指揮者の晩年7 オットー・クレンペラー 心身の苦難を乗りこえて

 オットー・クレンペラーは、指揮者としては、かなり波乱の富んだ人生を送ったひとだ。若いころから、双極性の精神疾患を患っていたといわれ、それが原因で、歌劇場支配人やオーケストラとトラブルを起こしていた。更に、ヒトラー政権から逃れて渡ったアメリカで、脳腫瘍にかかって、大きな手術をしている。更に、飛行機のタラップからおりるときに、踏み外して大怪我をしたり、更に、ホテルで寝煙草が原因でシーツが燃え、かなりの火傷をして、大がかりな皮膚移植手術を受けている。
 こうした身体的なトラブルだけではなく、アメリカの市民権を得ていたが、戦後初期にハンガリーの歌劇場で指揮をしていたために、マッカーシー旋風が吹き荒れていたときに、共産主義と関係があると疑われて、パスポートの没収にあったりしている。

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ガーシー問題を考える

 ガーシー議員が除名され、更に逮捕状の発行、そしてパスポートの返還命令とたて続けに厳しい措置がとられている。私は、彼が国会にまったくでないということで、大きな問題になって初めて名前を知ったくらい、彼には関心がなかったが、除名が話題になり始めたころからは、さすがに注目せざるをえなくなった。しかし、話題になった暴露的youtubeをみようと思っても、かなり前のことなので、通常の探し方では出てこない。どうしてもみたいわけではないので、今のところ、逮捕状がとられるほどの酷い内容なのかは、よくわからない。彼のyoutubeは見ていないが、この除名や逮捕状騒ぎは、実に多くのシステム上の問題を孕んでいるといえる。
 
 まずは、国会議員の資格を失わせる除名についてである。これには、わずかだが、気にいらない議員や政党に対して、除名で排除できる道を開いてしまう危険があるという「警告」があった。しかし、ネット上のコメントとしては、それはごく少数派で、今回は、かなり慎重になされ、しかも理由が国会に出席しないという理由だから、もっと速やかにすべきであった、あるいは、これを機会に、基準を明確にすべきであり、そのきっかけになるという、除名肯定の意見が圧倒的に多かったと感じられる。

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五十嵐顕考察7 五十嵐顕とはどのような研究者だったのか2

 前回、書き漏らしたこと、そして、新たに考えたことを付け加えておきたい。
 前回は、僣越ながら、私自身の姿勢、歩みと比較してしまったが、今回は、堀尾輝久氏と比較して、研究者のあり方の違いを考えてみよう。堀尾輝久氏は、戦後育った教育学研究者としては、最も優れたひとだと思うが、研究者としての「修行時代」は、五十嵐氏とは、まったく違っている。
 五十嵐氏は、既に日中戦争が深みに入り込んだ時期に、学生時代を過ごしており、東大では繰り上げ卒業になって、そのまま戦地に兵隊として行かされた。約5年間インドネシアを中心に兵役につき、無事帰国することができた。そして、この戦時中の経験は、その後ずっと底流として、五十嵐氏の心の底に流れ続け、晩年、中心的なテーマとなった。帰国後、新しくできた文部省の研修所に勤め、戦後改革に関連する調査活動に携わったあと、宗像教授に呼ばれて東大の専任講師となる。因みに卒業論文は、ペスタロッチだったが、一冊のレクラム文庫を元にしてまとめたものだったという。多少謙遜はあるが、時代的状況もあり、事実それに近かったのだろう。

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読書ノート『水を守りに森に 地下水の持続可能性を求めて』山田健(筑摩書房)

 近年読んだなかで、最も引き込まれた本だ。大抵の本は、途中で休止するのだが、この本はまったく休みなく読了した。筆者は、長くサントリー社内でコピーライターの仕事についていたためだろう、文章のテンポがよく、しかも、ときどきジョークをうまくはさむので、飽きることがない。そして、内容も非常に重要で、しかも、これまでの誤解をいくつも解いてくれる。そして、持続可能性の取り組み、SDGsと呼ばれて、流行になっているが、実は非常に複雑で、簡単ではないのだ、ということを、あらためて認識させてくれる。
 
