BBCが昔のジャニー・喜多川氏による性加害問題を報じたことで、日本でも、ついにという感じで、大きな問題になっているようだ。私自身は、この分野(音楽・ドラマ)にまったく興味がなく、学校の音楽の時間に習うらしいスマップの歌も、年代が違うこともあり、まったく知らないのだが、私自身は、多少ななめからこの問題を考えている。それは、端的にいって、ネット対テレビという勢力争い、あるいはネットによる告発対テレビによる既存勢力の防衛戦といったらいいだろうか。(性被害問題については、被害者救済の措置がとられるべきことは当然なので、ここでは論点とはしない。)
カテゴリー: 文化・芸術
気になるアメリカの分断
アメリカという国は、本当に不思議な国だ。確かにネイティブ・アメリカンといわれるひとたちがいるけれども、やはり、今のアメリカ合衆国をつくったのは、主にヨーロッパからの移民であり、更にアジア等も含めた移民たちによって、多様な面を含みつつ、建設されてきた。つまり、中世が存在せず、近代のみがある。そして、これまでの中核がアングロ・サクソンだったとはいえ、実に多様な地域からはいってきたひとたちが、それぞれの文化を価値観を持ち込んでいる。だから、多様性というよりも、むしろ対立した価値観が競争しているようなところがある。
書籍のストリーミングサービスの拡大を
五十嵐顕著作集との関係で、マルクス・エンゲルスを読みなおそうと思って、大月書店の「マルクス・エンゲルス全集オンライン」を申し込んだ。書籍ももっているのだが、このオンラインは、研究する視点で読むときには、紙とは比較にならないくらいに便利だ。もちろん、書籍をもっていない人にとっても、現在絶版のはずだから、自由に読める。
何が便利かといえば、検索機能が使えることだ。「教育」「学校」という検索語をいれると、マルクスとエンゲルスが、この単語を使用した文章の一覧がでてきて、順番に読むことができる。だから、読み落としがないわけだ。検索語は自由に設定できるので、それぞれの問題意識から、必要な文章を選び出せることは、研究者にとっては、実にありがたいシステムである。
そこで、こうしたオンラインで読めるサービスを探したところ、「サブスク電子書籍読み放題」という文章で23のサービスが紹介されている。私自身、これまでアマゾンのunlimeted、タブホ、楽天マガジンを利用したことがあるが、この23を見ると、まだまだ日本でのサブスク電子書籍は、未発達だと思ってしまった。
環境が変わらないと気付くのは難しいのだが
宮崎園子という、元大手新聞社の記者だった人が、退社してフリーランス記者になって「よくわかった」ことを書いている記事が出た。(3月6日付け)
「新聞記者を辞めてよくわかった、新聞が読者の「知りたい」に応えられない理由」
一読して残念な感じになる文章だった。新聞社の記者だったときには、よく分からなかった、あるいはあまり強く意識しなかったことを、フリーランスという立場で活動するようになって、実感としてわかるようになったことがいくつかあるという記事だ。
地方議会の取材にいったときに、記者席に座ろうとしたら、記者クラブに入っていない記者は座れないのだ、と言われて、改めて記者クラブにいることによって、大きな情報アクセスの機会が保障されていたのだということ。記者クラブは特権だったと気付いた。
チャットGPTを使ってみた 学校で利用できるか
話題になっているチャットGPTが、羽鳥モーニングショーで取り上げられていて、なかなか興味深かったので、考えてみた。解説者によると、産業革命以来の大きな社会変革がもたらされるという。AIは確かにそのように言われていたが、いよいよその実感を伴う変動が置きつつあるということか。実際の感覚を掴むために、早速使ってみた。
教育を専門にしてきた者としては、学校現場への影響がまず考えざるをえない。
学校で生徒が利用するとしたら、調べ物をすることと、レポートを書くこと、更に、作文、特に英作文には活用できそうだが、問題は「調べる」「レポートを書くこと」についてだろう。
「調べる」については、かなり精度が低いように感じた。以下は、桶狭間の闘いについて質問してみた回答である。最初の回答が明らかに間違っているので、その訂正を求めたのが後半である。
オリビア・ハッセーが映画会社を提訴
オリビア・ハッセーが、レナード・ホワイティングとともに、パラマウント・ピクチャーズを訴えた。多くの記事がだされているが、以下が比較的詳しく、また1000以上のコメントがついている。
「ヌードシーンが児童虐待、1968年『ロミオとジュリエット』で製作会社訴え」
