしくなってしまった。ひとつは、HPのゲームパソコン(OMEN)でデスクトップ。以前はこちらがメインだったが、今は、たまにしか使わなくなった。それは、部屋の問題であって、本当にはそちらをメインにしたいのだが。
 もう一台は富士通の親指シフトキーボードになっているノートパソコンだ。こちらは、青山にある親指シフト専門店が、富士通に特別注文して作らせている特別使用のもので、機能の割には高価だった。しかし、旅行にもっていっても、親指シフトで打てるので、非常に重宝しており、こちらが現在はメインになっている。(残念ながら、現在はこの手の親指シフトのノートパソコンは作っていないので、これが壊れたらどうしようかと危惧している。)
 最初におかしくなったのは、OMENで突然起動しなくなった。そして、びー、びー、という音がするだけで、一向に起動しない。これは困ったと思ったのだが、旅行にでかける前日だったので、どうにもならず、そのまま一週間の旅行に。

“パソコントラブル顛末” の続きを読む

マイノリティ支援とカミングアウト (SOGI)

 LGBTや同性婚の主張に関して、大方同意できても、なんとなく細部で同意できない部分があることが多い。そのことは、これまで何度か書いてきたが、今回、かなり同意できる主張にであった。神谷悠一「「誰」から「何」へ 性的マイノリティ支援制度の課題と発展可能性」『マイノリティ支援の葛藤』明石書店所収)である。
 性的マイノリティ支援が進んだとしても、その目的に限定されている支援制度である場合、カミングアウト(自分が対象者であることを明示する)が必要となり、そのカミングアウト自体が不利をもたらすことが少なくない。だから、カミングアウトをためらって、結果として支援を受けられないことがある。そこをどう克服するかという問題について書かれている。

“マイノリティ支援とカミングアウト (SOGI)” の続きを読む

チャットGPTを使ってみた 学校で利用できるか

 話題になっているチャットGPTが、羽鳥モーニングショーで取り上げられていて、なかなか興味深かったので、考えてみた。解説者によると、産業革命以来の大きな社会変革がもたらされるという。AIは確かにそのように言われていたが、いよいよその実感を伴う変動が置きつつあるということか。実際の感覚を掴むために、早速使ってみた。
 教育を専門にしてきた者としては、学校現場への影響がまず考えざるをえない。
 学校で生徒が利用するとしたら、調べ物をすることと、レポートを書くこと、更に、作文、特に英作文には活用できそうだが、問題は「調べる」「レポートを書くこと」についてだろう。
 「調べる」については、かなり精度が低いように感じた。以下は、桶狭間の闘いについて質問してみた回答である。最初の回答が明らかに間違っているので、その訂正を求めたのが後半である。

“チャットGPTを使ってみた 学校で利用できるか” の続きを読む

五十嵐顕考察5  マルクス・エンゲルスの教育論1

 五十嵐顕氏の研究者としての業績の柱をまとめると
・マルクス主義教育論
・教育財政論
・民主教育論
・戦争体験と戦争反省
 今回は第一のマルクス主義教育論の理解と継承を考えてみたい。しかし、直接マルクスの教育論を分析した論文は比較的少ない。著書の『マルクス主義の教育思想』でも、マルクスとエンゲルスの教育思想を分析した文章は「序文」だけで、本文はレーニン、ルナチャルスキー、クララ・ツェトキンの思想とソビエトとドイツ共産党が扱われている。本書の出版が1977年であり、収録の論文はすべて1960年代と70年代のものだから、マルクス・エンゲルス、ツェトキン、レーニン、ルナチャルスキー、クルプスカヤ等が、同一の土壌の思想家として扱われていることは、時代的な背景があったといえる。しかし、今日再度こうした議論を検討する場合には、根本的に異なる「土壌」がある。つまり、ソ連を初めとする社会主義国が、ほぼすべて崩壊しているからである。ソ連崩壊後、社会主義者を名乗っていた人たちの多くが、引き続き社会主義思想を発展させる努力を継続していたようには思えない。そして、上記思想家は、発展プロセスにある一連の思想家として理解されていたが、現在では、スターリンほどではないにせよ、レーニンもかつての社会主義者からも批判の対象になっているし、相互の相違も、以前よりずっと強く意識されている。

“五十嵐顕考察5  マルクス・エンゲルスの教育論1” の続きを読む

代替肉の可能性2

 食料問題は、環境問題だけではなく、食品ロスや途上国の食料不足・飢餓問題など、多様である。そして、それらは別々のものではなく、家畜や養殖の飼料として消費される食料が、そのまま人間が消費されるようになれば、かなりの飢餓を救うことができる。食品ロスも同様である。だから、環境問題としての象徴的「牛肉」問題は、食料問題を広範に改善することになる。また添加物などによる健康被害問題も軽視できない。
 
 牛肉を食べることが、どれだけ大きな食料を無駄にたくさん牛に食べさせてしまうかを知ると、人々は、牛肉を控えるようになるのだろうか。そこに文化がかかわってくる。インドのように牛肉が忌避されている国では、そもそも牛肉を食べないのだから、その代替肉を求める感情自体が起きないだろう。日本や中国のように、代替肉の原料である大豆料理が既に広く、多様に普及している国では、大豆料理のメニューがひとつ増える程度の効果しかないと思われるのだが。

