スポーツマンシップは死語に? 全仏テニスの裁定

 大学院時代からしばらくは、近くのテニスクラブやテニスコートでテニスをしていたので、4大大会などをテレビでよくみていたが、転居してからすっかりテニスからは遠のいてしまった。だから、あまり見なくなっていたが、全仏の加藤失格問題には驚いた。ダブルスの試合中、相手側にボールを返したときに、そのボールがボールガールの頭部にあたって、審判は警告をしたのだが、相手の選手が、それに対して抗議をして、ボールガールが泣いている、そして血がでていると主張して、結果的に、加藤組が失格になったというものだ。日本での報道だから、すべて正しいかどうかはわからないが、その処分に対して、猛烈な抗議が寄せられ、テニス協会も処分の撤回を求めているし、本人も訴えているという。この場合の撤回を求めている処分とは、それまでの全仏での勝利による賞金と獲得ポイントを没収するというものだ。試合を再度やりなおすというのは、非現実的なのだろうが、獲得賞金とポイントはもとに戻すことができるから、当然の主張であろう。
 
 多くのひとと同じことになるだろうが、驚いたことが3つある。

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激変しつつあるウクライナ情勢

 ウクライナ情勢が、動きつつある。いろいろと変化がでてきた。その多くは、いい徴候だ。
 バフムトで、ウクライナが少しずつロシア軍を後退させつつあるようだ。ここはロシア軍が大量に兵力を動員して、守ろうとしているところだから、簡単にいくとは思えないが、三方から包囲して、ロシア軍を囲い込んでしまおうという作戦が、少しずつ前進しているようだ。ワグネルは、そうした動向を早く察知したために、おそらく逃げたのだろう。そして、一方、現政権に反抗しようとしている雰囲気がでている。ワグネルが退却しているところに、地雷があったということで、ロシア兵を捕らえたと報道されている。ロシアのもっとも精鋭であるワグネルが、ロシア兵を捕らえるというのは、もちろん、重大な変化がおきていることを示している。
 
 ウクライナに協力するロシアの義勇兵たちが、ウクライナから国境をこえて、ロシアに侵入し、第一回目はすぐに引き上げたが、二回目は、留まっているようだ。そして、まだ小さな地域とはいえ、占領したといわれている。プーチンは、こうした動きを国民に悟られなたくないので、沈黙を守っていて、有効な反撃態勢をとらないでいるようだ。それはモスクワ近郊へのドローン攻撃についても、似たような反応をしている。

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大学での全盲学生の学習保障

 私が定年退職した大学の学科に、今年度全盲の学生が入学したということ聞いた。どのような支援がなされているかはわからない。だから、以下書くことは、現状批判とかそういうものではなく、こういうことが必要ではないか、と私が思っていることを書くだけだ。私が在職していたときには、他の二学部に全盲の学生が在学した。最初は文学部で、受け入れに教授会は猛反対だったというが、志望学科のある教授が、自分が全部責任をもつからということで説得し、受験が認めれ、合格して入学したという経緯があった。そして、その教授が、テキストの点訳などを自分でしたかどうかは正確に知らないが、とにかく、責任をもって実施したということだった。4年間、本当にたいへんだったと思う。もちろん、学生の支援はあったろうし、そのうち、教授たちの協力もできたに違いない。他学部であった私たちには、教育上はなんの関係もなかったが、キャンパス環境に対して、非常に大きな影響があった。それまで、キャンパスは、たいした広さではないが、通学や部活の離れた運動場にいくために、自転車に乗っている学生が非常に多かった。そして、無造作に自転車をあちこちに放置していた。とくに、校舎の入り口には多数の自転車がとめられ、とても危険な状態だった。健常者でも危険なのだから、全盲のひとにとっては、命懸けで校舎にはいるような気持ちだったかも知れない。そこで、大学として、学生たちに訴え、また、自転車置き場を広めに設置して、そこに自転車をとめるように、厳格に指導した。そのために、キャンパスはすっかり歩き安くなった。障害者のために行う施策は、一般的な普遍的な有用性をもつ、と実感した体験だった。その後教育学部の音楽専攻に入学したひとが複数いたが、音楽なので、耳のよい全盲学生は、かなりうまく適応していたようだし、支援もスムーズだったようだ。

