箱物と運営

 今回の旅行で、最後に、バブル最盛期に建築されたというリゾート地に宿泊した。冬はスキーを楽しむことができるが、今は真夏で、しかも平日だったので、実に閑散としていた。バブルを感じさせる広大な建物で、部屋のつくりも贅沢にできていて、かなり広い。もし、なかの機能がそのまま運営されていたら、けっこう長く滞在しても飽きないかも知れない。
 しかし、中の店はほとんどしまっており、レストランもたくさんあるのだが、開いているのはひとつだけで、夕食も朝食も同じところで、しかも、あまり客がいない状態だった。冬は、それなりにたくさんの客がいるのだそうだが、少ないとこれほど機能停止状態になるのかとびっくりするほどだ。聞くところによると、ソニーが最初たてたそうだが、バブルがはじけて潰れ、ロッテが買い取って、現在運営されているという。私はスキーはまったくしないので、正確なところはわからないが、スキーができるといっても、この敷地内に大きなスキー場があるわけではなく、比較的こじんまりとしたスキー場だ。近辺のところにでかけていくということは可能なのだろうが。

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記念館は、役割を果たしているか

 今回の旅行で、記念館に関しては2つ行った。いつも感じるのだが、記念館とは何を伝えようとしているのか、あるいは何を伝えるべきなのか、そして、訪問者は何を知りたがっていると解して、記念館を構成しているのか、そんな疑問を持つのである。
 まず広島の原爆記念館をみた。いままで2回ほど広島にいったのだが、ここは訪れていなかった。今回は不可欠だと考えたのだが、期待を満たされたとはいえない。もちろん、一般市民、外国人、そして、私のような高齢者では、それぞれ求めるのが違うだろうし、あまり、原爆投下の実態について知らない人にたいしては、あのような展示でいいのかも知れない。しかし、日本人の多くは、とくに中高年の人は、原爆の悲惨さは、さまざまな機会に伝えられており、多くの情報をもっている。だから、単に悲惨な写真を見せられても、特別に記念館にきて、新しいことを知ったという気持ちにはなれない。

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伊根の舟屋観光

 この1週間ほど、旅行に出かけていた。そして、本日無事帰って来た。これから、少し、旅行中に考えたことなどを書いていきたい。
 
 この旅行で最も印象に残ったのは、京都の丹後、伊根の舟屋である。残念ながら、ここを見学していたときに、スマホを車に置き忘れてしまったので、写真をとることができなかったが、ウェブ上にたくさんあるし、まさしく、そこでみられるようなものなので、ぜひそれをみてほしい。
 舟屋というのは、建物が、海にせりだしており、一階部分に舟をとめ、漁獲した魚の作業ができるようになっている家のことである。たしかに、現在は廃業している家もおおいので全部ではないが、一階部分に舟が停泊している家がたくさんあった。そして、いまでは、条例によって、この建築方式がこの地区に対しては義務づけられ、勝手にまったく別の様式に改築してはならないことになっているそうだ。そして、これが観光資源となり、毎年多数の観光客が訪れるという。私たちも、そういう観光客だった。

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鬼平犯科帳のベスト 2

 「お熊と茂平」についても、以前に書いたので、簡単にすると、この話の面白さは、平蔵の勘違いが、その後事実に変化していくことにある。
 茂平が臨終の場で、お熊に「自分の死を畳屋庄吉に知らせることと、お金を孫娘にわたす」ことを依頼するが、お熊はお金が57両という大金だったので、平蔵に知らせる。平蔵は、茂平が盗賊の一味で引き込みとして寺にはいっていたという勘違いをして、畳屋に対する警戒体制をとる。実際には、茂平は盗賊ではなく、畳屋の親類だったのだが、畳屋は実際に盗賊で、茂平のかわりに、寺にひとを紹介するということで、引き込みをいれてしまう。ここで、平蔵の錯覚が、現実に転化するわけである。そして、先手をうって、畳屋を逮捕してしまう。庄吉は、葬儀をするために、茂平の遺体をとりにきて、寺の様子を知り、そこで初めて、ここに押し入ったらどうかと思ったわけだ。