 サントリーは、アルコール飲料と清涼飲料を主力とする企業だから、よい水は生命線である。よい水は豊富な地下水によってえられる。水は自然の資源だが、水資源がよい状態で確保できるかは、ひとの努力による。開発が進み、自然が破壊されていくと、水資源も枯渇してしまうのである。そこで、サントリーは企業をあげて、水資源の保全に取り組んでいる。その中心となっているのが、本書の筆者で山田健氏である。

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大学の教職課程で、現場出身教員採用枠義務化?

 最近、文科省は、教員養成に関して、矢継ぎ早に政策を繰り出している。教員採用試験の応募数が減少し、教員へのなり手が減っていて、更に現場では教師不足が深刻になっていることに、よほどあせっているのだろう。私は、20年以上前から、やがて日本も教師不足になると警告していたが、それは、文科省の政策が、どんどん教師への魅力を低下させているから、確実に教師不足になると予測できたわけだ。同様の見解をもつひとは、少なくなかった。今更というより、あせっている割には、基本的な政策転換ではなく、これまでの誤りを糊塗するようなことばかりだしていることに、失望してしまう。
 教職単位を2年で取得できるとか、教員免許をもたない社会人を採用できるようにする、などということを提起してきたが、そのようなことは、現在の制度でできることで、特に新しいことではない。教職の免許取得は、完全な単位制だから、単位が取得できれば、4年かける必要はなく、教職課程をおいている大学が、どのような履修を可能にするかによって、何年かけるかが決まるのであって、それも柔軟にしている大学もある。私が所属していた学部は、中高社会の免許取得が可能だったが、2年生から授業が始まるので、3年かかるし、予め登録しておかなければならないので、ほとんどの学生はそのルールに従っていたが、特別な理由で、3年からの登録も認めていたので、数名はそうした短縮期間で取得したと記憶する。それに、通信などでは、小学校免許でも2年で取得可能だ。

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読書ノート『ルポ 大学崩壊』田中圭太郎(筑摩新書)1

(投稿していたと思っていたら、なぜかされていなかった文章。21日にアップするはずだった原稿です。)
 ウェブに章ごとで、いくつか掲載されているのを読んで、全部読まねばと思い購入した。今半分のところだが、私も大学に勤めていたので、実に憂鬱になる話の連続だ。
 前半を読んだが、構成は、
・破壊される国公立大学
 ここでは京都大学、北海道大学、東京大学、下関市立大学が扱われている。
・私物化される私立大学
 山梨学院大学、札幌国際大学、追手門学院、上野学園大学、日本大学が出てくるが、リアルタイムで問題となった事例が多い。
・ハラスメントが止まらない
 追手門学院、山形大学、東北大学、宮崎大学が扱われているが、教師、学生両方の被害者が登場する。そのなかで、大学でここまでひどいことがあるのか、と思わせられたのが、宮崎大学での「セクハラ捏造」だ。

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読書ノート『ルポ 大学崩壊』田中圭太郎(筑摩新書)3

 最後に、最も大きな問題だといえるのが、大学教職員への天下りである。以前は、国立大学と私立大学は、職員のありかたが、公務員と私企業に似た相違があった。国立大学の職員は、文科省からの出向という形で、文科省から多数が派遣されていた。キャリアもノンキャリアもいた。また、文科省の出向としては、県や市(こちらは少なかったと思われるが)の教育委員会があった。しかし、現在では、国立大学は、成立形態が違って、「国立」ではないから、以前のように、配置変えのような感じでの出向は少なくなっているようだが、その代わり、天下りで幹部になるケースが増えている。しかも、国立大学から、独立法人に変化し、大学の管理職の選び方が変わってきたので、いきなり学長になったりするわけである。それまでは、学長の選出は、多くが教職員による選挙によっていた。しかし、原則選挙は廃止し、意向調査なるものをやったとしても、選出機関が最終的に決める方式になっている。すると、意向調査で学内の教授が最高点をとっても、選出機関が文科省からの天下りを学長に選出することが起こりうる。そして、実際に起こっている事例が、本書で紹介されている。
 天下りが可能になるように、学長の選出方法を、法で変えてしまったとも、考えたくなる。

