坂本竜馬記念館

 昨日は奈良を早めに出発して、高知県に移動した。途中大阪の高速道路は、首都高と同じで、必ず渋滞が発生する。それが、今回は神戸のほうまで渋滞が延びて、かなり時間がかかってしまった。神戸は山と海岸線がそれほど離れておらず、さくこんの高速道路が必要だとも思えないのだが、既存の名神や中国自動車道以外にも、神戸を走る高速が複数あるのに、すごく混んでいる。高速を大都市の市街地中心にまで建設するのは、やめたほうがいいのではないかと、改めて思った。
 ふたつの大橋を経て、淡路島から四国に至り、そのあとは、高速道路といっても、片側一車線の対面交通が多く、あまり高速道路を運転している感じではなかった。ただ、四国の山地には、本当に森林がずっと続いており、日本は森林の多い国であることを実感させてくれる。

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平城宮復元

 関ヶ原の岐阜県から奈良に移動。昨日、平城宮復元工事が行われている地域を見学した。周知のように、奈良県平城京は、約70年間日本の都だったが、その後廃れてしまい、ほとんどが水田地帯になっていたらしい。しかし、何人かの平城京復元の主張が少しずつ実り始めて、現在は国家事業として、復元作業が行われている。もちろん、建物などは一切残っていないので、復元といっても、新たにこうだっただろうという形で、復元しているわけだ。できているのは朱雀門と大極殿のふたつだ。平城宮の南門である朱雀門の南には、資料館やレストランなど,いくつかの建物が立っており、復元の際には、周囲の観光地になるのだろう。そのほかの土地は飯場になっているか、荒れ地になっている。

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関ヶ原古戦場記念館

 現在、群響演奏会を皮切りに、九州までの旅の最中だ。高崎、関ヶ原と。昨日、関ヶ原の古戦場記念館を見てきた。今でも、関ヶ原という地名は、関ヶ原の天下分け目の闘いと結びついて記憶されているし、関ヶ原という地域でも、闘いは重要な町おこしの資源になっているようだ。至るところに、各武将の陣屋跡があり、合戦の指標などが記されている。そうした合戦資料の中心がこの古戦場記念館だ。1階がシネマ場、2階が資料展示、5階が展望コーナーだ。
 まず、シネマについては、まったく感心しなかったし、むしろ腹がたったほどだ。
 ふたつの部屋を使い、最初は立ったまま床に映し出される映像をみるというもので、関ヶ原の闘いの各部隊の動きをみせるだけのものだった。ほぼ定説にそったもので、別段興味を引くものではなかった。むしろ、何故床に映して、立ったままみせるのか。その利点がまったわからない。360度囲むように立っているので、半分近くの人は、逆さまの映像を見せられることになる。

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マスクとヒジャブ・強要と解放

 人々の感覚、考え、そして風習には大きな差がある。コロナ流行でのマスクについて、欧米人と日本人では、まったくといっていいほどの対応の違いがあった。爆発的な感染時よりは少なくなっているが、それでも初期に比べれば、まだ感染が多いにもかかわらず、欧米ではほとんどマスクをしなくなっている。しかし、日本ではマスクが義務化されているわけでもないのに、マスク着用を求める施設や店が多いし、それを受け入れるひとが大多数だ。私が大学に勤めていたのは、コロナ前だが、実は、既にかなりの学生、特に女子学生が、冬になるとマスクをしているひとが多かった。インフルエンザ対策なのかも知れないが、それほど流行していない時期でも、マスクをしているので、不思議だといつも感じていたものだ。だから、コロナ流行後に、日本人のほとんどがマスクをするようになったのも、自然な成り行きだったのだろう。

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山上映画から考える(まだ見ていないが) 永山則夫との比較

 安倍元首相銃撃を題材にした足立正生監督の映画が、鹿児島で上映中止となったことで話題になっている。実際に、近くで上映もしていないので、私自身は見ていないし、内容に関しては書けないが、いろいろと思うところはある。
 こうした映画で思い出すのは、新藤兼人監督の『裸の十九歳』だ。1969年の暮れに4件の連続殺人事件を起こした永山則夫を扱った映画だ。上映が1970年だから、これも事件から間もなくの撮影だった。永山は私より一歳年下で、この時私は大学一年生だった。事件の経過や捕まったときのことは、よく覚えているし、たしかこの映画を見にいったと思う。そして、かなり年月がたったあとに、もう一度DVDをレンタルで見た。準備期間が短かったわりには、よく調べられて、きちんとつくられた映画だと思う。ただ、主人公の原田大二郎と永山は、あまりに容貌の差があり、映画だから仕方ないかと思ったものだ。

