五十嵐顕考察25 教育の自由4

 では、オランダでは何故教育の自由が憲法上の規定になり、世界でもっとも自由な教育制度が実現したのかを考えてみよう。
 まずそれは、オランダ建国の歴史がもっとも自由の重要性を認識させるものである。オランダは、宗教改革に対する反改革の拠点となり、カトリック以外の宗派を弾圧する政治を行なっていたスペインに対して、宗教の自由を求めて独立戦争を闘ったあとで、独立を勝ち取ったことで、オランダという国家が成立した。つまり宗教の自由、精神の自由は、建国の理念となっている。そして、重要なことは、カトリック国スペインに対抗したとはいえ、オランダにはカトリック教徒もおり、また、新教徒にもふたつの宗派があった。このみっつの宗教勢力はほぼ拮抗しており、そして、協力して独立戦争を闘ったのである。だから、ある特定の宗派が多数派を形成するという、ヨーロッパの国家の多くと異なって、異なる宗派が拮抗して、最終的には妥協しあう政治体制が形成されてきた。そして、19世紀になると、ここにやはり拮抗できる勢力としてリベラル派が登場し、主に4つの勢力が妥協的に政治を押し進めてきた。それか教育の自由を認めるもっとも大きな理由である。

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五十嵐顕考察24 教育の自由3

 では、「教育の自由」を主張することは、どのようにして可能なのか。あるいは、それは教育権として、適切な主張なのかをみておこう。
 前述したように、世界で教育の自由を憲法で承認しているのは、オランダだけである。では、オランダでは、教育の自由とは何を意味しており、どのように、社会権としての教育権と調和しているのか。
 オランダ憲法のなかで、教育については、学校設立の自由、教育内容の自由(おもに世界観について)、教育方法の自由を保障している。そして、もうひとつ重要な規定が、公立学校と私立学校の、教育財政上の平等である。
 まず「学校設立の自由」をみてみよう。
 実は日本においても、学校設立の自由は、認められている。しかし、日本人で、自由に学校を設立できると思っているひとは、ほとんどいないに違いない。法的に自由であっても、実際に学校を設立し、維持することは、極めて困難だからである。なんといっても、莫大な資金が必要である。そうした資金を用意できるひとは、極めて限られている。

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五十嵐顕考察23 教育の自由2

 前回は、自由という思想的系譜において「意思の自由」という系譜と、不当な干渉を受けない自由というふたつ系譜があり、それぞれ現代社会において、重要な、かつ実質的な意味をもっていることを指摘した。
 そして、更に、「意思自由」の系譜においては、必然性の認識論と存在被拘束性の論があることを確認した。
 
 さて五十嵐は、教師の研究の自由を根拠づけるのに、かなり複雑な論理構成をしている。この根拠づけは、五十嵐に限らず、一筋縄ではいかないのだが。
 まず、基本は、大学の教師や専門研究者に認められる学問の自由、そして、その系としてでてくる教授の自由が、高校・中学・小学校の教師にもあてはまるのだ、という構成をとっている。しかし、私の見る限り、大学と高校~小学校においては、異なる意味づけをしている。そもそも、大学については、伝統的に承認されている論理があるから、特別に論証する必要があまりないと考えられている。しかし、高校~小学校については、決まった教材を教えるのだから、学問の自由と、教授の自由は、そもそも問題にならないというのが、大学限定論(宮沢俊義)である。

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拍子抜けのプリゴジン

 昨日は、もう少し頑張るだろうと、正直思っていたが、やはりプーチンのほうが役者が何枚も上だったようだ。いくらいさましいことを言っていても、プリゴジンは、所詮は、料理人なのかも知れない。本当の軍人として、5万人の兵士たちのトップならば、あのような腰砕けは、恥以外のなにものでもないはずだ。ある種の武人ならば、負けを覚悟で華々しく暴れまわってやろう、という覚悟くらいあってしかるべきだ。
 とにかく、プーチンとの間に、なんらかの妥協が成立したのだろう。当然プーチンは、何か餌を用意したはずだ。最も考えられるのは、ショイグかゲラシモフの降格、責任者から外すという約束だろう。プリゴジンが素直に飲む条件は、そのことしか考えられない。
 もちろん、そんな約束はできない。お前は反乱分子だから、徹底的に殲滅する。軍のだれも、お前に呼応してたつやつなどいない。いたか?国軍を甘くみないほうがいい。本当にこのままワグネルの兵隊たちと進軍するというのならば、ミサイル攻撃をして、お前たちを木っ端みじんにする。すべての兵隊を殺害する。だが、もし、ここでおれるなら、反逆罪の罪にも問わないし、兵士たちも許してやろう。そして、名誉あるロシア軍の一員として参加させよう。その代わり、お前は、すべてから引退しろ、それ以外に助かる道はない。

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ロシアで内戦か

 今後どうなるかはわからないが、ウクライナを応援するひとたちのほとんどが期待してきた事態が、少しずつ生じつつある。バフムトから撤退したワグネル舞台が、いよいよロシア領内にはいり、政府と、表面的には激しい対立状態になっている。報道によれば、ワグネルはロストフ州にはいり、そこの庁舎等の建物を占拠しており、また、プリゴジンは、ロシア側から攻撃をうけ、多数が死亡したと主張しているという。それにたいして、ロシア政府は、それはデマで、攻撃などしていない、としつつ、しかし、刑事犯としての捜査を開始したとのべているという。
 また、ワグネル側は、ロシア軍のヘリコプターを撃墜したとも主張しているようだ。

