親中国の国が増えているというが

 『選択』という雑誌の12月号に、「「親中国家」静かなる増殖 自由主義陣営はどう巻き返すか」という記事がある。明らかに不当な侵略戦争をしているのにもかかわらず、ロシアを非難しない国家は多数ある。そして、先日開催されたG20では、自由主義陣営と親中国の陣営が、ほぼ同数になったという。もちろん、ロシアのウクライナ侵略への是非の分布ではないが、中国が次第に自らの陣営に参加させている国家が増えている一方、自由主義陣営のやり方に対する疑問が、露になる機会が目立つというわけだ。その典型が、カタールで行われているサッカーW杯という。同性愛に厳しい政策をとるカタールに対して、EU諸国、特にドイツが抗議の意思を明確にしたことに対して、政治をスポーツに持ち込むものだという反感が強くだされた。ここに象徴されるように、自由主義陣営は、民主主義的な価値を押しつける。西欧的価値観に沿わないまま、それを維持しようとすると、経済的、政治的圧力をかける。それに対して、中国は、それぞれの国の内情には、あまり首を突っ込まない。だから、つきあいやすいというわけだ。

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統一教会のマインド・コントロールにかかるひとたちの不思議

 統一教会問題がクローズアップされて、本当に不思議だと思うのは、信者の意識だ。信仰が内面的な救いということではなく、先祖の悪行を払うために献金が必要だという論理に、自身の大金を投じるだけではなく、家族のお金にまで手をだし、また、他人に法外な値段で壺等を売りつける。そして、それが心底救われるために必要なのだと信じきっているという。
 合理的に考えれば、サタンとか神などは存在しないし、先祖が悪行をしたとしても、今生きる子孫たちに何ら影響を与えることなどない。そして、そうしないと地獄にいくと脅されて、地獄にいかないために、そうした自分、自分の家族、そして友人を破滅させるような行動に駆り立てられる。そして、そういうひとたちは、とてもまじめなおとなしい人なのだという。確かに私の知る限り、統一教会の信者は、おとなしくまじめな人である。人を不幸にするために、献金したり、お金をむしりとったりするような人ではないと思われるひとたちだ。

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熊本城の復元

 旅行記録を休みにしていたが、四国から九州にやってきた。九州の旅が、今回の目的であった。妻が九州の出身で、しかも、義務教育の期間に、9回も転校したために、その足跡を確認しておこうということだった。しかし、そうした私的な部分は、より一般的な意味をもつ場合だけ書くことにする。
 九州にわたって3日目に、熊本城をみた。私は、高校生のときに修学旅行で熊本城を訪れ、天守閣を最上階まであがったことを、はっきりと記憶している。途中に甲冑などが展示されていた。また、天守閣は、意外と小さい建物だというのも、そのときの印象だ。今回、ぜひ熊本城を訪れたいと思ったのは、やはり、その修復の進み具合を見たかったからだ。
 
 日本の建築物は古いものが多く残っているが、それは極めて幸運に恵まれたからで、なんらかの理由で消滅してしまった建築物のほうが圧倒的に多い。藤原頼通の平等院は残っているが、父道長の法成寺は鎌倉時代に消失したとされる。近い時代では、江戸城は度々の火災にあい、天守閣は再建されずにきた。地震で倒れた建物も大いに違いない。

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坂本竜馬記念館

 昨日は奈良を早めに出発して、高知県に移動した。途中大阪の高速道路は、首都高と同じで、必ず渋滞が発生する。それが、今回は神戸のほうまで渋滞が延びて、かなり時間がかかってしまった。神戸は山と海岸線がそれほど離れておらず、さくこんの高速道路が必要だとも思えないのだが、既存の名神や中国自動車道以外にも、神戸を走る高速が複数あるのに、すごく混んでいる。高速を大都市の市街地中心にまで建設するのは、やめたほうがいいのではないかと、改めて思った。
 ふたつの大橋を経て、淡路島から四国に至り、そのあとは、高速道路といっても、片側一車線の対面交通が多く、あまり高速道路を運転している感じではなかった。ただ、四国の山地には、本当に森林がずっと続いており、日本は森林の多い国であることを実感させてくれる。

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平城宮復元

 関ヶ原の岐阜県から奈良に移動。昨日、平城宮復元工事が行われている地域を見学した。周知のように、奈良県平城京は、約70年間日本の都だったが、その後廃れてしまい、ほとんどが水田地帯になっていたらしい。しかし、何人かの平城京復元の主張が少しずつ実り始めて、現在は国家事業として、復元作業が行われている。もちろん、建物などは一切残っていないので、復元といっても、新たにこうだっただろうという形で、復元しているわけだ。できているのは朱雀門と大極殿のふたつだ。平城宮の南門である朱雀門の南には、資料館やレストランなど,いくつかの建物が立っており、復元の際には、周囲の観光地になるのだろう。そのほかの土地は飯場になっているか、荒れ地になっている。

