給特法の論議 教師の残業はどうすればよいのか

 給特法(「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」)をどうするかという議論が、再び活発になっている。
 給特法とは、公立学校の教師の給与の特例措置を決めたものだ。
・残業手当をださない代わりに、基本給の4%を支給する。
・残業を命じることができる事項を限定し、それ以外の残業を命ずることはできない。限定された残業とは
1.校外実習その他生徒の実習に関する業務
2.修学旅行その他学校の行事に関する業務
3.職員会議(設置者の定めるところにより学校に置かれるものをいう。)に関する業務
4.非常災害の場合、児童又は生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合その他やむを得ない場合に必要な業務
である。

 本当に、この4つに限定されて残業が行なわれているのならば、現在のようなブラック企業とはいわれないのだが、実際には、これに当てはまらない、ほぼ強制的にやらざるをえない業務がある。保護者対応、部活指導、問題行動を起こした子どもへの対応、教育委員会からおりて来るアンケートや報告書の処理、他にもあるだろう。こうしたことは、「残業命令」ではなくても、やりませんとはいえない。しかし、4%の調整手当てには、入っていない部分といわざるをえない。そして、この時間帯が、この法律を制定した時期よりは、ずっと多くなっている。だから、残業したら、その分手当てをだすようにすれば、行政としても不要な業務を押しつけることは控えるはずだし、効率よく業務を仕上げるようになるだろう、という意図があるかも知れない。行政側からの、残業手当に変えるメリットだが、主要には、ブラック企業化した職場での労働を、より人間的なものにするための措置、働いたら当然その分の賃金を受け取る権利があるという、教師側のメリットということだろう。しかし、本当に残業手当を、時間通りに支払っていたら、膨大な経費が必要となり、基本的には、行政側は賛成しないだろう。
 
 前にも書いたことがあるが、私は、残業手当方式に変えるのは、あまり賛成ではない。それは、教職の特殊性によるものだ。
 一例をあげれば、教師にとって、最も重要な仕事は授業である。そして、授業をするためには、かなりの事前の準備が必要だ。通常の企業の勤め人が、会社で決められた仕事をしている時間をカウントすれば済むというのとはかなり違う。学校に残って授業準備をするひともいるだろうし、家族の世話のために帰宅して、夕食などの済んだあとに、準備をするひともいるだろう。学校でやれば、仕事のためなのだから、残業になり、家でやればならない、というのでは不合理だ。また、ベテランになって、何度も同じ範囲の授業をしたことがある教師は、準備時間が少なくて済むだろうが、新人は、かなり時間がかかる。新人はたくさんの残業代を得て、ベテランは、経験豊富であるが故に少ないというのも、合理的でない。
 委員会活動や報告書にしても、似たようなことがある。
 
 つまり、教職は、企業などで、働く内容が明確で、時間で決められている仕事なら、残業手当の仕組みがなじむが、教職は、仕事のあり方がかなり違うから、通常の企業の仕組みにはなじまないのである。
 もちろん、教職の過酷な労働条件は、絶対に改善する必要があるし、今のままでは、教育水準そのものを危機的にしてしまう恐れがある。被害者は教師だけではなく、子どももそうなのだ。
 
 では、どうすればいいのか。
 教師の授業数の基本と、全教師が関わる部分を、教職にとっての基本業務として決め、それ以外の部分について、手当てを支給するという方式が、最もよい。
 まず教師が全員関わる会議の平均時間を計算する。
 授業の必要コマ数は、授業時間と平均的に必要な準備時間を合算する。
 宿泊行事などは、その都度業務内容とかかった時間数を勘案して、通常の業務にわりあてる時間と、余剰部分をわける。
 
 職員会議や委員会が、どの程度行なわれているかは、学校によって違うだろうから、それは調査して、平均的な時間を計測する。かりに、全員が関わっている部分を週3時間程度にしておこう。
 授業は、一時間の授業の準備に2時間かかるとすると、一コマあたり3時間とする。週40時間労働として、会議部分をひくと37時間。37時間を3で割ると、一人のノルマが12コマとなる。これは、小中高では値が違ってよい。私は大学の教師だったが、ノルマは5コマ。大学の5時間は、小中高では10時間にあたる。もちろん、このなかには、宿題などの提出物のチェック、試験の採点などは含まれる。
 このように設定すると、授業にかかわる提出物チェックや、授業内容の準備を勤務時間内で済ませることが可能であるが、たくさん宿題だしたり、試験をしている、あるいは経験があさく、授業内容の準備がよりかかるような場合には、残業や家庭での作業になるが、それは、手当てが必要ないと、私は考えている。
 そして、これ以外の、全員がかかわるわけではない委員や、行事で特別に仕事がわりあてられる、ノルマ以上の授業については、手当てを支給する。その金額は、予め決められ、どれだけ時間がかかったかは、額には関係ないものとする。
 
 こうすれば、教育委員会からのアンケートや報告書なども、手当てをだす必要がでてくる。そもそも、そうした労務を無償労働させるなどということが、非常におかしなことなのである。現在の法では、そうした仕事を教師にさせることはできないはずであるが、実際には、義務として押しつけられ、手当てもでないままである。
 
 こうしてみれば、教師には、「残業」という概念を当てはめないということになる。
 考えるべきは、教師にとって、仕事時間が長いこと自体が問題なのではない。教師は、よい授業をしたいと思っているから、そのために時間を割くのは、苦痛ではないのだ。授業を準備することを妨げるような仕事が増えることが苦痛なのである。だから、本来の仕事以外には、すべてきちんと手当てをつけ、そのことが逆にそうした仕事を減らすことにもなる。そうすることによって、教師の意欲を高め、教育の改善を促進することが、最も重要なことである。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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