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五十嵐顕考察20 教育委員会5

 今回で「教育委員会」は最後とする。
 現在、公選制教育委員会の復活をもとめる明確な主張は、あまり存在しない。あまりにも長く、任命制教育委員会が続いてきたこともあるだろう。しかし、やはり、その根底には、アメリカ民主主義との風土的相異のために、日本には、公選制が根付かなかったと思わざるをえない面がある。アメリカの公選制教育委員会は、「公選」「選挙」によって選ばれる唯一の組織ではなく、他の分野にもあるのだということは、考慮しなければならない。日本では、地方公共団体を、単純に地方自治体と称して、同じものの違う呼び方のようになっているが、アメリカでは、地方公共団体(政府・行政機構)と自治体とは違うものである。自治体とは、ある領域の住民が、自治体であることを住民投票によって議決し、自治体としての条件を整えて運用している行政機構のことをいう。そして、現在でも、たまにではあるが、新たな自治体が生まれている。つまり、自治体ではない行政区域でも、また自治体の行政区域でも同じだが、そのなかの一定の領域のひとたちが、別の自治体になりたいと思って、住民投票で賛成となれば、あらたな自治体が生まれるわけである。近年では、比較的大きな行政区域のなかに、地域的な貧富の差があり、豊かな地域の住民が、自分たちの払う税金が、貧しい地域に過度に費やされると、それを嫌って、豊かな地域でまとまろうとして、新たな自治体をつくろうとするような例がけっこうあるとされる。

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不祥事と上映問題を考える 「緊急取り調べ室」

 猿之助が出演している映画「緊急取り調べ室FINAL」が、とりあえず上演延期になった。報道によると、役者を変えて、その部分だけ取り直しをするのだという。その部分だけといっても、重要なゲスト出演の役、つまり、準主人公みたいなものだから、たぶん出場場面もたくさんあるだろうから、かなりの負担となるだろう。
 このような出演者による不祥事のための作品、とくに映画やテレビドラマの中止、延期問題は、毎年のように繰り返されている。そして、賛否両論メディア、ネットを賑わせる。難しい問題だが、ここで書く以上の効果を期待しているわけではないが、ひとつの見解を表明しておきたい。
 
 結論を最初にいえば、少なくとも、出演者に不祥事があったとしても、上映中止にする必要はないということだ。ただし、今回は延期であって中止ではないので、また別の判断が必要だし、単なる延期ではなく、取り直しということなので、そのことによる問題が発生する可能性もある。

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WBC韓国選手、飲酒で謝罪

 韓国で、WBCネタで大きな問題がおきているのだそうだ。
「揺れる韓国プロ野球界!日韓戦前日の“深夜の酒盛り騒動”発覚で「日本キラー」は二軍降格「ベテランとして考えが浅はか」」
 簡単にいえば、WBCの試合の前日に、主力選手が高級な店にいって飲酒していたというのだ。記事によれば朝帰りだったそうだが、全員がそうなのか、何時だったのかは不明である。当事者たちは批判された内容を認めているということで、謝罪をしている。球団としての処分も検討されているという。そして、ファンは激怒しているような報道である。
 
 面白いことに、日本人が書いているコメントのほとんどは、大人だし、プロなんだから、批判するようなことではない、それがいけないなら、次に選出しないとか、成績が落ちているなら、それによる対応をすればいいことだ、という、非難そのものに対する疑問が圧倒的なのだ。韓国の場合、決勝ラウンドにもいけずに敗退したために、犯人探し的な雰囲気になっているのだろうが、おそらく、日本なら、犯人探し的な雰囲気にはならないと思われる。ファンたちの「熱さ」の違いなのかも知れないが、やはり、国民性の違いだろうか。

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猿之助事件でみる歌舞伎界の前時代性

 猿之助事件は、当然その中心的問題は、犯罪に該当するのかどうかという点だが、それは別途考えることにして、その前の段階のことを考えたい。
 歌舞伎界が、他の芸術・芸能分野と極めて異なるのは、いまでも中心役者の育成が世襲家族単位が基本になっていること、そして男性だけの世界であることだ。女性差別に対して、非妥協的に批判する団体は、この歌舞伎の男性限定の世界に対して、どう思っているのだろう。私の見る限り、歌舞伎界も女性に門戸を開け、という主張を大々的に行っているとは思えない。ウィーンフィルがアメリカに演奏旅行にでかけたとき、アメリカの女性差別反対の団体が、大きな抗議運動をして、その後ウィーンフィルが女性団員を認めることになったという経緯があった。記録によると、歌舞伎は、2013年にアメリカ公演をしている。ウィーンフィルへの抗議運動以降だが、抗議運動があったとは記されていない。オーケストラとは受け取りが違うのかも知れない。

