代替肉の可能性2

 食料問題は、環境問題だけではなく、食品ロスや途上国の食料不足・飢餓問題など、多様である。そして、それらは別々のものではなく、家畜や養殖の飼料として消費される食料が、そのまま人間が消費されるようになれば、かなりの飢餓を救うことができる。食品ロスも同様である。だから、環境問題としての象徴的「牛肉」問題は、食料問題を広範に改善することになる。また添加物などによる健康被害問題も軽視できない。
 
 牛肉を食べることが、どれだけ大きな食料を無駄にたくさん牛に食べさせてしまうかを知ると、人々は、牛肉を控えるようになるのだろうか。そこに文化がかかわってくる。インドのように牛肉が忌避されている国では、そもそも牛肉を食べないのだから、その代替肉を求める感情自体が起きないだろう。日本や中国のように、代替肉の原料である大豆料理が既に広く、多様に普及している国では、大豆料理のメニューがひとつ増える程度の効果しかないと思われるのだが。

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代替肉の可能性

 現在、環境問題を重視する観点から、動物性タンパクの食品を、植物性タンパクでつくることが、欧米で浸透しつつある。大豆を主な材料でつくったビフテキなどである。ところが、こうした食品は日本では、なかなか売れないのだそうだ。私は、一度食べてみたいと思っているが、実際にそうした商品やレストランでのメニューに接したことがない。通常のファミレスなどでは、見たことがない。
 動物性タンパクのとり方を改善するべきであるという領域はたくさんある。そもそも、牛肉が環境派にとって攻撃の対象になるのは、牛を成長させるために必要な栄養素は、牛の肉等によってとれる栄養素の何倍もあり、例えば、飼料のトウモロコシを牛に食べさせるのではなく、直接人間が食べれば、ずっと多くの人の胃袋を満たすことができるということだ。それは、大きな魚の養殖にもいえる。ブリの養殖のためはには、大量のいわしを必要とする。いわしを直接食べれば、やはりずっと多くの人が栄養をとる点では合理的なのである。更に牛やブリの排泄物の環境汚染要因も大きい。そして、牛のための飼料を育てるために、アマゾンの熱帯雨林がどんどん伐採されているという、環境破壊も進んでいる。牛肉はおいしい、ブリはいわしよりおいしいのは確かであるが、私には、いわしをたくさんの人が食べられるほうがよい。いわしも十分においしいではないか。

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高騰する電気料金を考える

 電気料金の値上がりが、テレビなどでもずいぶんと取り上げられている。羽鳥モーニングショーでも、何度か扱われている。そのなかで、それは大変だろうなという事例がたくさん取り上げられていた。しかし、ちょっと待て、という例がないこともない。
 個々の家庭では、自衛手段しかないのだから、どうやって電気料金を抑えるかの工夫が必要である。何に違和感をもったかというと、電気代がこんなに高かったという家庭の様子が紹介されていたのだが、子どもたちがまるで夏のような薄着で過ごしていたことだ。あの服装だと、室温をかなり高く設定しているのだろう。暖房の設定温度を1度下げるだけで、かなりの電力の節約になると言われているのだから、そういうことをもっと考慮して、生活したらどうかと思ったわけである。

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高齢者は集団自決を? 成田祐輔氏への疑問

 最近話題の成田祐輔氏が、あちこちで「高齢者の集団自決」が必要だという主張をしているということを、その批判文で知った。特別に話題になったのは今年かららしいが、以前からの主張のようだ。最初に読んだのは、内田樹「『高齢者の集団自決』の提言 日本の国運の衰退の解決にはならない」〈AERA〉
であり、驚いて他の文章も探し、「成田悠輔氏「高齢者は集団自決」発言を“例え話”と笑っていられない理由」窪田順生を読んだ。
 いずれも、ヒトラーとユダヤ人撲滅などとひっかけて批判したものだ。
 では、本人はどう言っているのかと探したところ、abemaTVで語っていることが多いらしいが、youtubeにも出ているので、次のものをみた。
 
 私は、成田氏を著書と羽鳥モーニングショーにでているときしか知らないので、こうした過激な主張は知らなかったので、少々驚いた。

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チェロのトラブル 適切な湿度の必要性

 今年に入ったころからだろうか、どうもチェロの鳴りが悪くなったような気がしていた。これは昨年夏あたりから、左手の痛みが出て、そのことによって、うまく楽器が扱えなくなっているのかと思っていた。
 チェロをやったことがある人はわかると思うが、チェロは弦が太いので、かなり力がいる。そして、練習をあまりしない状態から、久しぶりに弾くと、腕や手が痛くなるものだ。しかし、この時の痛さは、逆で、毎日練習しているのに、弾き始めると、それだけ痛くなるのだ。いよいよ歳なのかという思いと、ひょっとしたら、コロナワクチンの副作用だろうかという思いもよぎった。私はまったく副作用がなかったのだが、どうもワクチンを打った左手だけが痛い。そして、それが楽器の鳴りに影響しているのかなどと思っていたわけだ。昨年の7月に4回目、今年の1月初めに5回目のワクチン接種をしたので、ありうるとは思う。