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ドムドムバーガー復活

 8月5日毎日新聞に「専業主婦から社長に “絶滅危惧種”ドムドムバーガー復活の戦略」という、非常に面白い記事がでていた。実は、私が大学に就職したとき、駅前にドムドムバーガーがあった。たまに利用していたが、ドムドムバーガーなんて、他ではあまりみなかったし、マクドナルドは大きな駅前か高速のインターチェンジにしか出店しないという噂だったから、「我々の地域には、ドムドムバーガーしかきてくれないんだ」などと、自虐的な会話をしていたものだ。そのうちにドムドムバーガーすら消えてしまい、それからかなり経って駅の反対側にマクドナルドが出店してきた。駅前もかなり再開発が行われて、賑やかになったこともある。しかし、どこにいってもドムドムバーガーはみかけないので、既にまったくつぶれてしまったのかと思っていた。
 ところが、復活しつつあるというので、興味津々記事を読んだが、これが非常に面白い。ぜひ読んでほしいと思い紹介の文章を書くことにした。

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吹奏楽コンクールの問題

 夏は高校野球のシーズンという人が多いが、吹奏楽コンクールのシーズンでもある。私は、中学時代吹奏楽部に入っていたが、コンクールにでたことはなく、2年後輩くらいから出ていたと思う。そして、勤めていた大学は吹奏楽の名門で、吹奏楽部に入りたいので志望したという学生も少なくなかったほどだ。毎年金賞を獲得していたくらいだ。
 しかし、私は吹奏楽のそうしたコンクール至上主義に強い疑問をもっていたところ、youtubeの車田和寿氏が、問題を指摘しているのをみた。
 氏の指摘する問題は、コンクールに勝ちたいという目的に集中して練習をすると、ただひたすら揃った演奏、音程が正確な演奏をめざすようになってしまい、音楽そのものが軽視されるということだ。これは、私が属している市民オケにやってくる指揮者で、吹奏楽の指導もしている人は、共通にいうことだ。というよりは、とにかく、正確だが、角張った演奏をするという。

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倍速視聴を批判する記事が増えているが

 私はyoutubeや録画したビデオを見るときには、たいてい早見機能を使う。だいたい1.5倍の速度だ。DVD-RやBD-Rに録画したのを早見機能で見たいと思っていて、それが可能なプレーヤーを探しているのだが、なかなか見つからない。私がもっているソニーのブルーレイ・レコーダーは、ひとつだけが早見機能をもっているが、それはハードディスクに録画したファイルのみ適用可能で、一端ディスクに移してしまうと、使えなくなる。
 こうした倍速視聴、早見は、私にとっては当たり前の機能だし、活用だが、そういうことに異議を唱える書き込みを、最近いくつか見た。
 本日(7月3日)の毎日新聞もに掲載されている。「映画観賞、早送りで? 若者に多く 背景に『余裕のなさ』」という山下智恵執筆で、稲田豊史氏のインタビューを基にした記事である。稲田氏は、『映画を早送りで観るひとたち ファスト映画・ネタバレ--コンテンツ消費の現在形』という著書で話題になっている人なのだそうだ。

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映画東京オリンピックsideB Aより大分落ちる

 河瀨直美監督の東京オリンピックsideBを見た。Aは比較的よかったと思い、ブログにも書いたが、Bは完全に失望という感じだった。事前に、映画コムでのレビューを見ていたから、期待はしていなかったが、ほとんどすべてが否定的だったレビュー通りだったといえる。
 上映期間も1週間だから、もともと客がはいることは期待していなかったのかも知れない。レビューには、オリンピック自体が無観客だったのだから、映画も無観客なのだろうという文もあったくらい、かなしいほどの客の入りだ。Aは5名で、今回は同じ映画館だったが12名だった。Aはけっこう評価が高かったので、Bも見てみようという人がいたのかも知れない。
 Aは、 それでも「発見」があった。そして、勝利者の激闘ではなく、出場そのものに困難があったアスリートたちの物語という「筋」があり、そういうひとたちはメダルをとっていないので、話題になっていない人がほとんどだから初めて知ったし、また、こういう努力もあるのかという驚きもあった。出産後間もないのに出場して、レース途中に棄権せざるをえなかった女性マラソンランナーなど、メディアは取り上げていたのだろうか。

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福井大学での論文査読の不正

 
 学術雑誌の査読不正は、しばしば起きるが、福井大学の教授が、査読担当者であった千葉大学教授にコメントを求めたという不正が明らかになった。
 大学では、教員の業績を審査する上で、査読付き論文の数を、最も重視する。そして、その雑誌の権威が高いほど、業績が高く評価される。理系の研究者であれば、Natureなどに論文が掲載されると、就職に極めて有利になる。学術論文といっても、まったく査読がない、フリーパスの雑誌もある。ほとんどの大学の紀要はそうだ。しかし、紀要の論文だから、水準が低いとは限らない。私自身就職が決まってからは、研究論文は原則学部紀要に書いた。他に応募する必要もないし、特に、私自身が委員長になったとき、紀要の規定を変更して枚数制限をなくしたこと、マルチメディア機能を付加したことで、他の学術雑誌に執筆する意思はまったくなくなった。それから、日本だけでも、膨大な学会があり、それだけの学会誌があるから、査読といっても、厳密でない場合も少なくない。査読論文だから質が高いとは、必ずしもいえないのだ。
 
 査読不正だが、注意しなければならないことは、問題になるケースが多いのは、査読を受ける側の不正だが、査読をする側の不正も少なくないとされる。多くは闇のなかだから、表面化することは少ないと考えられるのだが。

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