総務省行政文書 放送の中立を考える1

 立憲民主党小西議員と高市大臣のやり取りとなっている、総務省の行政文書を全文読んでみた。もっとも、繰り返しが多く、その異同にはさして意味が感じられなかったので、ざっと読んだということだが。総務省のホームページにいくと、簡単に入手できるので、興味のある人は、実物をみるといいのではないだろうか。官庁と官邸は、こういうやりとりをしているのか、と理解できるが、なんと無駄なことに労力と時間をさいているのだろうと、逆に感心してしまう。
 話題になっているのことは、放送法の政治的中立として、ある番組では、一方の政治的立場のみを取り上げ、他の番組で、他の立場をとりあげれば、中立と認定できるのか、あるいは、特定のひとつの番組内で、ひとつの立場しか取り上げていない場合にも、中立を侵しているとみるとか、という問題を、延々とやっているわけだ。つまり、ある番組が、政府与党からみて、偏向番組だというだけでは、放送局の番組全体としてバランスをとっているということになると、その番組に圧力をかけること学校できないから、ひとつの番組だけで、バランスがとれていないときには、中立を侵している認定する、つまり、圧力をかけて「是正」させることができる、そういう目論見をなんとか通したい官邸と、総務省のやりとりが、何度も字句修正されながら、圧力を感じさせていくプロセスとみてよい。

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東京外大入試で数学必修にしたら応募者激減

 東京外国語大学が、入試科目として数学を必修にいれたら、案の定受験者数が激減したという。
「東京外大の入試「数学2科目」必須化という大英断!前期の志願者数は前年比74%に減少のインパクト
 前年比74%というのは、私は意外に多かったように思った。もっと減るのではないかと。早稲田の政経学部でも同様のことが起きたが、実は、私の所属していた大学でも、過去にそうしたことがあった。確かに大学での勉学に、数学が必要な領域だったので、受験科目として数学を必修にしたら、74%どころか、半減に近かったように思う。その学部は、新設間もない時期で、おそらく教員たちは学生指導に意欲的で、数学が必要であることは、教員全体のコンセンサスだったに違いない。しかし、他学部の教員は大丈夫なのか、絶対に受験生が相当減るはずだという危惧が支配した。案の定の結果だったから、すぐに数学必修は撤回されてしまった。理事会からの強い要望もあったようだ。私学にとっては、受験生と入学者の確保は、絶対的存立条件だから、いかに適切な方針でも、受験生に敬遠されることが確実なことは、なかなか実施できない。大きなジレンマだ。ja

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環境が変わらないと気付くのは難しいのだが

 宮崎園子という、元大手新聞社の記者だった人が、退社してフリーランス記者になって「よくわかった」ことを書いている記事が出た。(3月6日付け)
「新聞記者を辞めてよくわかった、新聞が読者の「知りたい」に応えられない理由」
 
 一読して残念な感じになる文章だった。新聞社の記者だったときには、よく分からなかった、あるいはあまり強く意識しなかったことを、フリーランスという立場で活動するようになって、実感としてわかるようになったことがいくつかあるという記事だ。
 地方議会の取材にいったときに、記者席に座ろうとしたら、記者クラブに入っていない記者は座れないのだ、と言われて、改めて記者クラブにいることによって、大きな情報アクセスの機会が保障されていたのだということ。記者クラブは特権だったと気付いた。

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科学技術立国と博士課程問題

 科学技術立国としての日本の地位が低下していることが、しきりに言われるようになっている。あちこちで記事がでるが、本日(5日)に「「科学技術立国」生き残れるか テコ入れ急務の博士活用政策」と題する、かなり長文の論説がでた。
全体として、博士課程の充実と、博士たちの処遇の改善が、必要であるとするもので、現在の政策では、どんどん日本の地位が低下し続けると警鐘をならしている。
 全体としての主張に異論はないが、しかし、多少粗雑で、領域を区別しない議論には、違和感を感じてしまう。博士といっても、分野によって、その重みが違うし、また、取得する大学院によっても、実はかなりのレベルの差がある。それに、日本社会では、博士号をもっていることが就職の条件になっているところは、極めて少なく、理系の大学くらいではないだろうか。大学といっても、文系の場合、博士号取得を条件にしているところは、極めて少ないと思われる。実際に、文系の場合だが、博士号をもっていない優秀な研究者はたくさんいるし、博士号をもっていても、あまり高い能力を感じない研究者もいる。

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研究者になりたい学生への対応 神戸大学の処分から

 神戸大学のハラスメントによる懲戒処分の記事が複数あった。しかし、内容が多少異なり、かつ、複数の教師が対象になっているので、正確な事実関係がわからないが、不正確でも、そういうことが、もしあったのなら、という仮定でも十分に考える必要がある。
 
 まず、「「神戸大准教授、複数の学生に「お前みたいな成績悪いやつが」…別の准教授は職務放棄発言」」という読売新聞の記事だ。
 この記事では、ゼミに所属していた学生に、「私の能力では博士課程修了まで指導はできない」といって、学生が志望の変更を余儀なくされたとし、また、この学生に、「他の学生の成績を見せた」としている。この教師は4カ月の停職処分になったという。しかし、別の記事では、事実関係が異なって書かれている。