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鬼平犯科帳のベストは

 昨年来、シャーロック・ホームズと鬼平犯科帳の比較をやっているが、これがなかなか面白い。もちろん自分勝手な感想だが。
 そして、よく考えるのが、それぞれのベスト作品はどれかということだ。これについては、ふたつの小説は、まったく異なる事情になっている。シャーロック・ホームズは、作者も読者も、1位と2位は一致しているというのが、定説である。1位は「まだらの紐」、2位は「赤毛同盟」である。私もこの評価に完全に同意している。「まだらの紐」は、昔はインドで成功した医者だったが、あることで刑務所にはいることになり、出獄後、すっかり人格が変わってしまい、イギリスに帰って来てから、連れ子の姉妹の財産をあてに生活することになっている。地方の名士なのだが、結婚間近になった姉を殺害し(結婚してしまうと、その彼女の遺産は完全に彼女のものになってしまう)、そして、妹が結婚することになったときにも、それを試みている。しかし、おかしいと考えた彼女がホームズに相談し、ホームズは、すぐに危険を察知して、当日にふたりの住む家に出向き、解決する。義父の企んだ方法は、インドの毒蛇を寝室に侵入させ、娘に噛みつくように仕向けるという方法だった。蛇を呼び返すための口笛に不信を抱いた姉が妹に相談する場面もあるのだが、その日の夜に、噛まれて死んでしまう。妹は、結婚が決まると、家の工事をするということで、姉の部屋(となりが義父が使用する部屋で、そこの金庫に蛇がいて、双方の部屋をつなぐ穴があいており、姉の部屋には、つかわない呼び鈴のための綱があり、ベッドが固定されている)に移されてしまい、口笛が聞こえたので、不安になったわけである。そうした事情から、毒蛇で姉妹を殺害することを見抜き、ホームズとワトソンは、姉の部屋で蛇がやってくるのを待ち、ステッキをふるって追い返すと、興奮した蛇が飼い主を噛み殺してしまう。

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城の鑑賞とバリアフリー

 名古屋城の再建論議だが、10日ほど前に松江城を見て考えさせられた。松江城は江戸時代のままだから、当然エレベーターはない。天守閣の上に行くのはかなり大変である。そもそも城はバリアフリーと正反対の仕組みで建築されたものである。至るところにバリアを設置している。まず、一番下の門をはいっても、道が込み入っており、階段もわざわざ昇りにくく設計している。なかなか上の重要な建物に行き着かない。そして、建物自体が非常に高い場所に建っている。特に、現在の観光地として重要な天守閣は、なかの階段そのものが、非常に急にできており、健康な若者でも、おそらくスムーズには登れないだろう。
 城は軍事的な目的でつくられており、敵の攻撃を迎え撃つようにできているものだ。だから、堀があるのだし、堀をわたっても、いたるところに、難所が設定されている。つまり、バリアフリーどころか、バリアそのものの集積のようなものが、戦国時代から江戸時代初期につくられた城なのである。
 そういう建物をバリアフリーにして観賞して場合、城の本質を理解できるのだろうか、という疑問をもたざるをえなかった。そういう疑問が湧いてきた。城の建物はこのようなものだったということは分かる。観光地の天守閣には、甲冑や鉄砲、大砲などの武器が展示されている。そして、当時の衣服や食事などもわかるようになっている。しかし、城がどのように機能し、敵とどのように闘う全体の構造はわからない。