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チャイコフスキー・コンクール2023

 チャイコフスキー・コンクールが開催されている。開幕に際しては、各紙が報じた。とくに、今回はロシアのウクライナ侵略開始後のことなので、そのことが話題の中心であった。西側からの応募者は激減し、参加国もへったとされる。ロシア以外では、積極的に参加したのは中国くらいのようだ。しかし、そういうなかで、日本人の参加は、7人とどの新聞も報じている。
 チャイコフスキー・コンクールは、ショパン・コンクール、エリザベート・コンクールとならんで、世界の3大コンクールと呼ばれているが、戦前からある他のふたつと違って、戦後になって、ソ連の国策によって設置されたコンクールであり、国威発揚的色彩が強い。もっとも、芸術的歴史の長い、そして、優れた音楽家を多数輩出してきた国らしく、とくに偏った順位づけをしているという感じもなく、チャイコフスキー・コンクール出身の優れた音楽家はたくさんいる。日本人の優勝者や上位入賞者もおり、そういう意味では、日本人にとっても、親しまれているコンクールであった。

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五十嵐顕考察22 教育の自由1

 五十嵐の論文で、教育における研究の自由に関する論文があった。極めて、興味深い論文で、五十嵐の若いころのものだが、私の考えとは完全に異なるものであることが、明確になった感じだ。
 「自由」という概念は、実に多くの切り口、あるいは側面をもっている。そして、現実の生活や社会のありかたに多大な影響をあたえているし、また、もっとも論争点となっている概念でもあるだろう。
 私の理解であるが、極めて大きくふたつにわけると、ひとつは「自由意思」に関わる問題であり、もうひとつは「国家的干渉からの自由」という問題である。

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ウクライナ勝利の期待は、ロシア内部崩壊から

 ウクライナの大規模反攻が始まったとされていて、少しずつウクライナ軍が前進している。しかし、その前進の程度は、期待からすると遅々としたもので、うまくいっていないのではないか、という不安を感じている人も多いようだ。しかし、希望する、つまり、なくてはならない武器、長距離ミサイルや戦闘機を欠いた状態での攻勢なのだから、そんなに速い進展を期待するほうが無理というものだろう。昨年のハルキウ奪還は、あくまでも不意をついた攻撃で、ロシア兵が逃げ出したことが大きい。しかし、今回は、前々から大規模反攻をすると、ウクライナも宣伝していたのだから、どんなに士気の低いロシアでも、準備万端を整えているのだから、そうそう簡単に突破できるものではない。むしろ航空機戦力はロシアのほうが勝っているのだから、尚更だ。

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「鬼平犯科帳」平蔵は盗みをしたことがあるか

 シャーロック・ホームズは、ときどき犯罪者と対抗するためだが、違法な行為をしている。とくに、悪質な脅迫魔として、何人も人々の運命を台無しにしたミルバートンの屋敷に忍び込んで、書類を処分したのは、不法侵入であり、また、文書を盗んだも同然だろう。さすがのワトソンも、この試みの前には、賛成できないことをシャーロック・ホームズに主張している。ホームズは、庭師に化けて屋敷に雇われ、ここの女性の雇い人と婚約までして、内部の情報を聞き出す。そして、絶対にミルバートンが寝ているときに、侵入するのである。しかし、このときミルバートンは約束があり、おきていて、ホームズたちが侵入した部屋にやってきて、ぶらぶら過ごしている。そして、そのうち約束の女性がやってきて、ミルバートンを銃で殺害してしまう。そして、彼女が去って、混乱している間に、書類を全部燃やしてしまい、逃れるのだが、ワトソンは捕まりそうになり、そのときワトソンは人相を見られてしまう。翌日警部がやってきて、人相を語るが、いかにワトソンに似ていても、ふたりが侵入犯と思われるはずもなというわけだ。
 では、平蔵はどうなのか。ホームズは創作の人物だが、長谷川平蔵は実在の人物であり、旗本の身分だから、盗みなど実際にはしなかっただろう。しかし、小説のなかでは、なかなか微妙に書かれている。

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抽選で選ぶ 日本人の感性なのか

 私が所属している市民オーケストラは、毎年12月に市民合唱と合同の演奏会を行う。合唱団と一緒ということは、当然大規模な合唱曲を演奏するということだ。代表的にはベートーヴェンの第九だが、これは3年か4年に一度行い、その間に、毎年違う曲目をやるわけだ。今年は、コロナのためにのびのびになっていたロッシーニの「スターバト・マーテル」を演奏することになっている。
 合唱団は、毎年応募で年ごとに編成するのだが、ずっと、希望者全員を、よほどのことがない限り受け入れてきた。しかし、コロナの影響で、大人数はまずいということになったのか、私は運営ではないのでわからないのだが、コロナ以降の復帰である昨年の第九で、人数制限をすることになった。そして、定員をオーバーしたときには、抽選をします、ということになっていた。そして、それは今年も踏襲された。
 
 私はこの抽選方式に、ずっと違和感を感じている。抽選は、一見公平なようでいて、非常に不公正な方式ではないかと思うのである。もちろん、選抜するもとの人々が決まっていて、そのなかからだれかを選ぶ、しかも、メンバーであれば、基本的にだれでもよい、というときには、抽選もいいかもしれない。古代ギリシャでは、公的な役職を抽選で選んだという。現在の裁判員も一種の抽選である。しかし、外部からの募集で、希望を募ってメンバーを構成するときに、抽選は非常に不公正だと思うのである。

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