五十嵐顕考察5  マルクス・エンゲルスの教育論1

 五十嵐顕氏の研究者としての業績の柱をまとめると
・マルクス主義教育論
・教育財政論
・民主教育論
・戦争体験と戦争反省
 今回は第一のマルクス主義教育論の理解と継承を考えてみたい。しかし、直接マルクスの教育論を分析した論文は比較的少ない。著書の『マルクス主義の教育思想』でも、マルクスとエンゲルスの教育思想を分析した文章は「序文」だけで、本文はレーニン、ルナチャルスキー、クララ・ツェトキンの思想とソビエトとドイツ共産党が扱われている。本書の出版が1977年であり、収録の論文はすべて1960年代と70年代のものだから、マルクス・エンゲルス、ツェトキン、レーニン、ルナチャルスキー、クルプスカヤ等が、同一の土壌の思想家として扱われていることは、時代的な背景があったといえる。しかし、今日再度こうした議論を検討する場合には、根本的に異なる「土壌」がある。つまり、ソ連を初めとする社会主義国が、ほぼすべて崩壊しているからである。ソ連崩壊後、社会主義者を名乗っていた人たちの多くが、引き続き社会主義思想を発展させる努力を継続していたようには思えない。そして、上記思想家は、発展プロセスにある一連の思想家として理解されていたが、現在では、スターリンほどではないにせよ、レーニンもかつての社会主義者からも批判の対象になっているし、相互の相違も、以前よりずっと強く意識されている。

 確かに、時代の変化によって、思想家やその思想に対する評価が変わることは当然だとしても、現存の社会主義体制が崩壊したからといって、それを生み出した思想が、すべて誤りであったとか、継承する価値がないとはいえない。そうだとすれば、過去の思想家を研究する意味は、ほとんどなくなってしまうに違いない。
 
 丸山真男は、佐久間象山のような100年以上前に生きた思想家の今日の時点で学ぶ条件として、以下の点をあげている。
・現在使っている言葉、価値基準を一端かっこのなかにいれて、その当時の状況、言葉の使い方、価値基準に、我々自身を置いてみるという想像上の操作をする。
・思想家が生きていた歴史的状況を特殊な一回的なものとして考えないで、「典型的な状況」にまで抽象化していく操作(「幕末における視座の変革 佐久間象山の場合」『忠誠と反逆』ちくま学芸文庫p142-143) 
 こうした手法は、何も思想史の研究だけではなく、歴史一般の学習法として、教育の世界では重要視されている。
 丸山の視点を考慮すれば、現在、マルクスからルナチャルスキーに至る思想家を、一連の発展としてみることは到底できないだろう。
 産業革命後の資本主義生産の発展過程にいたマルクスやエンゲルス、帝国主義段階に活動し、帝国主義戦争を革命の呼び水にして、革命を実際に成功させたレーニン、他方、革命に失敗したドイツ共産党とツェトキンは、やはり、かなり違う歴史的状況に生きていたのであり、従って、そこで行動する価値基準にも相違があったと考えるべきであろう。
 更に、五十嵐氏の「マルクス主義教育論」を検討するためには、五十嵐氏が生きた時代の状況、言葉、価値観を十分に踏まえなければならない。そして、ソ連の教育や教育思想を検討するといっても、現在とは異なって、情報は極めて制限されていた。あるいは、支持する者と反対する者とでは、情報ルートが根本的に違っていたことによって、制限された情報にのみアクセスしていたのかも知れない。いずれにせよ、当時のソ連状況、そしてその情報アクセスの状況を踏まえて、五十嵐論を検討する必要がある。
 
 今回、そこまで十分に考慮することはできないが、少しずつ補っていくつもりである。
 さて、『マルクス主義の教育思想』の序文に引用されている、マルクスの言葉を整理してみた。
 