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読書ノート『ルポ 大学崩壊』田中圭太郎(筑摩新書)2

 前回は、前半の3章から、印象的な部分を重点的にとりあげたが、今回は後半に関して、1つの話題をとりあげたい。
 後半の構成は
・大学は雇用破壊の最先端 
 大量リストラした奈良学園大学、視覚障害の教員をはずした岡山短大、早大・東大の非常勤教職員の雇い止め、研究者の雇い止めが扱われている。
・大学に巣食う天下り
 全国的に広がる文科省の大学への天下りが扱われているが、特に、福岡教育大学と目白大学が詳しく書かれている。
 
 このなかでとりあげたいのは、視覚障害者の教員を、なんとかやめさせようしている岡山短大の事例である。幼児教育学科の准教授は、遺伝性の網膜色素変性症を患っているが、岡山大学から博士号を取得しており、「環境」という科目を担当していたという。視力が少しずつ衰えていったが、授業をするのに支障はなかったという。派遣職員がいろいろと手助けをしてくれていたが、その職員が辞めるときに、准教授にも退職勧奨をしてきた。そのときには、自費で補佐員を雇うことで、継続していたが、そのうちに、強力に辞めるように圧力をかけ、結局、授業をもたせないようになった。事務職ならよいということだが、拒否したために、授業をはずされてしまった。そこで、労働局に提訴し、授業をさせないのは不当であるという決定がだされたにもかかわらず、復帰させていない。

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五十嵐顕考察6 五十嵐顕とは、どんな研究者だったのか

 五十嵐顕著作集の作業が始まった。私は、せっせと、著作のファイル化を進めている。スキャンしたファイルをOCRにかけて、読み取りミスを直していく作業だ。消耗な作業だが、熟読することだと思えば、特に苦痛ではなく、それなりに楽しんでやっている。
 そういうなかで、五十嵐顕という人物が、普通の東大教授のイメージとは、かなり違うひとであるという印象が強くなってきた。実は、私は五十嵐先生の指導生ではない。指導教官は、持田栄一教授だった。それは、大学院に進学したときには、ドイツの教育を研究するつもりだったので、ドイツ留学から帰国して、どんどん成果を発表していた持田教授のほうがよいと考えたからである。ただ、当時大学紛争の雰囲気が冷めやらない時期で、二人の教授は、極めて忙しく外の活動に邁進しており、また、五十嵐先生は、そのうち重い心臓疾患になってしまったので、院生が、親しく研究指導を受けるということはなかった。その時期でなくても、そういう雰囲気ではあったのだが。

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WBC 事実は小説より奇なり

 NHKテレビの初期だと思うが、「私の秘密」という番組があった。いまでも、ときどき話題にでるような人気番組だった。ある人の珍しい経験を、回答者たちが質問をしながら、その経験をあてるという、一種のクイズ番組だったが、冒頭に、高橋啓三アナウンサーが、「事実は小説より奇なり、と申しまして」と必ず言うことになっていた。そういう言葉が、本当にあるのかわからないが、確かに、どんな作り事よりも珍しい、印象的な事実はあるものだ。
 今回のWBCは、まさしく、この言葉に相応しいドラマだった。ネットのコメントでも、「漫画のストーリーに、あのような場面を設定したら、あまりにリアリティがないからだめだと言われそう」というのが、多数あった。たしかに、いくらそういう場面が実現してほしいと思っても、実現しそうにない対決が実現してしまった。

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