こうした話題について書くのは、あまり気が進まないのだが、共感できない部分が多かったので、考えてみることにした。
まず、有名なフランコ・ゼッフィレルリ監督の映画「ロメオとジュリエット」(1968年制作)で主演を演じたのが二人の提訴者だ。コメントでも多くが語っていたのは、何故今になって?ということだ。50年以上前の映画なのだ。
今後の予告 シャーロック・ホームズ考察
今日は久しぶりの市民コンサートで、ベートーヴェンの第九交響曲を演奏した。第九はやはりとても疲れる。特に、非常に速いテンポで演奏されたので、緊張も大きかった。私たちのオーケストラは、毎年12月に市民コンサートとして、このために編成される市民合唱団と、合唱付きの大曲を演奏するのだが、コロナのために2年間は中止せざるをえなかった。今年はぜひやろうということだったが、コロナの心配もあり、合唱の人数を絞った上での演奏会ということになり、合唱が響くだろうかと心配したのだが、聴いた人の話では、しっかりと響いていたということだ。合唱・独唱とオーケストラが合わせたのが、前日と当日だけだったのだが、何度も演奏したことがある曲なので、それでもなんとかなったようだ。
ということで、今日は、あまり書くことがないので、予告編を。
親中国の国が増えているというが
『選択』という雑誌の12月号に、「「親中国家」静かなる増殖 自由主義陣営はどう巻き返すか」という記事がある。明らかに不当な侵略戦争をしているのにもかかわらず、ロシアを非難しない国家は多数ある。そして、先日開催されたG20では、自由主義陣営と親中国の陣営が、ほぼ同数になったという。もちろん、ロシアのウクライナ侵略への是非の分布ではないが、中国が次第に自らの陣営に参加させている国家が増えている一方、自由主義陣営のやり方に対する疑問が、露になる機会が目立つというわけだ。その典型が、カタールで行われているサッカーW杯という。同性愛に厳しい政策をとるカタールに対して、EU諸国、特にドイツが抗議の意思を明確にしたことに対して、政治をスポーツに持ち込むものだという反感が強くだされた。ここに象徴されるように、自由主義陣営は、民主主義的な価値を押しつける。西欧的価値観に沿わないまま、それを維持しようとすると、経済的、政治的圧力をかける。それに対して、中国は、それぞれの国の内情には、あまり首を突っ込まない。だから、つきあいやすいというわけだ。
統一教会のマインド・コントロールにかかるひとたちの不思議
統一教会問題がクローズアップされて、本当に不思議だと思うのは、信者の意識だ。信仰が内面的な救いということではなく、先祖の悪行を払うために献金が必要だという論理に、自身の大金を投じるだけではなく、家族のお金にまで手をだし、また、他人に法外な値段で壺等を売りつける。そして、それが心底救われるために必要なのだと信じきっているという。
合理的に考えれば、サタンとか神などは存在しないし、先祖が悪行をしたとしても、今生きる子孫たちに何ら影響を与えることなどない。そして、そうしないと地獄にいくと脅されて、地獄にいかないために、そうした自分、自分の家族、そして友人を破滅させるような行動に駆り立てられる。そして、そういうひとたちは、とてもまじめなおとなしい人なのだという。確かに私の知る限り、統一教会の信者は、おとなしくまじめな人である。人を不幸にするために、献金したり、お金をむしりとったりするような人ではないと思われるひとたちだ。
熊本城の復元
旅行記録を休みにしていたが、四国から九州にやってきた。九州の旅が、今回の目的であった。妻が九州の出身で、しかも、義務教育の期間に、9回も転校したために、その足跡を確認しておこうということだった。しかし、そうした私的な部分は、より一般的な意味をもつ場合だけ書くことにする。
九州にわたって3日目に、熊本城をみた。私は、高校生のときに修学旅行で熊本城を訪れ、天守閣を最上階まであがったことを、はっきりと記憶している。途中に甲冑などが展示されていた。また、天守閣は、意外と小さい建物だというのも、そのときの印象だ。今回、ぜひ熊本城を訪れたいと思ったのは、やはり、その修復の進み具合を見たかったからだ。
日本の建築物は古いものが多く残っているが、それは極めて幸運に恵まれたからで、なんらかの理由で消滅してしまった建築物のほうが圧倒的に多い。藤原頼通の平等院は残っているが、父道長の法成寺は鎌倉時代に消失したとされる。近い時代では、江戸城は度々の火災にあい、天守閣は再建されずにきた。地震で倒れた建物も大いに違いない。