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関ヶ原古戦場記念館

 現在、群響演奏会を皮切りに、九州までの旅の最中だ。高崎、関ヶ原と。昨日、関ヶ原の古戦場記念館を見てきた。今でも、関ヶ原という地名は、関ヶ原の天下分け目の闘いと結びついて記憶されているし、関ヶ原という地域でも、闘いは重要な町おこしの資源になっているようだ。至るところに、各武将の陣屋跡があり、合戦の指標などが記されている。そうした合戦資料の中心がこの古戦場記念館だ。1階がシネマ場、2階が資料展示、5階が展望コーナーだ。
 まず、シネマについては、まったく感心しなかったし、むしろ腹がたったほどだ。
 ふたつの部屋を使い、最初は立ったまま床に映し出される映像をみるというもので、関ヶ原の闘いの各部隊の動きをみせるだけのものだった。ほぼ定説にそったもので、別段興味を引くものではなかった。むしろ、何故床に映して、立ったままみせるのか。その利点がまったわからない。360度囲むように立っているので、半分近くの人は、逆さまの映像を見せられることになる。

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マスクとヒジャブ・強要と解放

 人々の感覚、考え、そして風習には大きな差がある。コロナ流行でのマスクについて、欧米人と日本人では、まったくといっていいほどの対応の違いがあった。爆発的な感染時よりは少なくなっているが、それでも初期に比べれば、まだ感染が多いにもかかわらず、欧米ではほとんどマスクをしなくなっている。しかし、日本ではマスクが義務化されているわけでもないのに、マスク着用を求める施設や店が多いし、それを受け入れるひとが大多数だ。私が大学に勤めていたのは、コロナ前だが、実は、既にかなりの学生、特に女子学生が、冬になるとマスクをしているひとが多かった。インフルエンザ対策なのかも知れないが、それほど流行していない時期でも、マスクをしているので、不思議だといつも感じていたものだ。だから、コロナ流行後に、日本人のほとんどがマスクをするようになったのも、自然な成り行きだったのだろう。

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山上映画から考える(まだ見ていないが) 永山則夫との比較

 安倍元首相銃撃を題材にした足立正生監督の映画が、鹿児島で上映中止となったことで話題になっている。実際に、近くで上映もしていないので、私自身は見ていないし、内容に関しては書けないが、いろいろと思うところはある。
 こうした映画で思い出すのは、新藤兼人監督の『裸の十九歳』だ。1969年の暮れに4件の連続殺人事件を起こした永山則夫を扱った映画だ。上映が1970年だから、これも事件から間もなくの撮影だった。永山は私より一歳年下で、この時私は大学一年生だった。事件の経過や捕まったときのことは、よく覚えているし、たしかこの映画を見にいったと思う。そして、かなり年月がたったあとに、もう一度DVDをレンタルで見た。準備期間が短かったわりには、よく調べられて、きちんとつくられた映画だと思う。ただ、主人公の原田大二郎と永山は、あまりに容貌の差があり、映画だから仕方ないかと思ったものだ。

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ドムドムバーガー復活

 8月5日毎日新聞に「専業主婦から社長に “絶滅危惧種”ドムドムバーガー復活の戦略」という、非常に面白い記事がでていた。実は、私が大学に就職したとき、駅前にドムドムバーガーがあった。たまに利用していたが、ドムドムバーガーなんて、他ではあまりみなかったし、マクドナルドは大きな駅前か高速のインターチェンジにしか出店しないという噂だったから、「我々の地域には、ドムドムバーガーしかきてくれないんだ」などと、自虐的な会話をしていたものだ。そのうちにドムドムバーガーすら消えてしまい、それからかなり経って駅の反対側にマクドナルドが出店してきた。駅前もかなり再開発が行われて、賑やかになったこともある。しかし、どこにいってもドムドムバーガーはみかけないので、既にまったくつぶれてしまったのかと思っていた。
 ところが、復活しつつあるというので、興味津々記事を読んだが、これが非常に面白い。ぜひ読んでほしいと思い紹介の文章を書くことにした。

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吹奏楽コンクールの問題

 夏は高校野球のシーズンという人が多いが、吹奏楽コンクールのシーズンでもある。私は、中学時代吹奏楽部に入っていたが、コンクールにでたことはなく、2年後輩くらいから出ていたと思う。そして、勤めていた大学は吹奏楽の名門で、吹奏楽部に入りたいので志望したという学生も少なくなかったほどだ。毎年金賞を獲得していたくらいだ。
 しかし、私は吹奏楽のそうしたコンクール至上主義に強い疑問をもっていたところ、youtubeの車田和寿氏が、問題を指摘しているのをみた。
 氏の指摘する問題は、コンクールに勝ちたいという目的に集中して練習をすると、ただひたすら揃った演奏、音程が正確な演奏をめざすようになってしまい、音楽そのものが軽視されるということだ。これは、私が属している市民オケにやってくる指揮者で、吹奏楽の指導もしている人は、共通にいうことだ。というよりは、とにかく、正確だが、角張った演奏をするという。

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