生の演奏会か録音か

 先日、音楽会をこよなく愛するひとと話す機会があった。極論すれば、上手なCDより、多少劣るとしても、生の演奏会のほうを聴きたいという意見だ。そこは、重なる部分もあるが、違う部分もあると感じた。
 もちろん、録音は所詮音の缶詰であって、実際の演奏ではない。ライブ演奏といっても、人際には、ほとんどの場合修正してある。人間が演奏する以上、ミスはあるから、リハーサルや複数の演奏会の録音をとっておいて、ベストのものを主体に、他の録音でミスを修正するのである。クラシック音楽に、文字通りのライブ放送がほとんどないのは、ミスなしの演奏など、ほぼ無理だからだ。スポーツの場合には、相手がいるので、当然ミスは多い。しかし、それも観戦の面白さだと思うひとが多いだろう。

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またも除名騒動に 規約が問題なのではないか

 松竹伸幸氏への除名で、大きな社会的論議を呼んだ共産党が、同時期に、やはり党首公選を主張した本を出版した鈴木元氏を、3月16日に除名処分にした。
「共産党「志位氏辞任要求」で2人めの除名者が「やっていることスターリン」「政権とったら粛清が」SNSで広がる警戒感」
 京都府委員会がホームページで公表しているというので、みたが、それは以下の通りである。長いけれども、全文を転載しておく。
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 日本共産党京都府委員会常任委員会は、2023年3月15日、鈴木元氏の除名処分を決定し、3月16日、中央委員会がこれを承認し確定しました。鈴木氏は京都府委員会直属で、支部に所属していない党員であることから、府常任委員会での決定となったものです。除名処分の理由は以下のとおりです。

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プロの音楽家を育成しない音大の行方

 上野学園大学の学生募集停止から、理事長がバッハの自筆楽譜を勝手に売ってしまったというニュースがあり、大学の衰退についての記事をいろいろと読んでいたら、「日本人は「音楽大学」凋落の深刻さをわかってない 弱まる経済を補完する文化基盤の構築をどうする」という記事にぶつかった。
 筆者は、名古屋芸術大学教授の大内孝夫氏だ。銀行員から芸術大学の教師になったということで、音楽が専門とは思われないが、音楽大学の凋落について、分析をしている。上の文章だけではなく、スポーツとの比較などをした文章もある。
 ただ、大内氏の見方とは、私は多少違うと感じた。大内氏は、音楽大学(芸術系)が衰退することは、経済全体にとってマイナスであるという視点から、音大の凋落に継承をならしており、また、高校までの音楽教育の衰退とも関連しているとしている。

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音声認識ソフトの精度向上を実感

 久しぶりに、会議のテープ起こしをやったので、いろいろとソフトを探していて、結局、express scrive をインストールして使ったが、最近は音声認識が充実してきて、実用段階に入っていることがわかった。無料のものもいくつかあり、グーグルのドキュメントは、音声入力ができるし、精度が高いと書かれていたので、試してみた。
 音声認識は、ずっと以前から、いろいろと試していた。大学に、聴覚障害の学生が入学して、ノートテイクではどうしても不足なので、私の授業をとったときには、講義を録音して、その都度テープ起こしをして、ホームページにアップしていた。これは、教育的には非常に効果があって、聴覚障害の学生だけではなく、健常者にとっても、授業を聞いただけでは、十分に理解できなかったことを確認したり、あるいは欠席者が、授業の内容を正確に知ることができたからだ。しかし、かなりの時間がとられたことは間違いない。

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総務省行政文書雑感

 この話題は、前にも当の行政文書を読んで、思ったことを書いたのだが、そのときには、間もなく幕引きになると予想していた。しかし、今でもごたごたが続いている。小西議員は、政府が放送に介入することを批判する目的だったのか、文書を取り上げた意図が、定かでないのも疑問なのだが、放送介入問題はどこかにいってしまって、高市元総務大臣に焦点が完全に移っている。高市氏が、文書を捏造だと断言して、本物だったら、議員も辞めるなどと言ってしまったのが、紛糾の原因になった。師匠ともいうべき安倍晋三氏に見倣ったのかも知れないが、自ら招いた災難とはいえ、政治家としての欠点が、どんどん露になっている。小西が辞めるのか、高市が辞めるのか、ネットでは真っ二つに分かれているが、それは、あまり興味がない。不毛な論争は早めにきりあげてほしいところだが、吹き飛んでしまったことに、重要な課題や考えるべき点があるといえる。
 
 安倍氏の官僚を押さえつける力は大変なものだったのだなあ、といろいろな局面で感じるが、これもそのひとつだろう。総務省が、かつての総務大臣だった閣僚に、これほど手痛い仕打ちをするなど、安倍首相であれば考えられない。今は他の官庁の大臣とはいえ、閣僚が「捏造だ」といった文書を、「本物だ」と返したのだから、高市総務相(元)は、よほど官僚たちの信頼を勝ち取っていなかったのだろう。岸田総理自身が、自分の閣僚を庇わないのだから、一体誰に支持されているのだろうと、心配になってしまうほどだ。

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戦争の反省の難しさ 内原郷土史義勇軍資料館

 昨日、水戸市にある内原郷土史義勇軍資料館をみてきた。家を出るときには、同じ水戸市の県立歴史記念館にいくつもりだったのだが、途中で昼食をとり、さて行こうと車で運転しているときに、その看板が見えたので、ちょっと寄っていこうかということになった。偶然入っただけなのだが、かなり興味深かったので、時間をかけて見ることになった。そして、県立歴史記念館にはいかないまま帰宅した。
 
