安倍元首相銃撃を題材にした足立正生監督の映画が、鹿児島で上映中止となったことで話題になっている。実際に、近くで上映もしていないので、私自身は見ていないし、内容に関しては書けないが、いろいろと思うところはある。
こうした映画で思い出すのは、新藤兼人監督の『裸の十九歳』だ。1969年の暮れに4件の連続殺人事件を起こした永山則夫を扱った映画だ。上映が1970年だから、これも事件から間もなくの撮影だった。永山は私より一歳年下で、この時私は大学一年生だった。事件の経過や捕まったときのことは、よく覚えているし、たしかこの映画を見にいったと思う。そして、かなり年月がたったあとに、もう一度DVDをレンタルで見た。準備期間が短かったわりには、よく調べられて、きちんとつくられた映画だと思う。ただ、主人公の原田大二郎と永山は、あまりに容貌の差があり、映画だから仕方ないかと思ったものだ。
ふたつの事件は、かなり異なる意味をもっているが、ひとつだけ共通点がある。それは家族の育児・教育機能が完全に破綻していたことだ。特に永山は、極貧生活をずっと強いられ、しかも、幼児のときに、兄たちと一緒に、親から北海道で捨てられてしまう。そして、極寒の地で半年生き延び、やっと福祉事務所の働きかけで母親の元に引き取られるが、小学生のときから新聞配達をせざるをえないような、貧困のなかに育ち、かなりの期間不登校だった。中卒と同時に集団就職で上京し、その後仕事を転々とする。そして、警官から銃を奪い、4人を日本のあちこちで殺害してしまうことになる。
山上は、永山ほどの状況ではなく、助けてくれる親類もあったから、高校まではなんとか行けたが、結局大学は諦めざるをえなくなる。そして、完全に家は破綻・破産し、その元となった統一教会への恨みを抱いて生きてきた。その後の犯行である。
もうひとつ、結果として共通点をあげると、殺人犯(山上には疑いもあるか)だから非難を受けて当然だが、ある種の同情もある点だ。永山は、満足に学校にも行けないまま、上京して、結局トラブルを起こして、転々とする。そして、逮捕されてしまうが、留置所で学生運動をやって捕まったひとたちに刺激されて、猛然と勉強を始める。大量の読書をして、その後作家となり、ベストセラー小説を生んでいく。獄中結婚したり、また印税を被害者家族に渡したり(受け取った遺族と受け取らなかった遺族がある)、事件の反省は顕著だった。そして、自分に教育を受ける権利を保障しなかった国家が、自分を処刑する権限があるのか、という問題提起などをしており、差し戻しなどもあって長い裁判の結果、死刑が確定した。執行はなかなかされなかったが、1997年に神戸の中学生による殺人事件が起きたとき、少年でも厳罰にするという国家の意思として、永山の処刑が執行されたと言われている。死刑判決の基準として「永山基準」なる言葉が生まれるほど、裁判史上大きな問題を提起した事件だった。
だから、映画が作られても不思議ではなかったし、非常に迅速に作られ上映された。しかし、上映反対などの運動はなかったと記憶している。プラスの面だけではないが、現在よりは、ずっと表現の自由が尊重されていたといえる。
さて、山上題材の『Revolution 1』だが、監督の足立氏は、永山の映画も撮っている。永山映画は、DVDになっていないようだし、youtubeにもないのでみることができないが、永山が生活した地域を尋ねて撮影したドキュメンタリー映画のようだ。見る機会があったらぜひみたいと思う。このふたつの事件の映画を制作したということは、やはり、足立氏も事件の同質性を感じたのだろうと思う。
私は好きではないが、「親ガチャ」という言葉があり、まさしくこの二人にとって、不運な親ガチャだった。「子どもは親を選べない」という言葉のスラングなのだそうだが、「子どもは親を選べない」というのは、有名なエレン・ケイの本『児童の世紀』の副題である。子どもは親を選べないのだから、親はしっかりと自覚をもって、育児をしなければならない。妊娠中の健康に気をつけ、胎教なども行うとよい、そうやって、よい子を育てようという趣旨の本だ。遺伝などは関係ないが、かるい優生思想の元となった本である。スウェーデンで強制的な不妊手術が戦後まで続いたのは、こうしたスウェーデンの思想も影響していたと考えられる。