書籍のストリーミングサービスの拡大を

 五十嵐顕著作集との関係で、マルクス・エンゲルスを読みなおそうと思って、大月書店の「マルクス・エンゲルス全集オンライン」を申し込んだ。書籍ももっているのだが、このオンラインは、研究する視点で読むときには、紙とは比較にならないくらいに便利だ。もちろん、書籍をもっていない人にとっても、現在絶版のはずだから、自由に読める。
 何が便利かといえば、検索機能が使えることだ。「教育」「学校」という検索語をいれると、マルクスとエンゲルスが、この単語を使用した文章の一覧がでてきて、順番に読むことができる。だから、読み落としがないわけだ。検索語は自由に設定できるので、それぞれの問題意識から、必要な文章を選び出せることは、研究者にとっては、実にありがたいシステムである。
 
 そこで、こうしたオンラインで読めるサービスを探したところ、「サブスク電子書籍読み放題」という文章で23のサービスが紹介されている。私自身、これまでアマゾンのunlimeted、タブホ、楽天マガジンを利用したことがあるが、この23を見ると、まだまだ日本でのサブスク電子書籍は、未発達だと思ってしまった。

 この23のサービスのほとんどは、雑誌、コミック、ライトノベルが中心である。これは、通常「読書」としてイメージされる書籍ではない。雑誌といっても、文藝春秋や中央公論など、論壇誌といえるような雑誌は含まれていない。少なくとも私の「読書」、あるいは本を読んでいるというのは、一冊の本、専門書、教養書、文学作品等をイメージする。もちろん、コミックや雑誌を読むことを否定するつもりはないし、雑誌は、私も読んでいるが、しかし、読書をしている気持ちにはなれないし、学生たちに読書を勧めるときには、専門書や教養書のことだ。そうした一冊の本の電子書籍をたくさん含んだサービスは、どうやら、アマゾンのunlimited しかないようだ。アマゾンでも、日本語の書籍は、かなりコミックが多い。そして、例えば、有名な古典で数冊に渡る場合、1巻は無料でunlimited で読めるが、2巻以降は購入しなければならないことがほとんどだ。英語だと、かなりの「固い」本が揃っているのだが。
 
 音楽の領域をみると、現在の若い世代は、もはやCDなどを購入するのではなく、多くの人はストリーミングサービスを利用して、音楽を聴いている。私は、まだ大量のCD所持者だが、重なってもっているCDを娘にあげようとしたところ、早速spotifyで調べて、そこにあるので不要だと言われてしまった。ストリーミングサービスは、現在は発売されていない録音も大量に聴くことができるし、場所をとらないから、CDなどはやがて消えていくことは、確かだろう。
 私自身は、ヘッドフォンで聴くのではなく、スピーカーで聴きたいので、完全にストリーミングに移行したいとは思わないが、アパートやマンションで生活している場合、大きな音をだせないし、置き場所が必要だから、CDをスピーカーで聴くスタイルは敬遠されるだろう。
 
 では、なぜ本格的な読書のためのサブスク電子書籍、特に日本語の書籍は普及しないのだろうか。
 歴史的背景として、公共図書館の貧弱さがあるように思う。日本人の読書好きは、たいてい本を購入して読む。ところが、欧米では市民の多くは図書館で借りて読むと言われている。逆にいえば、公共図書館が充実していないから、本を買わざるをえないわけだ。
 アメリカの有力大学と日本の大学を比較するとよくわかる。
 アメリカの有力大学では、授業で指定された書籍は、だいたい履修学生数だけ、その書籍を図書館に揃えるとされている。これは、ハーバード大学を卒業した人に確認したところ、だいたいはそうだ、と言っていた。ところが、日本では、指定された図書でも、通常一冊しか図書館にないし、あっても2,3冊だろう。つまり、授業で必要な本を読ませようとしても、購入させなけばならない。しかし、いちいち指定本を購入する学生は、ほとんどいない。特別読みたいと思ったものは買うかも知れないが。
 だから、アメリカの大学生と日本の大学生とでは、大学における学習効果がかなり違ってくるのである。ヨーロッパの都市で、いくつか公共図書館を利用したが、やはり、日本の市立図書館などと比較して、圧倒的に充実していた。
 
 現在の図書館は、書籍だけではなく、オンラインサービスの比重が高くなっている。「図書館」というより、「メディア館」というべき存在である。少なくとも大学ではそうなっている。ところが、残念ながら、ソフトが不十分なのである。
 グーグルが、世界の大学図書館に所蔵されている本をすべて電子化する、という事業を始めようとしたことがある。私は大いに期待した。しかし、それに対して、主に著作権団体が猛反対をして、不十分な取り組みになってしまった。google books などで、その成果を利用できるが、書籍全部を利用できないことがほとんどだ。ずいぶん前に既に絶版となっており、図書館にしか存在しない本を電子化して、世界中からアクセスできるようにすることに、何の問題があるのだろうか。著作権も切れているものだ。著作権団体は、そういう書籍まで電子化して、一般に読めるようにすることに反対をする。著作権は文化を守るうえで重要だが、過度な著作権保護は、文化の普及を妨げる。ストリーミングサービスは、音楽の普及を促進したと思うが、書籍での著作権者たちの頑な対応が、書籍の普及を妨げているように思うのだが、どうだろうか。
 
 現在どこの図書館も、増え続ける図書の保管場所の確保に困っている。グーグルが企図したように、電子化して、本を廃棄してしまえば、場所の問題は簡単に解決するし、書棚なども廃棄して、空間を他に転用できる。そして、電子化した書籍を端末で読めばいいのだ。コピーできなくする技術は確立しているはずである。書籍も電子書籍として購入し、同時に読める人数を定め、そういう前提で書籍代を定めれば、大学の授業で指定された本を、学生たちはもっとたくさん読むことになるだろう。そうすれば、全体の教育レベルが確実に向上するはずである。
 著作権団体が、こうした動向を妨害するならば、書籍文化そのものが、更に縮小していくことは確実である。本のストリーミングサービスが、発展することを期待する。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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