この話題は、前にも当の行政文書を読んで、思ったことを書いたのだが、そのときには、間もなく幕引きになると予想していた。しかし、今でもごたごたが続いている。小西議員は、政府が放送に介入することを批判する目的だったのか、文書を取り上げた意図が、定かでないのも疑問なのだが、放送介入問題はどこかにいってしまって、高市元総務大臣に焦点が完全に移っている。高市氏が、文書を捏造だと断言して、本物だったら、議員も辞めるなどと言ってしまったのが、紛糾の原因になった。師匠ともいうべき安倍晋三氏に見倣ったのかも知れないが、自ら招いた災難とはいえ、政治家としての欠点が、どんどん露になっている。小西が辞めるのか、高市が辞めるのか、ネットでは真っ二つに分かれているが、それは、あまり興味がない。不毛な論争は早めにきりあげてほしいところだが、吹き飛んでしまったことに、重要な課題や考えるべき点があるといえる。
安倍氏の官僚を押さえつける力は大変なものだったのだなあ、といろいろな局面で感じるが、これもそのひとつだろう。総務省が、かつての総務大臣だった閣僚に、これほど手痛い仕打ちをするなど、安倍首相であれば考えられない。今は他の官庁の大臣とはいえ、閣僚が「捏造だ」といった文書を、「本物だ」と返したのだから、高市総務相(元)は、よほど官僚たちの信頼を勝ち取っていなかったのだろう。岸田総理自身が、自分の閣僚を庇わないのだから、一体誰に支持されているのだろうと、心配になってしまうほどだ。
安倍元首相が殺害されてから、オリンピック疑惑、いくつかの国庫補助不正などが、暴かれている。オリンピックなど、高橋容疑者は、オリンピックでの担当を嫌がったの(オリンピックにかかわると逮捕されることが多いと)を、安倍元首相が、絶対に逮捕させない、守ってやると口説いて、担当者になったわけだが、死んでしまったあとすぐに、逮捕されてしまった。
悪い意味であるが、安倍元首相の官僚への制圧力に、今更ながら驚いた。安倍元首相の死語、最もいきいきとし始めたのは検察かも知れない。
次に、大臣の劣化である。特に安倍内閣になってからの閣僚のお粗末さには、何度も驚かされた。その極めつけは、パソコンを使っておらず、USBのことを知らなかった桜田セイバーセキュリティ担当大臣だろう。任命者であった安倍首相(当時)は、適材な人選だったと述べたが、要するに、大臣の能力など、どうでもよいということだったのだろう。
以前は、たまにではあるが、民間の人が大臣になることがあった。制限はあるが、民間人が閣僚になることは、制度上可能であるし、また、望ましいともいえる。台湾やウクライナが、厳しい国家運営を強いられているのに、なんとか持ちこたえているのは、大臣として、本当にその分野に通暁している人材がついているからだ。特に、ウクライナでは、軍隊が情報を活用して、的確な作戦をとっていることで、軍事大国ロシアに対抗できているのだが、軍隊だけではなく、国際的な協力、市民、役人たちを、それぞれの担当部署のひとたちが、的確に動かしているからこそ、ウクライナは生き延びているわけだ。
もし、日本のような安易な閣僚任命をしていたら、ロシアの侵攻後、すぐにでもロシアに降伏せざるをえなくなったに違いない。
本来、高い能力をもっていなけれはならない、国の指導層である政治家が、能力適性に関わりなく、家柄で選ばれていることが、日本の力を低下させている。高市氏は、二世議員ではないが、資質のなさが露呈してしまった。
また、議員の劣化でもあるのだろう。そもそも、この議論は、まるで生産的ではない。小西氏も当初は高市氏を貶めようと思っていたわけではないだろうが、高市氏のほうで自ら墓穴を掘ってしまって、議論がどんどんずれてしまっている。バランスのとれた放送がなされることが大事で、権力が不当に介入して、特定の番組を辞めさせたり、担当者を降ろさせたりすることがないように、国会で確認することを意図していたのだろうが、いまでは、高市攻撃とその防戦ばかりになっているようだ。これでは、国会がやるべきことから、どんどんずれてしまっている。