「「教育実習の女子学生に教諭「俺ならクビ切る」「帰れ」と大声で叱責…涙ながらに会見」」(2023.3.8)
と題する読売新聞の記事がでた。URLをコピーしても、それが反映されないので、記事の主要部分を転載しておく。
読売新聞
県教育委員会によると、21年10月11日~11月5日、保健体育の男性教諭が「帰れ」「俺ならクビを切る」「自己評価が高すぎる」などと大声で叱責(しっせき)したという。女子学生は発熱などに悩まされるようになり、実習後、心療内科に2週間通院した。
家族からの訴えを受け、22年1月から男性教諭らに聞き取りを始め「一部言動で不適切な指導が確認された」として、ハラスメント行為と判断。聞き取りに対し男性教諭は「大声で厳しく言ったことはあるが、内容については覚えていない」と話したといい、同年3月末、自己都合で退職した。
女子学生は「今でも教育実習のことを思い出す」と涙ながらに語った。学校側などには実習中の成績の再評価などを求めているという。県教委の長岡幹泰教育長は「教員の夢を諦めざるを得ない状況に追い込んでしまい大変残念に思う。今後は教育実習の適切な実施とハラスメントの再発防止に努める」とコメントした。(以上)
かつて教育実習担当教員であったために、いろいろなことがあり、考えてみたいと思った。
教育実習は、いろいろな課題があり、トラブルも起きやすい。また、不満がかなりあるのに、表面化しない場合もある。
実習生を送り出す側(大学)としては、最大限事前の指導をして、責任ある態度で、かつ実習校の方針と指導に従って、実習をしてくるように指導している。私の学部では、中高社会の実習生の事前準備の必修科目を、私が担当していた。だから、その科目を落とすと、実習にはいけない。何人か、単位をとれず、実習にいくことができなかった学生はいる。そして、単位を与えていいのか迷った学生もいる。私自身は、資格の付与は、その資格をもった人にサービスを受ける人たちに、保障を与えるものだから、いいかげんには与えることはできないと考えていたので、しっかり勉強し、課題を果たさなかった学生には、単位を与えなかった。しかし、それはごく少数だった。ほとんどの学生は真剣に学んでいたからである。
実習生を受け入れる学校として、それぞれの方針で指導をしていると思われる。こまるのは、やる気のない実習生や基本的な資質を欠いた実習生を、指導しなければならないときだろう。実際に現場の教師から、そうした悩みを聞いたことは何度もある。教職につくつもりはないけれども、何か資格をとっておきたいという理由で、教職のコースをとる学生はたんさんいるから、実習など面倒なことだと、できるだけ手を抜いて実習をする学生もいるに違いない。また、やる気はあって、人を教えることは非常に難しいことだから、能力に欠けている学生にとっては、一生懸命やっているが、空回りしてしまって、子どもたちから浮いてしまう学生もいるだろう。
指導する教師は、自分の担当する子どもたちがいるわけで、実習生がいいかげんな授業をしたら、後で取り戻すために苦労しなければならない。
そうした場合、受け入れ側としては、途中で実習をやめさせる、あるいは、単位を認めないことが可能なのか。私の長い勤務のなかで、そうしたトラブルはごくわずかだが、確かにあった。幸か不幸か、私のゼミ生ではなかったので、詳しい事情を知ることはできなかったのだが、だいたいのことは知ることができた。
まず途中で実習を放り出した学生が3人ほどいた。実はいずれもまじめで、力のある学生で、一人は、指導の教師の力があまりにすばらしく、その授業をみていて、すっかり自信をなくしてしまったので、子どもの前にたって授業をするなど、とうていできないと思い込んでしまったのだ。指導教師の授業がすばらしいことを見抜けたことは、理解力がある証拠でもあるのだが。指導の教師に話した上で、実習を離脱した。
他は、自分は教師になるつもりがないのに、授業をすることに、良心の呵責のようなものを感じて、おりてしまったケースだ。まじめな性格故の判断だったような気がする。そのことがあって以来、教師になるつもりがなくても、一生懸命授業すれば、子どもたちにとってマイナスではないし、また実習の経験は、他の職業に就いた場合でも、おそらく役に立つはずだから、自信をもって、しっかり取り組んでほしい、という話をするようにした。
途中でやめるのは、たいていはまじめな学生たちだった。困るのは、こまった対応をしているのに、そのことに気がつかず、改善もしないまま続けている場合だろう。現場のほうから、実習をやめさせることができるのだろうか。私が指導していた間に、そういう事例にはぶつからなかったが、当然、実習生といっても、勤務をするわけだから、あきらかに勤務者としての違反行為があれば、実習をやめさせてよいと思う。無断欠席、子どもに対するハラスメント行為、体罰などをした場合である。
こうした事例はなかったが、評価として落したいという相談を受けたことはある。多少の誤解はあったようだが、送り出す前から不安を感じた学生であった。もちろん、詳細を書くことはできないのだが。
指導の先生が、その実習生を絶対に認めることができないと感じたようだ。それを学生自身も感じて、ますます事態は悪い方向にいってしまった。そして、実習期間中に、大学のゼミの先生が呼ばれて、いかにひどい実習態度かを、縷々訴えられたという。私に相談があったので、私も実習校にいって話をした。そして、評価を不合格にしてよいか、と聞かれたので、それは実習校の権限なので、仕方ないと答えた。
私は、教職の資格は、子どもたちに対して、習う教師の品質保証をするものだと考えているので、教師としてやっていけるとは思えない人には、資格を認めないことが、子どもを守ることであると思っている。実習校での実習態度が、とうてい教職に耐えられないと判断されれば、不合格にするのが妥当だ。
指導担当教師は、不合格の線で校長に報告したところ、校長が反対して、結局、ぎりぎりの合格という評価になった。
逆に、明らかに指導する教師の側に問題がある場合もある。私のゼミの学生は、真剣に教職を目指して努力している者がほとんどだったので、そうした教師に出会うことは少なかったが(それでも皆無ではない)、教職につく意思がない場合には、どうしても熱意に表れがちなので、指導する側から、不満な態度がでてきて、学生を圧迫することがある。読売新聞の事例が、それに当てはまるのか、教師のほうに一方的な問題があったのかは、この記事だけではわからないが、事前の学生指導の際に、指導の教師との間がうまくいかなかった場合の対応については、細かく触れることにしていた。指導教師とうまくいかないときには、実習校の他の教師で信頼できるひとに、また一緒に実習をしている学生に相談する、そして、大学のゼミの先生に相談すること等。
記事のような暴力的なパワハラをしなくても、自分の授業スタイルを絶対視して、それを押しつけたり、違うやり方を認めないという指導は、たまに見受けられた。授業方法は、ひとつではないので、現場の教師としては、せめて他人の指導をする場合は、寛容な態度を示してほしいものだ。