大阪府藤井寺市の教科書選定をめぐる汚職で、市の教育委員2名が辞職することになった。2020年に、実施された選定での汚職で、元市立中の校長か懲役1年6月、執行猶予3年、追徴金6万4000円の有罪判決を受けている。便宜を図った側の大日本図書の取締役らも罰金命令を受けている。
この事件について、伊東乾氏が、「藤井寺市の教科書選定「贈収賄事件」に透けて見える日本弱体化 教科書利権と「自虐的」数学教科書排除は焦眉の急」と題する文章をあげている。
教科書採択をめぐる汚職は、明治時代から続いており、そのために国定になったり、検定になったりしているが、法で厳しく罰せられるとしても、特に現在の採択制度では、採択されないと、会社自体が倒産してしまう危険性が高いためもあり、こうした汚職は耐えない。だから、検定や採択をめぐる制度面での改変が必要なのだが、伊東氏が主に論じているのは、更に、教科書の水準が下がっていることの指摘と危機感の表明である。
私も同じことを、ずっと以前から感じていた。私が勤務していた大学では、毎年の学園祭で、教育研究所が、教科書展を開催していた。それは一国の教科書を多数集めて、展示するというものだ。毎年国を変えるから、かなりの数の国をカバーしていたと思う。もちろん実物の教科書だ。言語を読めない国のものも多いのだが、めくっていれば、雰囲気はわかるし、数学などは、おおよその内容は理解できる。
私は教職も担当していたので、学生の実習校を多数訪問して、授業を見学した。当然、そのときに、教科書を参照するわけだが、日本の教科書の水準の低さには、危機感を感じていた。
他国の教科書と比較して感じる日本の教科書の特徴は、とにかく、イラストと写真が多く、りっぱな紙を使用して、外見は見栄えがするが、内容はいかにも薄っぺらな感じがすることである。
歴史の教科書は比較しやすい。日本の歴史教育は、小学校で半年ほど、中学で2年間(地理と平行で)、高校では日本史と世界史に分かれてそれぞれ1年間学ぶことになっているが、いずれも古代から現代まで、学び直すことになっている。だから、高校ですら、エッセンスを学習するしかない。だから、要点が書かれていて、ある事件が何故起こったのか、どのような過程をたどって、どのような結果になったのか、などの詳しい分析は、高校の教科書ですら、まったく書かれていない。まして、多様な学説に分かれている場合などの、それぞれの解説などは、ほとんど触れられない。欧米では、下の学年から、古代、中世、近代と時代を区切って、順番に上級学年にいくにつれて、新しい時代を学んでいく方式が多い。だから、学校段階ごとに全地代を学び直すようなことはないから、詳しく学べるわけである。
また、英語では、歴史は、historyであり、ドイツ語ではGeschichteであるが、これは、「物語」を含んだ言葉である。しかし、日本の学校で学ぶ歴史は、物語性はほとんどなく、重要事項を覚えるものになっている。私の感覚では、歴史は決して「暗記もの」ではないが、学生たちの感覚は、歴史は、暗記科目の代表である。このような教科書で、歴史が好きになったり、興味をもったりすることは、ほとんどないだろう。
理科や算数・数学もあまり変わりない。低学年の算数などは、まるでコミックの本かと思うようなものもある。日本には、仮説実験授業という、実に優れた理科教育の方式があるのに、教育行政側は、これを厳しく制限している。
10年ほど前になるが、教育実習の研究授業で、算数の九九の授業を見たことがある。5の段をやっていたのだが、5×2、5×3・・・と順番に、何故10、15になるのかを、ひとつひとつ丁寧に説明していく授業だった。授業後に、既に前の段で同じことをやっているのだからは、とりあえず簡単に復習的に確認して、覚えさせるなり、練習をするのも含めるべきではないか、と学生に聞くと、「自分もそう思うのだが、先生から指導されている」というのだ。その担任の教師も、同じようにやっているのだそうだ。考えて理解させる、ということを重視しているから、そうしているようだが、形式的で、実は考えているわけでもない。そういう形式化された「考え」る授業をしているために、実際に、算数として必要な要素が、ひどく乏しくなっているのである。もちろん、教科書がそうした教え方を想定しているようだ。
日本の教育は、いくつかの段階で変質してきたと思われる。もちろん、実際の現場は多様だと思われるが、政策的な変化があり、それが現場に影響を大きく与えていることは間違いない。
第一は、戦後改革後の比較的自由な教育が行なわれた時期である。もちろん、混乱期ともいえるが、統制がごく少なかった時期で、好きなことができたといえる。
この時期には、いわゆる戦後改革の反動が起こって、教育面でも逆コースとされる改革が行なわれるが、その統制対象は主に教職員組合の活動であって、学習指導要領の法的拘束化も行なわれたが、実際に、教育内容や教育方法への統制が進んだとはいえない。高度成長期に、受験競争が次第に激化したが、小中学校が受験指導を重視したものに変質していったとまではいえない。
第二期は、1960年代末に大学紛争から始まって、学校が荒れた状況になり、大学管理や生徒指導などの管理化が進んだ時期である。
そして、生徒の行動への管理が徹底した一方、いじめや不登校が大きな問題となり、80年代になると、ゆとり教育に移行せざるをえなくなった。教材の精選がなされ、この時期から、目立って教科書の内容が少なくなっていった。(第三期)
21世紀に入り、PISAが実施されるようになって、2回目の成績が落ち込み、ゆとり路線の放棄と学習内容を増やしつつ、多少とも考えさせたり、ITを意識した内容となっていった。(第四期)
第三期後半ころから、いわゆる「標準化」という教育方法の定式化が推進されるようになり、内容だけではなく、教え方、指導法なども、統制される状況が生まれつつある。つまり、このころから、少しずつ、教育のやり方を、具体的に統制する要素が出てくるのである。
・偏差値の拡大。1960年代に現れた偏差値は、少しずつ高校受験に応用されるようになり、1970年代に共通一次テストで大学まで対象とされるようになって、偏差値が教育現場を支配するようになっていった。これは、現在でも変わらない。
・小学校で市販テストを使うようになった。教師が自らテストをつくらず、また、市販テストの領域に、授業そのものが影響されるようになった。その結果、教師の授業力の育成がしにくくなったといえる。
・全国学力テストの復活後、県・市のテストが加わり、PISAを頂点とするテスト体制になった。
・他方、大学入試の多様化により、学力テストを経ない入学者が半数近くになった。必ずしもすべてがマイナスとはいえないが、大学で学ぶ基本的な学力を身につけない大学生が増えることは、教育の質を低下させることはあっても、向上させることはない。
まとめると、高度成長期ころまでは、教育への管理統制は、組合活動が対象であり、授業に関しては、比較的緩かった。受験競争が激しくなったが、試験対策は、まだ個人的努力が求められた時代だった。
こうして日本の教育は、近年、つまり1980年代以降、広範囲に、極めて統制されたものになり、その結果、実は創造的な領域は当然、基本的な部分においても水準低下をしていると考えられる。これは伊東氏の指摘することと同じである。その具体的現れを次に考えてみよう。(続く)