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林外相のG20欠席 委員会の拘束も問題

 現在開催されているG20の外相会議に、日本の林外相が欠席したことが問題となっている。開催中の国会予算委員会への出席が理由だという。しかし、林外相の答弁が53秒だったことも、話題性を増大させているようだ。
 維新の会から、この欠席について問われると、岸田首相は、総合的判断から、外務副大臣を派遣するのが最適と判断したと、答弁している。野党からも批判が出ているというが、立憲民主党のホームページをみると、昨年からはっきりしていたG20の日程を十分考慮しなかったのか、という「日程調整のミス」という形での談話がだされている。共産党のホームページでは、この点についての見解は見当たらなかった。
 専門家も含めて、多様な見解がコメントされていたが、いくつか考えるべき点があるようだ。

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パソコントラブル顛末

 最近のパソコンは、滅多に故障しない。ハングアウトなどはたまに起きるが、ソフトの問題であって、ハードとしてのパソコンは、本当によく働いてくれる。しかし、使っている二台のパソコンが同時に多少おかしくなってしまった。ひとつは、HPのゲームパソコン(OMEN)でデスクトップ。以前はこちらがメインだったが、今は、たまにしか使わなくなった。それは、部屋の問題であって、本当にはそちらをメインにしたいのだが。
 もう一台は富士通の親指シフトキーボードになっているノートパソコンだ。こちらは、青山にある親指シフト専門店が、富士通に特別注文して作らせている特別使用のもので、機能の割には高価だった。しかし、旅行にもっていっても、親指シフトで打てるので、非常に重宝しており、こちらが現在はメインになっている。(残念ながら、現在はこの手の親指シフトのノートパソコンは作っていないので、これが壊れたらどうしようかと危惧している。)
 最初におかしくなったのは、OMENで突然起動しなくなった。そして、びー、びー、という音がするだけで、一向に起動しない。これは困ったと思ったのだが、旅行にでかける前日だったので、どうにもならず、そのまま一週間の旅行に。

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マイノリティ支援とカミングアウト (SOGI)

 LGBTや同性婚の主張に関して、大方同意できても、なんとなく細部で同意できない部分があることが多い。そのことは、これまで何度か書いてきたが、今回、かなり同意できる主張にであった。神谷悠一「「誰」から「何」へ 性的マイノリティ支援制度の課題と発展可能性」『マイノリティ支援の葛藤』明石書店所収)である。
 性的マイノリティ支援が進んだとしても、その目的に限定されている支援制度である場合、カミングアウト(自分が対象者であることを明示する)が必要となり、そのカミングアウト自体が不利をもたらすことが少なくない。だから、カミングアウトをためらって、結果として支援を受けられないことがある。そこをどう克服するかという問題について書かれている。

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チャットGPTを使ってみた 学校で利用できるか

 話題になっているチャットGPTが、羽鳥モーニングショーで取り上げられていて、なかなか興味深かったので、考えてみた。解説者によると、産業革命以来の大きな社会変革がもたらされるという。AIは確かにそのように言われていたが、いよいよその実感を伴う変動が置きつつあるということか。実際の感覚を掴むために、早速使ってみた。
 教育を専門にしてきた者としては、学校現場への影響がまず考えざるをえない。
 学校で生徒が利用するとしたら、調べ物をすることと、レポートを書くこと、更に、作文、特に英作文には活用できそうだが、問題は「調べる」「レポートを書くこと」についてだろう。
 「調べる」については、かなり精度が低いように感じた。以下は、桶狭間の闘いについて質問してみた回答である。最初の回答が明らかに間違っているので、その訂正を求めたのが後半である。

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五十嵐顕考察5  マルクス・エンゲルスの教育論1

 五十嵐顕氏の研究者としての業績の柱をまとめると
・マルクス主義教育論
・教育財政論
・民主教育論
・戦争体験と戦争反省
 今回は第一のマルクス主義教育論の理解と継承を考えてみたい。しかし、直接マルクスの教育論を分析した論文は比較的少ない。著書の『マルクス主義の教育思想』でも、マルクスとエンゲルスの教育思想を分析した文章は「序文」だけで、本文はレーニン、ルナチャルスキー、クララ・ツェトキンの思想とソビエトとドイツ共産党が扱われている。本書の出版が1977年であり、収録の論文はすべて1960年代と70年代のものだから、マルクス・エンゲルス、ツェトキン、レーニン、ルナチャルスキー、クルプスカヤ等が、同一の土壌の思想家として扱われていることは、時代的な背景があったといえる。しかし、今日再度こうした議論を検討する場合には、根本的に異なる「土壌」がある。つまり、ソ連を初めとする社会主義国が、ほぼすべて崩壊しているからである。ソ連崩壊後、社会主義者を名乗っていた人たちの多くが、引き続き社会主義思想を発展させる努力を継続していたようには思えない。そして、上記思想家は、発展プロセスにある一連の思想家として理解されていたが、現在では、スターリンほどではないにせよ、レーニンもかつての社会主義者からも批判の対象になっているし、相互の相違も、以前よりずっと強く意識されている。

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