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長野の殺人事件 刑法39条との関連で

 長野県で起きた殺人事件は、警察官2人をふくむ4人も殺害したという、稀に見る事件であった。これまでの判例から判断すれば、死刑になる可能性が極めて高い。しかし、犯人の成育歴をみると、なんらかの精神疾患を患っていた可能性を感じる。とすると、刑法39条の「精神疾患心神喪失者の行為は、罰しない。 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」に関する議論が再燃する可能性が高い。日本の司法では、責任能力がないことが認定されて、殺人犯が罰せられない結果になることは、極めて稀であるが、それでも、精神疾患の患者が大きな犯罪をした場合、この規定の適応をめぐって、たくさんの議論がなされてきた。刑法は、法律学のなかで最も理論的側面が強いといわれているが、逆に、理論的であるが故に、素人でも見解をもつことができる、あるいはもたねばならない。私自身、法律学の専門家ではないが、これを機に、この問題を考えておきたい。
 
 犯罪とは、自由意思をもった人間が、意図して、犯罪とされる行為を実行することとされる。逆にいえば、「自由意思」をもっていない、あるいはもてない状況で、あるいは意図的に行ったわけではなく、不可避の行為だった、というときには、犯罪と認定されないわけである。だから、犯罪とされる行為を行ったとしても、自由意思や意図がなければ、罰せられないことになり、それが刑法39条になっている。
 
 しかし、犯罪を何故罰するのか、という根拠で考えると、この犯罪構成論とは、少々矛盾するところがでてくる。

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後期高齢者間近

 もうじき後期高齢者になる。やはり高齢者関連の記事は気になるものだ。影響はされないが、いろいろと考えるところがある。
 最近、孤独死はそんなに悪くないという記事があった。高齢者にとって、子どもや孫に囲まれて暮し、家族に看取られて死ぬのが幸せだという「常識」があるが必ずしもそうではないという趣旨の記事だった。
 当たり前だというのが、感想だ。私の妻がかかわっている老後を望ましく送ることを考える団体は、この「常識」派で、在宅医療、在宅介護、在宅での看取りを推進しようという考えを核にしていた。最近は、かわってきた部分もあるようだが、ずいぶんと議論したものだ。それが可能で、うまくいく条件に恵まれているなら、それがいいのだろうが、そうした条件がない者もいる。むしろ、条件がない人のほうが多いに違いない。極端にいえば、ずっと独身、あるいは配偶者が既に死んでいる、子どもがいない、あるいはいても遠くに住んでいる。そういう人にとっては、そもそも「常識」実現の条件がないわけだ。他にも、夫婦二人とも介護が必要で、充分なヘルパーなどの介護をえられる条件にない、等々、さまざまな形がある。そうした人で、施設にはいったほうがいいと考えている人は、いくらでもいるだろう。

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五十嵐顕考察19 教育委員会4

 教育委員会について考えるということは、学校単位、地域単位、国家単位で、教育をどのように運営していくか、という問題である。この問題を考える第一歩は、学校がかなりの程度異なった個性をもった存在であることを認めるか、あるいは、社会のなかで、程度の差はあれ、できるだけ共通の形とるべきものかということがある。オランダのように、「100の学校があれば、100の教育がある」という原則が、社会に根付いているとすれば、その運営は、なによりも学校独自の部分が大きく、地方行政や国家行政は、最低限の基準を決め、財政補助にかなり限定されることになるだろう。他方、学校教育は社会共通であるべきだと、という原則であれば、教育内容の基準、教員養成機関、視察等々に、行政が深く関わることになる。もちろん、その中間的な形態もある。
 また、別の側面として、初等・中等・高等教育という三段階が存在することは、歴史的に形成され、現在でも国際的に採用されている段階区分になっていると思うが、そうすると、当然初等から中等、中等から高等教育への進学を、どのように行うかということの問題がある。これは、最初の問題の如何にかかわらず、発生する問題である。そして、常識的にみて、上級にいくにしたがって、人数は減少するから、希望しても上級にいけない者がでてくることになり、なんらかの選抜が必要となる。

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