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高速道路の速度制限 120キロにすべき

 先日ドライブに出かけて、高速道路を走っていたところ、制限速度が120キロという区域があった。それもけっこう長い区間だった。120キロで走ることが、実に快適だったので、制限速度について考えてみた。
 日本は長く、80キロという時代がつづいたが、少しずつ速くなり、現在は、原則100キロということになっていて、区間的に110にしたり、120にしたりしている。
 国によって制限速度は違う。現在はまた異なっているかもしれないが、私が走っていた30年くらい前では、オランダが120(区域でかなり細かく指定していた)、デンマークは110、ドイツが指定区域以外は無制限だった。イタリアにも無制限区域があった。
 ドイツのように無制限がいいとは、私自身はあまり思っていない。ドイツの高速道路は、ヒトラーがつくりはじめたもので、非常に古い部分も多く、合流車線が短かったり、見にくかったりする部分も多いし、さすがに200キロくらいだせば、制御も難しくなる。オランダに住んでいたためか、ドイツの高速道路は事故が多かった記憶がある。しかも複数台がからむ事故が多かった。

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五十嵐顕考察25 教育の自由4

 では、オランダでは何故教育の自由が憲法上の規定になり、世界でもっとも自由な教育制度が実現したのかを考えてみよう。
 まずそれは、オランダ建国の歴史がもっとも自由の重要性を認識させるものである。オランダは、宗教改革に対する反改革の拠点となり、カトリック以外の宗派を弾圧する政治を行なっていたスペインに対して、宗教の自由を求めて独立戦争を闘ったあとで、独立を勝ち取ったことで、オランダという国家が成立した。つまり宗教の自由、精神の自由は、建国の理念となっている。そして、重要なことは、カトリック国スペインに対抗したとはいえ、オランダにはカトリック教徒もおり、また、新教徒にもふたつの宗派があった。このみっつの宗教勢力はほぼ拮抗しており、そして、協力して独立戦争を闘ったのである。だから、ある特定の宗派が多数派を形成するという、ヨーロッパの国家の多くと異なって、異なる宗派が拮抗して、最終的には妥協しあう政治体制が形成されてきた。そして、19世紀になると、ここにやはり拮抗できる勢力としてリベラル派が登場し、主に4つの勢力が妥協的に政治を押し進めてきた。それか教育の自由を認めるもっとも大きな理由である。

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五十嵐顕考察24 教育の自由3

 では、「教育の自由」を主張することは、どのようにして可能なのか。あるいは、それは教育権として、適切な主張なのかをみておこう。
 前述したように、世界で教育の自由を憲法で承認しているのは、オランダだけである。では、オランダでは、教育の自由とは何を意味しており、どのように、社会権としての教育権と調和しているのか。
 オランダ憲法のなかで、教育については、学校設立の自由、教育内容の自由(おもに世界観について)、教育方法の自由を保障している。そして、もうひとつ重要な規定が、公立学校と私立学校の、教育財政上の平等である。
 まず「学校設立の自由」をみてみよう。
 実は日本においても、学校設立の自由は、認められている。しかし、日本人で、自由に学校を設立できると思っているひとは、ほとんどいないに違いない。法的に自由であっても、実際に学校を設立し、維持することは、極めて困難だからである。なんといっても、莫大な資金が必要である。そうした資金を用意できるひとは、極めて限られている。

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五十嵐顕考察23 教育の自由2

 前回は、自由という思想的系譜において「意思の自由」という系譜と、不当な干渉を受けない自由というふたつ系譜があり、それぞれ現代社会において、重要な、かつ実質的な意味をもっていることを指摘した。
 そして、更に、「意思自由」の系譜においては、必然性の認識論と存在被拘束性の論があることを確認した。
 
 さて五十嵐は、教師の研究の自由を根拠づけるのに、かなり複雑な論理構成をしている。この根拠づけは、五十嵐に限らず、一筋縄ではいかないのだが。
 まず、基本は、大学の教師や専門研究者に認められる学問の自由、そして、その系としてでてくる教授の自由が、高校・中学・小学校の教師にもあてはまるのだ、という構成をとっている。しかし、私の見る限り、大学と高校~小学校においては、異なる意味づけをしている。そもそも、大学については、伝統的に承認されている論理があるから、特別に論証する必要があまりないと考えられている。しかし、高校~小学校については、決まった教材を教えるのだから、学問の自由と、教授の自由は、そもそも問題にならないというのが、大学限定論(宮沢俊義)である。

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