“代替肉の可能性2” の続きを読む

ウクライナ支援へのポーランドの強固さ

 ウクライナへのロシアの侵略が始まって、際立っていることのひとつに、ポーランドのウクライナに対する支援の強さである。国境を接していることもあるが、ウクライナ避難民をもっともたくさん受け入れているし、また、ウクライナへの軍事支援についても、主導するような役割を果している。様々な武器がウクライナに、欧米から供与されているが、多くの場合に、より強力な武器をウクライナが求めると、アメリカやドイツは当初応じることに躊躇の姿勢を示す。それに対して、ポーランドがより積極的な支援を主張するという構図がずっと続いている。昨年の侵略初期では、ポーランドも米独の反対によって、提案を引っ込めることが多かったが、最近では、むしろ、米独の反対を抑えるように、自ら積極的に動いて、米独もそれに従うような場面が増えている。戦車の供与がそうだった。ポーランドは、欧米が「協議」をしている間に、戦車の操縦の訓練をウクライナ兵に対して行なっていたし、それを公言していた。それは、実際に欧米の多くの国が戦車供与を決めてから、実際に使用可能になるのを早める効果があった。

“ウクライナ支援へのポーランドの強固さ” の続きを読む

ITに反対の教師

 学校現場にIT化の波が押し寄せているが、それに対する批判的記事があった。
「紙の辞書なんてゴミ!」新聞、テレビが報じない教育現場DX化の残念すぎる実態。
【後編】「辞書なんてゴミ」「ババアは老害」定年間近の女教師を悩ませるIT化の怒涛。
 登場する教師は、高校の古典を教えていて、すべてノートは手書き、紙の辞書を活用する、等の伝統的な教育スタイルをとっているだけではなく、そうしない生徒を非難しているように感じられる。生徒全員に iPad が支給されるようになって、いかに混乱が起きているかを告発し、かつ、それを職場で訴えても、若い教師に一蹴されているという記事だ。更に、支給後いじめが頻発し、しかも加害者がほぼ全校生徒となったという告発がなされている。しかし、ある特定の生徒への誹謗文書が、簡単に全校生徒に配布されるのだろうか。もし、そうだとしたら、それは学校のネット運用に問題があるとしか思えない。

“ITに反対の教師” の続きを読む

代替肉の可能性

 現在、環境問題を重視する観点から、動物性タンパクの食品を、植物性タンパクでつくることが、欧米で浸透しつつある。大豆を主な材料でつくったビフテキなどである。ところが、こうした食品は日本では、なかなか売れないのだそうだ。私は、一度食べてみたいと思っているが、実際にそうした商品やレストランでのメニューに接したことがない。通常のファミレスなどでは、見たことがない。
 動物性タンパクのとり方を改善するべきであるという領域はたくさんある。そもそも、牛肉が環境派にとって攻撃の対象になるのは、牛を成長させるために必要な栄養素は、牛の肉等によってとれる栄養素の何倍もあり、例えば、飼料のトウモロコシを牛に食べさせるのではなく、直接人間が食べれば、ずっと多くの人の胃袋を満たすことができるということだ。それは、大きな魚の養殖にもいえる。ブリの養殖のためはには、大量のいわしを必要とする。いわしを直接食べれば、やはりずっと多くの人が栄養をとる点では合理的なのである。更に牛やブリの排泄物の環境汚染要因も大きい。そして、牛のための飼料を育てるために、アマゾンの熱帯雨林がどんどん伐採されているという、環境破壊も進んでいる。牛肉はおいしい、ブリはいわしよりおいしいのは確かであるが、私には、いわしをたくさんの人が食べられるほうがよい。いわしも十分においしいではないか。

“代替肉の可能性” の続きを読む

藤井寺市の教科書汚職から考える、日本の教育水準の低下1

 大阪府藤井寺市の教科書選定をめぐる汚職で、市の教育委員2名が辞職することになった。2020年に、実施された選定での汚職で、元市立中の校長か懲役1年6月、執行猶予3年、追徴金6万4000円の有罪判決を受けている。便宜を図った側の大日本図書の取締役らも罰金命令を受けている。
 この事件について、伊東乾氏が、「藤井寺市の教科書選定「贈収賄事件」に透けて見える日本弱体化 教科書利権と「自虐的」数学教科書排除は焦眉の急」と題する文章をあげている。
 教科書採択をめぐる汚職は、明治時代から続いており、そのために国定になったり、検定になったりしているが、法で厳しく罰せられるとしても、特に現在の採択制度では、採択されないと、会社自体が倒産してしまう危険性が高いためもあり、こうした汚職は耐えない。だから、検定や採択をめぐる制度面での改変が必要なのだが、伊東氏が主に論じているのは、更に、教科書の水準が下がっていることの指摘と危機感の表明である。

“藤井寺市の教科書汚職から考える、日本の教育水準の低下1” の続きを読む

成田氏の高齢者集団自決再論

 成田氏の高齢者問題を解決するためには、高齢者の集団自決しかないという提起が、国際的に問題になっているらしい。そして、そのことがまた日本での議論を再燃させている。そして、賛否両論、相変わらずの構図だが、成田氏擁護の側の議論のあまりに短絡的で視野狭窄的議論が顕著なので、再度書くことにした。
 
 まず、成田氏に限らず、高齢者は若い者に道を譲れという議論は、80歳を超えるような老人がのさばっていて、権力を発揮していることを非難している。しかし、実際のところ、そういう分野は、極めて少ないような気がする。そして、典型的には、政治の世界だろう。確かに、政治家は高齢者集団であり、かつ、活動力に疑問が隠せない人が、いまだに権力をもっているように見える。

“成田氏の高齢者集団自決再論” の続きを読む