煙草 あれこれ

 最近煙草の話題が多い。世紀の変わり目のあたりでは、嫌煙権に関わる話題が多かったが、最近では、嫌煙権は当たり前のことになり、公共の場所での喫煙を規制すべきかどうか、などということは、議論すらされなくなっている。最近は、喫煙をする人は、本当に少なくなった。大変けっこうなことだ。煙草は、高い税金を払いながら、自分の健康をむしばんでいるだけのものだからだ。他人に迷惑をかけるものでもある。
 
 最近の煙草話題のトップは、ポイ捨て禁止の条例があるにもかかわらず、ポイ捨てをしてしまった市長であろう。謝罪をして、給与の一部返納を申し出ているにもかかわらず、まだワイドショーでのネタとなっている。市民にルールを守らせる責任者である市長が、みずからルール違反をしているのでは、市民が怒るのも無理はない。単に煙草のポイ捨てというだけの問題ではない。市長として留まるのかどうかは、まだわからないが、ポイ捨てが禁止されていることを、改めて社会に注目させたことは、反面教師的な効果はあったともいえる。

 
 もう一つの話題は、防衛予算増額の財源に関して、煙草税の増額が検討されているという。これは、少々評価が、私にとっては難しい。防衛予算増額問題は、また別の機会に扱いたいと思っているが、国を防衛することは、どういう体制が必要なのかを、まったく検討しないまま、とにかく、増額論議が先行しているのは、極めて危険である。現在の自衛隊のあり方を含めて検討した上で、どうしても増額が必要であるならば、そうすべきだが、肝心の議論なしに、増額だけすれば、ただただ軍事的要素が肥大していくだけだ。だから、防衛予算の現在の増額議論には賛成できないわけで、当然財源議論は、あとの話である。
 そうはいっても、財源議論としていえば、煙草税は、いかなる領域にあてるとしても、増税してもよいと思う。煙草がすえなくなるという人がいたら、禁煙のいい機会ではないかといいたい。喫煙者にはなかなか感覚的にわからないかも知れないが、非喫煙者にとって、煙草の煙は、本当に嫌なものなのだ。喫煙者は、そうでない人に、吸うたびに迷惑をかけていることを自覚してほしいものだ。
 
 最近シャーロック・ホームズのドラマを集中的に見ているのだが、ホームズだけではなく、ほとんどの男性が煙草を吸い、しかも、平気でポイ捨てをしている。ホームズがマッチのポイ捨てをしているので、いつも気になっているが、ある場面で、新聞紙に火がついて、ホームズとワトソンがあわてて火を消すというのがあった。笑ってしまったが、当時のイギリス社会は、それほど喫煙率が高かったのだろうか。日本の刑事ドラマも、1980年代くらいまでは、刑事たちはひっきりなしに煙草を吸っている印象だ。さすがに、最近の、例えば「相棒」では刑事でさえ、ほとんど喫煙していない。
 昔は、あれだけ煙草の煙が充満している部屋で、吸わない人は不快感を感じなかったのだろうか。もしかしたら、慣れが感覚を麻痺させていたのかもしれない。
 
 オペラ最大の名作といえる「カルメン」の第一幕はタバコ工場の前の広場である。そして、女工たちがたくさん出てくる。有名なクライバー指揮、ゼッフィレルリ演出のウィーン盤では、女工役たちがタバコをふかしていて、舞台は煙が充満している。あれで歌手たちは、ちゃんと歌えるのかと、心配してしまうほどだ。1978年の公演だが、さすがに最近の演奏では、あそこまでタバコを吸わせないようだが、それでも物語上必要なしかけであることも確かだ。
 
 私がまだ大学院生だったころ、私は遠慮なく、煙草の煙への不快感を表明していたが、何人かは実際に禁煙した。そして、その一人が、数カ月経って、以前は、私が「この部屋空気が悪い」といっても、何も感じなかったけど、実際に禁煙してみると、煙草を吸っている人の部屋に入ると、空気が悪いと感じるようになった。以前はまったくわからなかったけど。そういう話をしてくれたことがある。だから、いつも煙草の煙に囲まれていると、喫煙しない人も、多くは特別な不快感は感じなかったのかも知れない。しかし、それは、やはり健康には悪い影響を受けていたし、また、感覚が鈍っていることでもある。
 
 ある大学工学部の教授で、有名なyoutuberの人が、煙草の害などはないのだ、科学的に検証してみればわかる、といって、喫煙者と非喫煙者の肺癌の罹患率のグラフをみせていた。それも本物かどうかはわからないが、ふたつに有意差はないといって、喫煙したから肺癌になる確率が高くなることはない、従って、煙草の害などは存在しないなのだ、などという話をyoutubeでやっていた。これが科学者を自称する人かと驚いた。この人は、地球温暖化など起きていないと主張して、地球創設時からの気温の推移のグラフをみせて、今はそんなに気温が高いわけではない、だから、温暖化など起きていないのだ、と断定していた。
 煙草の害は、肺癌だけではないし、温暖化は、地球発生以来の温度差ではなく、人類の文明が発生して、産業革命ころまでは安定していたのが、特に20世紀になって平均気温が上昇することによって起きた問題であるのに、まったく見当違いの批判をしている。それを科学だと称して。
 科学者が検討の対象に対する勘違いをすると、とんでもない誤りをおかす典型といえるだろう。
 
 私は、好きで煙草を吸い、自分の健康の悪化も構わないという人に、禁煙を強いるような気持ちはないし、そのような制度にすることも賛成できない。しかし、非喫煙者にとっては、煙草の煙は不快であるだけでなく、健康に害があることは明らかなのだから、喫煙は、煙がもれない、人がいないところに限定することは、確実に実施するべきだと思う。ポイ捨ては、他人のいるところで吸っていることを意味しているのだから、禁止することは当然である。ポイ捨てした市長は、やはり市長としての資格を問題にされても仕方ない。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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