カスハラ?

 カスハラという言葉があるそうだ。「「お客様は神様ではない」 秋田のバス会社“クレーマー反論広告”に見る、カスハラ被害の深刻さ 暴言は拳よりもタチが悪い」をみるとけっこう深刻だ。
 カスハラとは、カスタマー・ハラスメントの略だそうで、要するに無理難題をいう消費者のクレームに、業界がとても悩んでいるということだ。もちろん、そういう事実は知っていたが、カスハラというのだということは、今回初めて知った。様々な分野で、ずいぶん前から大きな問題になっていると思う。交通機関や病院などが、そのクレームの酷さがよく話題になっていたと思う。「お客様は神様」という建前で、できるだけ下手にでていたが、今後はクレームの不当さを指摘していくという姿勢を表明したものだ。

 
 日本だけのことではなく、1992年にオランダにいったときに、列車内のチケット検査体制が揉めているということを聞いた。現在は違うのだが、当時は、列車(日本での通勤電車なども含む)は、切符は改札口で点検するのではなく、車内点検だった。だから、駅のコーナーで購入するか、車内で購入する。通常は切符を買って車内で検札をまって、切符を出すわけだ。車内で買おうと思っている場合には、購入できるのだが、怪しまれたりする場合もある。つまり、検札が来なければ無料で乗れることになるから、それを狙っていたのではないか、と。そういう疑いがもたれると、たしか3倍の料金を請求されることになっていた。だから、切符をもっていないときに、検札に来られたら、切符を買おうと思ったのだが、既に電車が着ていたので、急いで乗らざるをえず、買う時間がなかったと、うまく説明できればいい。正規の値段で売ってくれるのだが、説明に手間取ったりすると、3倍料金を請求される。そこで、よくトラブルが起きていたらしい。そして、暴力ざたになり、検札の担当者が暴力を振るわれることが少なくなかったので、組合が頑張って、それまで一人でやっていた検札を二人にした。だから、私が乗ったときには、たいてい二人の検札がやってきた。しかし、人員を増やしたわけではないから、検札がまわる頻度が半分になったわけだ。つまり、それほど長い距離を乗らなければ、いつどの車両から検札がのって、順番に点検していくということがわかっていると、それを避けて乗り、検札にかからないうちに降りることができる。つまり、無賃乗車がやりやすくなってしまったわけだ。もちろん、検札係としては、暴力を振るわれたらたまらないから、二人制にせよというのは、理にかなっている。しかし、そうすると、あきらかに不正乗車が増えてしまう。鉄道経営からすれば、もちろんこまる。
 しかし、ヨーロッパというのは、相当数の労働者が、既に関わっている分野では、技術革新のスピードは非常に遅い気がする。技術革新は失業を生むからである。日本ではとっくに改札の機械が導入されて、切符の販売も改札も機械化されていたが、オランダでは、改札が機械化されたのは、最近のことのようだ。しかも、すべての駅ではなかった。3年ほどまえに旅行でオランダにいったが、改札の機械が設置されている駅と、そうでない駅があった。乗車駅で購入した切符が、降車駅では改札の機械があって、しかも切符がその機械に適合しなかったので、非常に困った経験をした。たまたま通り掛かった駅の係員にいって、通してもらったのだが。
 1992年同時は、けっこうクレーマー的な事件が多かったようだ。それは、当時ヨーロッパ全体が、ユーゴ紛争の影響をうけて、大量の難民が押し寄せていた。オランダはかなり多数の難民を受け入れていて、それが社会の負担に感じられ始めていた時期だったのである。俺たちの税金をなんで、難民のために使うのか、という不満を何度か聞いたことがある。そうした鬱屈した感情が、クレームに影響していたのかも知れない。
 
 基本的には、日本も同様なのではないだろうか。理不尽、あるいは暴力的なクレームが問題になったのは、いつごろからなのだろうか。上記記事によると、鉄道での暴力がめだつようになったのは、1980年代ということだが、広がったのは90年代ということだ。そして、対応やクレームへの告発などが現れる。
 激しいクレームに、企業等が困惑する事態を書いた川田茂雄氏の『社長をだせ! --実録 クレームとの死闘』(宝島社)が出版されたのは、2003年であり、「新教育の森:多発する親の非常識なクレーム 抗議?情報?学校困惑」(2007.7.9)によると、モンスターペアレントという言葉が、毎日新聞に現れるのは、2007年7月が最初である。
 したがって、クレームはもちろん前からあっただろうが、あまりに理不尽なものが多くなり、対応が困難になったことが、様々な分野で顕在化したのは、21世紀にはいって間もないころからといえるのだろうか。やはり、経済的な不振が続き、人々の不満が鬱積してきたことが、こうした理不尽なクレームが増大してきた理由と考えられるだろう。クレーマーに対する対応を説明した書籍なども、けっこうあり、私も読んだ記憶がある。
 
 しかし、クレームが単純に悪いと非難することはできない。モンスターペアレントにしても、決して、100%間違ったことをいっているわけではないことも多いのだ。要は、明らかに理不尽なことを執拗にいい、適切な、合理的な説明をされても、認めない。あるいは、暴力すら振るう。そうしたクレームが問題であることは、誰でも認めるに違いない。
 クレームに対応する対話能力を高めることが重要であるが、それはかなりの熟練と度胸を必要とする。誰にもできる、より確実な方法は録音・録画をとることだろう。車内ではドライブレコーダー、事務所では録画機能付きの防犯カメラなどを設置し、電話も常に録音し、かつ録音・録画していることを明示しておく。そうすれば、そのこと自体が抑制作用をするだけではなく、トラブルになったときに、後日証拠として活用できる。不当なクレームに目をつぶる必要がなくなる。
 
 最後に、ブログに書いたことであるが、店に不当な扱いを受けたことがある。スマホのSDカード不良をみてもらったとき、結局新製品を買うことになり、カタログを見せられて、2800円という値段が示されていたので、注文して、カードで支払いをした。高かったが、かなり調整等の手間がかかったので、その技術料だと思っていたのだが、帰りの車のなかでみると、カード代が8000円だった。急いで戻って、値段を確認したところ、間違いない、と8000円の値段が示されているカタログを見せられた。さっき見せたのと違うではないか、といくらいっても、そんなカタログはないと言い張るのである。これは、妻もみていたことなので、こちらの勘違いではない。結局、写真をとっておくべきだったのか、と思ったわけである。理不尽で不当なことをやるのは、消費者ばかりではなく、サービス業者もあるのだということも、忘れないようにしよう。
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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