・ロバート・オーエンの工場制度から未来の教育の芽がでてきた。それは
 ・一定年齢の上のすべての子どもたちに、生産労働を教授・体育と結びつけようとするもの
 ・社会的生産を増大するための方法であるにとどまらず、全面的に発達した人間を生みだすための唯一の方法
・大工業は、古い家族制度と家族労働との経済的基礎とともに、古い家族関係そのものを崩壊させる。子どもたちの権利が宣言されざるをえなくなった。(以上資本論)
・児童労働による知的荒廃→14歳未満の児童の労働には、初等教育を法定条件とした。
・大工業は、変転する資本のために、自由に利用される貧困な労働者→変転する労働要求のための利用可能性
・児童は読み書きできないほうがまし、とする無政府主義への批判(政治問題への無関心)
・国家による国民教育ではなく、国家が国民から教育される必要がある。(ゴータ綱領批判)
・われわれの理解する教育とは
 1 知育
 2 体育 体育が軍事教練でおこなわれているようなもの
 3 総合技術教育 生産肯定の一般的原則とろう同部門の基本的な道具の使用法や扱い方
  9歳から17歳を夜間労働や健康に有害な職業に使用することを厳重に禁止(個々の問題についての暫定中央評議会議員への指示)
・9歳以上のすべての児童は、生産的労働者とならなければならない。(同上)(五十嵐はこれを注目すべきとしている)
・頭脳労働のプロレタリアートが大学から輩出されねばならない。(国際機社会主義学生大会への挨拶 1893)
 
 そして、五十嵐氏が、コメントとして書いてあることを整理したのが、次の通りである。
・マルクスとエンゲルスの「人間的自然、人格、能力、発達、環境に関する学説」は、教育本質の理論に意味をもつ。とりわけ労働の役割
・唯物論的見解は教育心理、発達心理、人格心理学の理論に影響
・20世紀にはいって、社会主義国、発達した資本主義国、植民地・半植民地の教育の運動・実践・研究に深い浸透的な影響
・労働 自然に働きかけることによって、人間自身の自然を変えてきた=人間の本性の発達における労働の決定的に重要な役割
・マルクスとエンゲルスは、だれでも能力を完全に発達させる権利をもち、それは物質的条件による客観的な要求であるとした。
・一般教育と職業教育をどのように統一していくか マルクスとエンゲルスの残した現代的課題である。
・家族が資本主義的搾取様式によって崩壊される実情をみている。
 
 以上を検討するだけでも、膨大な量が必要であるが、今回は、
・9歳以上のすべての児童は、生産的労働者とならなければならない。(同上)(五十嵐はこれを注目すべきとしてい)という点を考えてみたい。
 このマルクスの主張の前提として、当時過酷な労働環境に置かれていた児童労働を制限する工場法が制定され、その拡大と延長上にある義務教育の主張があったことを忘れてはならない。しかし、義務教育に通うだけではなく、おそらく一日2,3時間の生産労働に参加することを主張していたのである。しかし、その具体的形態については、述べていない。
 この問題を考える際に必要だと思われる、当時の状況を確認しておこう。
・当時まだ19世紀末くらいに先進国で成立する国民教育制度としての義務教育は、成立していなかった。資本主義が展開していた国家でも、当時の学校は、大学を除けば、貴族や富裕層のための中等教育機関と、主に教会によって設立運営されていた庶民のための、読み書き・計算を教えるだけの初等教育機関が主なものだった。イギリスでは、学習塾のような営利的な学校もあったが、ロンドンのような都会に限られていたし、その後、義務教育が発展するなかで、吸収されていった。
・マルクスもエンゲルスも、ここでいう児童の生産労働的なものに、自分が行なったことはなかった。マルクスは、裕福な弁護士の家庭に生まれ、ギムナジウムから大学に進んでいる。エンゲルスは、工場主の家庭に生まれたために、ギムナジウムを中退して、実務を要請され、その後正規の教育機関の生徒・学生になったことはない。そして、一時的な中断はあったが、生涯工場主であった。つまり、資本家だったわけである。それは、マルクスの生活を助けるという目的があったされるが、生活だけではなく、資本家としてのエンゲルスが提供する資料や情報が、資本論を研究するマルクスにとって、重要な材料でもあった。
・資本制生産が行なわれるようになると、成年男子だけではなく、女性が、そして子どもが労働に駆り出されるようになる。
 こうして、児童労働が大きな社会問題となり、法で規制が必要となっている状況のなかで、なぜマルクスは、児童が生産労働に参加することを主張したのだろうか。(つづく)
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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