宮内庁広報室室長が内定? 批判取り締まりなのか

 久しぶりの皇室話題だ。
 秋篠宮家の動向については、ほとんど興味もなくなり、追いかけていなかったが、今回、宮内庁に広報室が設置され、その室長が決まったと報道されていることで、再度書く必要性を感じた。いろいろな記事があるが、書くきっかけとなったのは、以下の「デイリー新潮」の記事だ。
「なぜ宮内庁広報室の初代室長にスパイ摘発の専門家が? “佳子さまが整形手術に失敗”などのフェイクニュースへの対抗策」
 
 よく知られていることだろうが、こうした動きは、小室夫妻の結婚をめぐる報道を、秋篠宮側がフェイクであるとして、反論していく必要があると、記者会見で述べたことがきっかけである。そして、初代室長に選ばれたと報道されている人は、警察庁で、情報管理を専門とする人で、デイリー新潮によれば、「スパイ摘発の専門家」ということで、皇室へのネット書き込みを含めて、報道統制をするのではないかという危惧があるわけだ。

 そもそも、皇室への批判的文章は、問題なのかということ、本当に、皇室批判の記事は、フェイクニュースが多いのか、皇室の在り方について、国民は自由に論じることができるのか、等々、様々な論点がある。
 最近は、皇室関連の記事を、熱心に追いかけているわけではないが、私の印象では、フェイクニュースは、よく言われるほど多くはない。逆に、事実を指摘しているので、指摘された皇室、そのほとんどは秋篠宮家のひとたちで、彼らが指摘されたくないことだから、取り締まってほしいということで、広報室が設置された印象である。莫大な費用がかかった改築費用などは、事実でなければ、堂々とかかった費用やその用途を公表すればいいだけだ。そうした改築費用等々は、すべて税金なのである。公費が支出されている以上、明確に国民に知らされるべきことであるのに、少なくとも、宮内庁から、実態が公表されたということがないのではなかろうか。
 広報室の設置は、皇室関連の情報を、国民に積極的に公表していためである、という「表向き」の理由が、本当に、実際に実行されるとしたら、とてもいいことだ。ただ、もしそこに、疑問を感じさせる内容が含まれていたら、国民からの批判を浴びることも当然で、それを遮ることは許されない。もし言論の弾圧などを行うようになったら、天皇というシステムそれ自体が危機になるだろう。民主主義社会である以上、皇室といえども、国民の自由な批判の対象にならねばならない。そういう批判を超えて、国民に信頼されてこそ、「国民の総意に基づく」といえる。しかし、皇室への批判といっても、実際には、特定の宮家だけが対象となっており、天皇家はじめ、他の宮家が非難されることは、ほとんどない。宮内庁や保守政治家は、そうした批判される宮家の行動を正すことこそが必要なことだろう。
 
 しかし、警察出身者でほとんど固められた宮内庁だから、最悪の場合、国民の言論活動を規制するような動きにでる可能性はあるのだろうか。さすがに、現在は特高警察のような組織があるわけではないし、また、思想犯が取り締まられることもない。警察というよりは、むしろ政治家の圧力のほうが、より現実的である。そして、実際に料金をとって成り立っているメディアは、そうした圧力に屈してしまう可能性は十分にある。というよりは、現在でも、そうした面は部分的に生じている。だからというべきか、現在の言論の中心は、ネットに移っている。これは専門家でもそうだし、まして一般市民は、ネットでしか情報発信できないから、ネットがほぼ唯一の舞台だ。皇室といえども、不適切なことが行なわれれば、ネットでの情報の拡散や批判を抑えることは、難しい。ナンセンスなフェイク的なものについては、それを批判する発言もかならずといっていいほど書かれる。楽観的すぎるかも知れないが、ネットでの言論は、基本的には健全に機能していると思う。したがって、「取り締まる」ことは難しいし、また、すべきではない。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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