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「タイパ」はZ世代の専売ではない

 「あなたも言ってない?「タイパ」重視のZ世代が嫌う、あの“おじさん常套句”」という記事があった。
 今の学生が、中高年おじさんの「自分の若いころは・・・・」という語りを時間の無駄だと思って嫌っているが、これは、若い世代、Z世代がタイパ意識が強くなっているからだ、という趣旨の文章である。非常にわかりにくい文章で、言いたいことが整理されていないが、面白いと思ったことがいくつかあった。
 
 「自分の若いころは・・・」という中高年の嘆きは、今に始まったことではなく、「近頃の若い者は・・・」というおじさんの愚痴は、エジプトの古代文書からも見つかったそうで、人類普遍の愚痴らしいから、Z世代と絡めるのは、適切とはいえない。タイパ意識も、Z世代特有のことではないはずである。
 「タイパ」とは、この文章で始めて知ったのだが、ストリーミングサービスなどで、ドラマを見るときに、倍速視聴をする若者が多く、若者は当然視しているが、おじさん世代は「そんなことでドラマをきちんと味わうことはできない」と批判が巻き起こり、論争になったのだそうだ。

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過払い金取り戻しを考える

 最近、ラジオやテレビのコマーシャルで、払いすぎの利息を取り戻せるという、弁護士事務所のものが非常に多い。特に車の運転中にラジオを聞いていると、1時間に1度は必ずその種のコマーシャルが入る。私自身は、カードローンやリボ払いを利用したことがないので、そうした種類の利息を払ったことがないから、過払い金などはないのだが、こうしたコマーシャルを聞いていると、考えさせられることが多い。
 
 まず、何故そんなに過払い金が生じるのかということだ。現在こうした「借りたお金(=貸したお金)」に対しての利子は、法律によって上限が決まっている。もちろん、過払いが生じている「貸し手」は、銀行やカード会社等のきちんとした企業である。だから、弁護士から正規の手続きで返還を求められたら、そうするわけだ。だが、昔のサラ金ならいざ知らず、銀行が利息を法定利息分以上にとってしまうことがあるのだろうか。

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新年の挨拶

 新年おめでとうございます。
 新しい年になり、退職している身としては、特に新しい職務などもないのだが、今年も、せっせとブログを書き、それに加えて、多少なりとも、創造的な仕事をしたいと考えている。
 さて、何をやろうかと。
 私は、教職にあったときに、学生に対して、10年ごとに新しいことを始めなさいと、いっていた。変化の激しい社会にあって、変化に対応していくためには、新しいことに挑戦する姿勢が必要だからだ。これまでやったことのないことを始める経験を積んでおけば、これまでとはまったく違うことをしなければならない、というような事態に直面しても、対応する気持ちになれる。

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SDカードが8400円?!

 このようなことは、あまり書きたくないのだが、非常に不愉快な思いをしたので、参考までに書いておくことにした。そして、書いてから数日、アップすることを迷っていたが、やはり、注意喚起という点で意味があると思い、アップすることにした。
 
 家族のスマホのSDカードが破損しているというメッセージが出てくる。何度か独力で修正を試みたのだが、改善されないので、店にもっていくことにした。スマホはY-mobile で契約したものだ。
 最初に経過を話して、最終的には店にあるカードを入れてほしいと説明した。このカードは自宅にあったカードで、最初はきちんと作動していたのだが、そのうち破損しているというメッセージがでるようになった。旅先の店で入れ直してもらったところしばらくは正常になったのだが、またまたおかしくなり、一切の写真が提示されない状況になったので、独力では無理だと思ったわけである。

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煙草 あれこれ

 最近煙草の話題が多い。世紀の変わり目のあたりでは、嫌煙権に関わる話題が多かったが、最近では、嫌煙権は当たり前のことになり、公共の場所での喫煙を規制すべきかどうか、などということは、議論すらされなくなっている。最近は、喫煙をする人は、本当に少なくなった。大変けっこうなことだ。煙草は、高い税金を払いながら、自分の健康をむしばんでいるだけのものだからだ。他人に迷惑をかけるものでもある。
 
 最近の煙草話題のトップは、ポイ捨て禁止の条例があるにもかかわらず、ポイ捨てをしてしまった市長であろう。謝罪をして、給与の一部返納を申し出ているにもかかわらず、まだワイドショーでのネタとなっている。市民にルールを守らせる責任者である市長が、みずからルール違反をしているのでは、市民が怒るのも無理はない。単に煙草のポイ捨てというだけの問題ではない。市長として留まるのかどうかは、まだわからないが、ポイ捨てが禁止されていることを、改めて社会に注目させたことは、反面教師的な効果はあったともいえる。

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