木村隆二という24歳の青年が、岸田首相の選挙演説中に手製爆弾を投げつけるという、暗殺未遂事件を起こした。メディアは、この話題を盛んにとりあげ、大きな方向としては、警備の見直し・充実を主張している。
日本は、安全な国家であるという神話があり、それが崩れつつある、というような話は、何か事件が起きるとたびたび言われてきた。そもそも、日本は安全な国であるかというのも、多少の留保が必要である。確かに、夜女性が一人で歩いても、あまり心配ではないと感じる人が多く、それが安全神話のひとつであるが、歴史をみる限り、日本が安全であるという神話が成立する時代は、近代では短いといえる。
幕末は、政治的なテロが横行した時期で、テロによって命を失った重要人物は、たくさんいる。井伊直弼、坂本龍馬その他、有名無名の人が多数暗殺されている。明治になっても、大久保利通や森有礼など、政府の高官が何人か暗殺されているし、昭和の軍国主義時代においても同様である。戦前までは、政治家は命懸けの職業・身分だったという面がある。
戦後は確かに、政治家の暗殺は稀にしか起きていないが、浅沼稲次郎や安倍晋三などの例がある。したがって、私が見るところ、日本は決して政治家・要人の警護が緩いわけではないと感じる。高校時代、学校の近所に佐藤栄作首相の私邸があり、ときどき、私邸から官邸に出勤し、学校の前の道を通っていたが、かなりの台数のパトカーに前後を挟まれ、すべて信号無視で、すごいスピードで通り抜けていった。今は、信号もコンピューター制御されているから、信号無視ではなく、通るときには必ず青になるようになっているのだろうが、とにかく、警護のものものしさを実感していた。ニュースで流れる官邸にはいってきた首相の様子などをみても、前後をSPに警護されていて、決して、油断している風にはみえない。むしろ、SPなどの警護費用が多すぎるのではないかと、普段は感じている。
かつては、本当に政治家にとって安全な国家だったのがオランダである。
2002年、私が2度目にオランダの海外研修に出かけたとき、オランダについた少し前(5月)に、オランダで400年ぶりという政治家の暗殺事件があった。フォルタインという政治家が、選挙活動中に暗殺されたのである。オランダは長くプロテスタント系の政党と、労働党が政権を担当していたが、ここに、フォルタインという元社会学者が設立したフォルタイン党が、急速に支持を広げてきた。そして、暗殺に対する同情票もあったと言われているが、まったくの新しい政党であるのに、第二党に躍進、政権入りした。しかし、党首のフォルタインは既に亡くなり、あとは、まったくの素人集団だから、政権は混乱し、毎日のように、フォルタイン党の政治家たちがやった不祥事が、ニュースで報じられていた。そして、とうとう我慢できなくなった首相が、フォルタイン党を排除するために、早々と年末に議会を解散し、目的を達した。とにかく、その一年は、オランダの政治的混乱の年だった。それは、また、社会背景の変化もあった。2001年に911のテロが起き、移民に寛容と言われていたオランダでも、イスラム教徒への反感が強まり、モスクやイスラム学校への放火が起きていた。そういうなか、移民制限をうちだしたフォルタインが、人気を獲得していたという状況だった。つまり、移民をめぐって、オランダ社会の分裂が顕在化してきたのである。その後、イスラム教への批判を含んだ映画を作成していた、映画監督のゴッホ(有名な画家ゴッホの孫)が暗殺されるとか、その映画を支持していた元イスラム教徒でオランダに帰化した国会議員に暗殺の脅迫があったりと不穏な状況が続いていた時期だった。
そして、これらによって、それまでほとんどSPをつけなかった政治家たちに、つくようになったり、国会がある場所へ、住民が自由に出入りして、首相に話しかけることができたそうだが、そういうことが制限されるようになった。400年間政治家が暗殺されることはなかった国だったから、そのショックは非常に大きかったのである。
安倍元首相も岸田首相も、選挙演説中に襲われている。これは、日本独特とはいえないだろうが、日本の選挙のやり方に大きく左右されていると思う。オランダで経験した総選挙では、私の体験の限りでは、候補者の街頭演説にぶつかったことはないし、選挙カーで連呼して走るというのもみたことがない。総選挙だったということもあるかもしれないが、選挙戦の中心は、党首によるテレビ討論だった。毎日、党首の組み合わせとテーマがかわって、党首が複数テレビ局にやってきて、かなり激烈な議論をするのだ。詳細はわからないが、とにかく、激しいやりとりで、相当な政策理解がなければ、たちまち論破されてしまうだろう。日本の政党の党首たちは、あのようなつっこんだ議論ができるのだろうかと、よく思ったものだ。官僚の作成した答弁書を読み上げるだけの大臣では、とても務まらないように思った。オランダは、完全な比例代表制だから、こうなるという側面もあるが、個別の候補者たちは、集会を開いて、そこで演説をしたり、質疑応答するということだった。だから、街頭にたってということはなく、まして、まったく知らないひとたちと握手するなどということは、想像もできないことだろう。日本では、社会党の浅沼氏は、日比谷公会堂で指され、犬養毅は自宅だったが、他の被害者たちは、ほとんどが外で襲われている。そして、SPが守りにくい場所と時期が多い。
このように要人の暗殺や暗殺未遂が続くと、警護の強化、そしてそのための費用支出は、反対するのは難しい。しかし、危険なやり方はさけて、できるだけ安全を確保できる方法での選挙戦にかえていく必要があるのではないかとは思う。そもそも、街頭で演説をきいて、反対だった人が賛成になったり、あるいは握手をしたから支持するというようなことは、あるのだろうか。あるとしたら、逆になさけないことだ。しっかりと政策を聴ける環境、そして質問もできる環境、それは屋内での演説会ではないかと思うのだ。そうしたやりかたが徹底すれば、必要以上に警備を強化する必要もないはずである。