私の若いころは、プロ野球は、「人気のセ、実力のパ」と言われていた。ただし、巨人のV9時代は、実力でもセリーグがパリーグを上まわっていた。なんといっても、巨人が9年間も日本シリーズを制していたのだから、実力はセ側にあった。現在は、明らかに「人気のパ、実力もパ」というのが、大方のひとの実感だろう。実力がパリーグが上であることは、交流戦や日本シリーズでわかるが、人気も明らかにパリーグのほうが上だろう。その証拠のひとつが、テレビのCMに出る野球選手である。ほとんどがパリーグの選手、あるいはパリーグ出身の選手で、最近村上がでているのが、久しぶりのセリーグの選手という感じだ。巨人の選手がCMに採用されなくなって、ずいぶん経つ。CM起用は、人気があることが絶対条件だから、巨人の選手がでないということは、人気が明らかに落ちている証拠になる。
私は、東京育ちだし、ON全盛時代には、野球少年だったので、巨人ファンだったが、第二次長島監督の時代に、愛想がつきた感じで、その後どこのファンでもなくなっている。この選手をぜひ見たいと思って、試合を実際に見にいったのは、イチロー目当てでマリンスタジアムにいったのが最後だ。ずいぶん、野球から遠のいてしまった。
巨人は、かつては、確かに強かったし、プロ野球界の中心的チームだったが、第二次長島監督時代から、チームとしての堕落が始まり、すっかり魅力のないチームになってしまった。その間日本一になったこともあるが、それは、お金にまかせた補強によって、一時的に強くなったに過ぎず、継続的な強いチームは、ただの一度も現れていない。
いくつか理由があるのだろうが、私が考える最大の理由は、監督の選任原則の弊害である。本当にそういう原則があるのかどうかはわからないが、少なくとも実際に監督になった顔ぶれをみれば、原則があるのだろうと推測できる。それは、「生え抜きのスター選手が監督になる」というものだ。更に、一度でも外に出た者は、監督にはなれない、という原則もあるようだ。
戦前から一貫しているが、戦後、選手として活躍し、監督になったひとだけをあげると、川上哲治、長嶋茂雄、藤田元司、王貞治、堀内恒夫、原辰徳、高橋由伸である。川上が監督になったのが、1961年だから、60年間で、7人しかいないのである。10年以上務めたのが川上、長嶋、原の3人だけである。ひとによって、評価は異なると思うが、この7人のなかで、「名監督」といえるのは、私は川上だけだと思っている。
逆に、名監督と言われたひとを考えてみよう。私が名監督と思うのは、チームを数年間継続的に優勝に導いたり、弱かったチームを強いチームに転換させたりしたひとであるが、川上、上田、野村、森、落合、仰木、栗山、そして、現在では中島がその候補だろうか。もちろん、他にもいるだろうが、このひとたちが思いつく。
このなかに、特定のチームの生え抜きで、最後まで(つまり監督としても)そのチームに所属して、他にでなかった、スター選手というのは、川上しかいない。他は、複数のチームを渡り歩いており、また、選手としての所属チームと監督のチームとが違っている。あるいは、上田や栗山のように、スター選手ではなかった。そして、実は川上も、監督ではあったが、作戦指導などの、もっとも中心的な監督機能を、牧野ヘッドコーチに任せていたから、通常の意味での名監督は牧野だったともいえる。ただし、牧野が名目も監督だったとして、選手たちが、川上に対してと同じように、接していたかは疑問なところもある。川上のすごさは、責任を自分がとり、権限を牧野に与えたというところだろう。牧野の資質を見抜いた点も炯眼であった。
選手として優れていなくても、監督に抜てきされた者(上田・栗山)は、指導者としての資質を、選手時代に明確に感じさせていたのだろう。名選手から名監督になった野村や落合は、選手時代から独自の野球理論をもって、それを実践して大記録を達成していたが、複数のチームを渡り歩くことによって、多様な選手やその管理法があることを知って、自分の理論だけではなく、その他のやりかたも吟味して、柔軟性を獲得していたと考えられる。それに対して、他のチームを経験することもなければ、視野が狭くなるし、選手として優れていても、指導者として優れているわけではない。やはり、指導者になるための素質と経験が必要だ。スターであることは、それらを保障するわけではない。
巨人が本当に強いチームに生まれ変わるには、本当に監督として優れた手腕をもっているひとを、むしろ他球団の出身者から選ぶ必要があると思う。