代替肉の可能性

 現在、環境問題を重視する観点から、動物性タンパクの食品を、植物性タンパクでつくることが、欧米で浸透しつつある。大豆を主な材料でつくったビフテキなどである。ところが、こうした食品は日本では、なかなか売れないのだそうだ。私は、一度食べてみたいと思っているが、実際にそうした商品やレストランでのメニューに接したことがない。通常のファミレスなどでは、見たことがない。
 動物性タンパクのとり方を改善するべきであるという領域はたくさんある。そもそも、牛肉が環境派にとって攻撃の対象になるのは、牛を成長させるために必要な栄養素は、牛の肉等によってとれる栄養素の何倍もあり、例えば、飼料のトウモロコシを牛に食べさせるのではなく、直接人間が食べれば、ずっと多くの人の胃袋を満たすことができるということだ。それは、大きな魚の養殖にもいえる。ブリの養殖のためはには、大量のいわしを必要とする。いわしを直接食べれば、やはりずっと多くの人が栄養をとる点では合理的なのである。更に牛やブリの排泄物の環境汚染要因も大きい。そして、牛のための飼料を育てるために、アマゾンの熱帯雨林がどんどん伐採されているという、環境破壊も進んでいる。牛肉はおいしい、ブリはいわしよりおいしいのは確かであるが、私には、いわしをたくさんの人が食べられるほうがよい。いわしも十分においしいではないか。

 
 日本人に植物性肉が浸透しないのは、もともと、欧米よりも肉の消費量が少ない上に、代替肉の原料が主に大豆であり、日本には大豆料理は、たくさんあるためらしい。要するに大豆を食べるならは、豆腐がおいしい、わざわざ肉のような形でつくり直す必要はまったくないという感覚だ。それは私にも十分わかるし、大豆を無駄にしない料理法がたくさんあるわけだ。肉に似せるためにたくさんの行程が必要だとすれば、それは当初の環境改善の意図に反するような気がする。
 
 代替肉をつくろうという最初のきっかけは、牛肉が大きな環境負荷をもたらすことが、環境活動家に認識されるようになったことである。しかし、この点での認識は、十分に広まっているとはいいがたい。地球環境を保護する国連の会議に、小泉進次郎環境大臣が出席するために、ニューヨークを訪れたとき、真っ先に好きなビフテキを食べにいき、毎晩でも食べたいと語ったことは、日本だけではなく、環境活動家たちに大きな驚きとショックを与えた。そして、堂々と悪びれもせずに語ったのである。環境大臣がこれなら、他の政治家たちは推して知るべしである。日本は、飼料のほとんどを輸入に頼っているし、製品としての肉をかなり輸入しているから、動物肉が環境破壊をしているという実感が湧きにくいのである。従って、学校教育やメディアが、環境教育として、牛肉や高級魚の養殖が、環境破壊を増大させていることを、十分に知らせていく必要がある。
 
 動物の肉を食べることが、環境破壊になり、地球温暖化の原因となることが認識されると、人々はどう行動するのだろうか。また、どう行動すべきなのだろうか。
 私自身は、あまり牛肉を好んで食べるほうではなかったが、環境問題悪化の要因のひとつと知ってからは、食べる回数は減ったし、外ではまず食べない。できるだけ、多くの人が牛肉の消費量を減らすべきであるとは思う。しかし、私はベジタリアンではないし、また、動物性タンパクは、それ自体としてとったほうがいいと思っているので、完全に食べないなどというつもりはない。人類は、ずっとなんらかの動物性タンパク質をとってきたし、植物性タンパクをとったからといって、肉によってとることのできる栄養素をカバーするためには、材料も含めてかなり調理の工夫が必要である。従って、完全に肉食をなくすことは、社会全体としては目標になりえないだろう。
 しかし、代替肉がつくられる背景には、どうしても肉を、ビフテキを食べたい、ハンバーグを食べたいという要求の強いひとたちがいる。そういうひとたちには、規制が必要なのだろうか。国ごとに牛肉を食べる量の規制をすることは、可能だろうか。また合意をえられるだろうか。
 もちろん、牛肉は週何グラムまでの消費を認め、それ以上は禁止するなどという規定は、少なくとも自由な国家ではありえない。生産過程のどこかに、高い税をかけることはありうるが、大きな反対が予想される。何故、肉にだけ特別に税をかけるのか、不公平ではないかと。
 むしろ、可能なのは、国ごとの温暖化ガスの排出削減の方法として、動物肉、特に牛肉の削減を認めることで、そのほうが効果的に違いない。削減された牛肉の消費量に応じて、温暖化ガスの削減にカウントするということだ。そうすると、国内での牛肉を食べない運動が盛んになるかも知れない。そうして、牛肉の消費が圧倒的に少なくなり、牛肉は特別な機会にのみ食べるような食品になっていけばよいと思う。そして、代替肉なども、次第に無意味になっていくことが望まれる。
 しかし、こうした点は、それぞれの社会の食文化にも大きく左右されると思われる。その点での考察を次に試みたい。(続く)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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