 感想は、少々否定的なものだった。実に詳細に、こまかなところまで資料を集め、わかりやすく展示していたのだが、その基本的立場に、どうしても納得できなかった。
 どういうところかというと、もともと内原の国民高等学校があったところだった。国民高等学校といっても、知らない人がほとんどだと思うが、戦前、デンマークのホルケホイ・スコレにならった、青年のための学校で、正規の学校体系ではないが、義務教育後の学校に行けなかった者や、もっと勉強したい人のために、おもに職業教育的な授業をしていた学校で、全国にあった。宮沢賢治は岩手の国民高等学校の教師をしていたのである。

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教育実習のトラブル

 「「教育実習の女子学生に教諭「俺ならクビ切る」「帰れ」と大声で叱責…涙ながらに会見」」(2023.3.8)
と題する読売新聞の記事がでた。URLをコピーしても、それが反映されないので、記事の主要部分を転載しておく。
 
読売新聞
 県教育委員会によると、21年10月11日~11月5日、保健体育の男性教諭が「帰れ」「俺ならクビを切る」「自己評価が高すぎる」などと大声で叱責(しっせき)したという。女子学生は発熱などに悩まされるようになり、実習後、心療内科に2週間通院した。
 家族からの訴えを受け、22年1月から男性教諭らに聞き取りを始め「一部言動で不適切な指導が確認された」として、ハラスメント行為と判断。聞き取りに対し男性教諭は「大声で厳しく言ったことはあるが、内容については覚えていない」と話したといい、同年3月末、自己都合で退職した。
 女子学生は「今でも教育実習のことを思い出す」と涙ながらに語った。学校側などには実習中の成績の再評価などを求めているという。県教委の長岡幹泰教育長は「教員の夢を諦めざるを得ない状況に追い込んでしまい大変残念に思う。今後は教育実習の適切な実施とハラスメントの再発防止に努める」とコメントした。(以上)
 
 かつて教育実習担当教員であったために、いろいろなことがあり、考えてみたいと思った。
 教育実習は、いろいろな課題があり、トラブルも起きやすい。また、不満がかなりあるのに、表面化しない場合もある。

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書籍のストリーミングサービスの拡大を

 五十嵐顕著作集との関係で、マルクス・エンゲルスを読みなおそうと思って、大月書店の「マルクス・エンゲルス全集オンライン」を申し込んだ。書籍ももっているのだが、このオンラインは、研究する視点で読むときには、紙とは比較にならないくらいに便利だ。もちろん、書籍をもっていない人にとっても、現在絶版のはずだから、自由に読める。
 何が便利かといえば、検索機能が使えることだ。「教育」「学校」という検索語をいれると、マルクスとエンゲルスが、この単語を使用した文章の一覧がでてきて、順番に読むことができる。だから、読み落としがないわけだ。検索語は自由に設定できるので、それぞれの問題意識から、必要な文章を選び出せることは、研究者にとっては、実にありがたいシステムである。
 
 そこで、こうしたオンラインで読めるサービスを探したところ、「サブスク電子書籍読み放題」という文章で23のサービスが紹介されている。私自身、これまでアマゾンのunlimeted、タブホ、楽天マガジンを利用したことがあるが、この23を見ると、まだまだ日本でのサブスク電子書籍は、未発達だと思ってしまった。

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総務相行政文書 放送の中立性を考える2

 総務省文書が提起していることは、要するに、放送法の政治的中立に関する「解釈」を変更したかどうかである。そして、その変更を強権的に行なったかどうかも、問題となるだろう。
 文書を読む限りは、安倍首相(当時)の意向を受けた礒崎補佐官が、従来の「全体としての偏向」から、「単独の番組での偏向」も、中立性を侵すものだという解釈変更を、総務省に迫ったと読み取れる。しかも、かなり高圧的だった様子が、明確に読み取れるわけである。
 
 そして、高市氏との関連でいえば、高市氏が安倍首相と連絡をとったかどうかが、ひとつの焦点となっている。前回も書いたように、首相が押し進めようとしていることを、その対象官庁である総務省が抵抗していて、かなり煩雑なやり取りがなされているとき、総務相であった高市氏が、まったく関与していない、つまり、電話でも対面でも首相と話し合っていないなどということは、ありえないことである。「電話では話していないが、対面で話していた。だから、文書は正確ではない」などというのであれば、語るに落ちるということだろう。要するに安倍首相と意思疎通をしていたかどうかが、焦点なのだから。

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ガーシーと林外相 ネット社会における国会のあり方

 ガーシー議員が帰国せず、求められた国会での陳謝をしなかったことで、除名という処分にいこうとしている。つまり、国会議員は、日本にいて、国会審議に出席しなければならないという前提での処分である。常識的には、審議に参加しなければ、国民の付託に応えているとはいえないだろう。
 他方、まったく逆の事態が最近起きていたことも注意すべきだ。それは、林外相が、G20の外相会議に、国会出席を理由に欠席していたことだ。しかも、国会での林外相の答弁は1分にも満たないものだった。1分未満のために、世界の顰蹙をかってしまったのは、問題ではないかという批判があふれた。
 つまり、一方は国会を欠席していることによって、他方は国会出席を優先したことによって批判されているのだ。もっとも、ガーシーという人を、私はあまり知らないし、彼のyoutubeなどはみたことがないので、逮捕される危険とか、そういう事態についてはまったく理解していない。だから、そういうことはまったく切り捨てて、国会出席の問題、あるいは、国会議員とは何をするものなのか、という点にのみ絞って、しかも、ネット社会でそれを考えてみたいのである。

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