学校現場にIT化の波が押し寄せているが、それに対する批判的記事があった。
「紙の辞書なんてゴミ!」新聞、テレビが報じない教育現場DX化の残念すぎる実態。
【後編】「辞書なんてゴミ」「ババアは老害」定年間近の女教師を悩ませるIT化の怒涛。
登場する教師は、高校の古典を教えていて、すべてノートは手書き、紙の辞書を活用する、等の伝統的な教育スタイルをとっているだけではなく、そうしない生徒を非難しているように感じられる。生徒全員に iPad が支給されるようになって、いかに混乱が起きているかを告発し、かつ、それを職場で訴えても、若い教師に一蹴されているという記事だ。更に、支給後いじめが頻発し、しかも加害者がほぼ全校生徒となったという告発がなされている。しかし、ある特定の生徒への誹謗文書が、簡単に全校生徒に配布されるのだろうか。もし、そうだとしたら、それは学校のネット運用に問題があるとしか思えない。
この教師は50代後半で、私は20歳近く年上だが、この教師の感覚の古さには、率直に驚いている。iPad を配布されているなら、辞書はiPadにいれればいいではないか。歳のせいもあるが、私はずいぶん前から、紙の辞書はほとんど使わなくなった。電子辞書、パソコン、タブレットで使っている。紙の辞書の文字は小さいので、読みにくいこともあるが、何より、場所をとらないし、持ち運ぶ必要があるときには、そこにすべて入っているから、何冊もの辞書を持ち運ぶ必要がない。この教師は、古典辞書だけ考えているのかも知れないが、高校生なら他に英和・和英は必須だろう。社会や理科関連の辞書は、紙で携行することは難しいだろうが、電子辞書なら一括して使用できる。今の時代に、辞書は紙ベースでひくことが大事などという教師がいるのか、と逆に驚いた。
教育は、確かに現在既に存在している文化を教えるものだ。特に古典は、すべて過去のもので、現在に素材はないが、それでも、教育そのものは未来のために行なうものだ。未来を支える人たちに、未来にも必要なことを教えるのである。従って、将来的に必ず必要なメディアが現れ、それが教育に応用できるもの、応用すれば教育効果があがるものなら、教師は積極的にそれを活かす方法を学び、実践のなかに取り入れるべきである。そして、それは文科省がギガスクール構想を実施する、ずっと以前から社会的には課題だったのだ。
もっとも、この教師は、iPad が導入されて、講習を受けて使い方を学んだという。だから、生徒たちが、どのように使っているか、悪用まで含めて十分に認識しているという。そして、その悪用について、他の教師たちに訴えたわけだ。だから、教師としての姿勢はりっぱだといえる。ところが、その点でのコミュニケーションもうまくいっていないようだ。小さな問題だと一蹴されてしまった。従って、統括する学校の運営状況も問題を抱えているように思われる。
IT機器は、極めて便利なものであるが、悪用も盛んなのだから、積極活用派と悪用批判派が、十分に意思疎通して、適切な使い方を生徒たちがするように、どのようにもっていくかを十分に検討しなければならない。単に自分の立場を主張しあっているだけでは、全体の改善にはならない。確かに便利であるが、いじめの手段になっていることも事実なのだから。
このような、混乱している学校が多いか少ないかは、私にはわからないが、おそらく、ごく稀ということはないだろう。というのは、IT導入そのものが、極めて乱暴かつ間違った側面をもって行なわれたからだ。これまで何度か書いたが、必要なことは、それぞれの教師が行なっている実践で、このような点は、ITを活用すれば、より効果的であるということが認識され、そのためにどのようなソフトがあるかを確認して、そのソフトを動かすハードを、ソフトとともに導入する。そして、その効果を確認する。そういうプロセスで導入が進むのが、もっとも効果的なはずである。最初から必要性を認識しているのだから、活用に躊躇はないし、必要なものが導入されている。
しかし、実際に進行したのは、すべての児童・生徒にパソコンないしタブレットという「政策」であり、導入してから、とにかく活用しろ、という指導がなされたわけである。活用に疑問が生じるのは当然なのだ。何故ハードウェア導入が先行するかといえば、この政策が利権に絡んでいるからといわざるをえない。
では、どのようにすればいいのか。
初めから、パソコンやタブレットを使うことを目的としたような授業をすれば、退屈に決まっている。パソコンを使うことによって、確かに、通常の授業では難しかったことが、より効果的に学習できるようなものでなければ、生徒にとっては、(教師にとってもだが)使う意味を実感できない。そうした実感をともなう使いかたをすれば、生徒は、自発的に有効な使い方を発見していくだろう。パソコン等の悪用(いじめに使う)などは、有効な使い方を実感できないところで、加速していくものである。
この点について、もっとも進んだ取り組みをしているのは、「デジタル・シティズンシップ」の提唱である。坂本旬氏が中心になって、その分野をどんどん具体的に積み上げているから、ぜひ参照していただきたい。
この問題を書いているときに、考えてしまったのは、ウクライナ戦争である。「スマホが変えた戦争 市民から4000件の情報提供も…ウクライナの戦略」(毎日新聞2.24)である。
圧倒的に人数や装備で勝っているロシアに、ウクライナが対抗している理由のひとつが、IT戦略で勝っているからとされている。市民がスマホで情報提供することによって、ウクライナ軍が成果をあげていることが紹介されているのだが、決して、戦争が開始されてからの話ではなく、以前からウクライナ市民のIT能力が高かったし、意識もあったから、侵略されてから、戦争協力の拡大が可能だったということだ。
そういう点で、日本の教師たちのIT意識は低すぎるような気がしてならない。