雑感1 松坂の引退・子どものオリンピック観戦

 今日は昼間他のことに時間をとられたので、まとまったことを調べることができなかった。それで、雑感をいくつか書くことにする。
 
1 松坂大輔が引退をするという。平成の偉大な投手の引退を惜しむ声が彷彿として起こっているらしい。しかし、私は、遅すぎた引退だと思う。選手としては、晩節を汚したとしかいいようがない。甲子園の試合をほとんど見なかった私だが、松坂のときだけは、何度かみたし、例のノーヒット・ノーランをやってのけた決勝戦はずっとみていた。そのくらい、高校生のときの松坂をすごかったと思う。しかし、その後の松坂は、高校生までの遺産を食いつぶしていっただけで、激しいトレーニングによって、更なる高見に昇ったとは思えないのである。西部という球団は、大スター選手を甘やかす傾向があった。現場の監督やコーチではなく、球団経営者のことだ。鮮明に覚えているのは、まだ新人だったころに、松坂が車での交通違反をして、その身代わりに、付き人をしていた元オリンピック選手だった黒岩が警察に出頭したのである。こんなことは、黒岩の一存でやるはずがないので、球団の指示だったとしか思えない。もちろん、直ぐにばれたが、これで、私の松坂の印象は180度変わり、以後好感をもつことはなかった。

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白鵬を擁護する

 3日目からの休場が決まって、再び白鵬に対する批判や引退勧告が強くなっている。ヤフコメをみても、そういう意見がほとんどで、白鵬を擁護する書き込みはほとんどみられない。しかし、白鵬非難の見解を見ると、よく考えればおかしなものだ。
 私は相撲ファンでもないが、日本人だから小さいころから相撲は、時々は見てきた。小さいころの印象は栃錦・若乃花のライバル同士の相撲だ。それから、大鵬、柏戸、北の湖、千代の富士、貴乃花と、なんとなく印象に残っている程度だ。しかし、私の若かったころの大相撲と、今の大相撲は、かなり印象が違う。それは、端的に、強い力士はほとんどが外国人、特にモンゴル人ということだ。やっと、日本人横綱稀勢の里が誕生したら、早々に引退に追い込まれてしまって、またまた、外国人のみの横綱になっている。この二人が引退したとしても、代わって日本人の誰かが、すぐに横綱になるというわけでもない。そんな力士は、いないわけだ。つまり、国技などといいつつ、結局は外国人に頼って成立しているという状況がある。

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DH制度の導入の議論

 巨人がセリーグでもDH制度を導入しようと提案したのだが、セリーグのオーナー会議で否決されたそうだ。まず感じるのが、巨人のセリーグにおける地位がずいぶんと低下したものだという点だ。以前なら、巨人の提案に、他球団がこぞって反対するなどということは、考えられなかったと思う。先の日本シリーズで、巨人の主催ゲームでもDH制度を採用したことが、非常に変だと思っていたのだが、要するに、原監督は、DH制度導入を考えていたということだったようだ。
 これまで、リーグ全体に関わるような改革に対して、巨人は非常に消極的だという印象だった。DH制度にしろ、クライマックス・シリーズ、そしてセパ交流戦にしろ、パリーグが熱心であった。特に巨人は冷淡で、要するに、交流戦などは、巨人人気にあやかろうとしているだけだとか、DH制度などは、野球の基本に反するなどという、非常に保守的、あるいは、現状にあぐらをかくような対応だったのである。しかし、いつか、気がついてみたら、実力はおろか、人気の点でもパリーグのほうが上だったというのが、現在のプロ野球の実態になっていた。さすがに、これではいけないと考えての、DH制度の提案だったのだろう。確かに、いきなり提案されて、すぐに賛成するのは難しいだろう。特に、巨人が2年間8連敗でシリーズに敗れての提案だから、負け惜しみと取られても仕方ない。しかし、様々な集団スポーツが、分業体制になっていく傾向ははっきりしている。例えば、バレーボールのリベロなどがそうだ。以前は、6人制バレーボールは、文字通り6人でやるものであり、すべての選手が、守りと攻撃をするものだという前提だったが、リベロの導入は、分業の現れである。

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巨人は何故弱くなったか

 巨人の敗戦は、いまだに多く議論されている。かつては、確かに巨人は強かった。お金があり、そしていい選手を集めて、練習もたくさんやっていた。しかし、いつかこのどれもが実行されなくなったような印象だ。現在の選手の給与総額は、ソフトバンクが一位で、巨人は二位だそうだ。しかも、かなり差が開いている。「サンデーモーニング」で桑田が述べていた。確かに、かつての巨人は、選手の給与は断トツに一位だった。しかし、高い給与をもらっている人が、かならずしもそれにふさわしい活躍をするわけではないことも、事実である。その査定が現実と近いほど、おそらく選手たちのやる気が出るに違いない。そういう点の詳細な検討は、私には難しいので、知っている限りで、題名のことを考えてみようと思った。それは、野球界だけに通用することではなく、もっと広く当てはまることだと考えるからだ。

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巨人のあまりのふがいなさにびっくり

 ここ数年、ほんとど野球中継をみなくなったから、正確なところはわからないが、川上時代を知っている者とすれば、あまりに今回の日本シリーズの巨人のだらしなさには、驚きだ。かつて、人気のセ、実力のパと言われたが、私が熱心に野球をみていた大昔は、人気のセ、実力のセだった。それは、王・長島を擁する巨人のV9をみればわかる。しかし、その後、少しずつ人気のセ、実力のパと言われるようになった。それは、オールスター戦で、セリーグの選手はお祭気分でやっていたのに、パリーグの選手は、スポットライトがあたる稀な機会というので、懸命に頑張ったからという側面が強かった。日本シリーズなどでは、セパはそれほど実力の差が数字に現れてはいなかった。しかし、確かにパリーグのほうが実力があることが明瞭になっていくのは、交流戦によってだった。以前は、巨人戦がテレビの最大人気番組だったが、次第に、野球中継が地上波から消えていき、CS中心になると、ほぼ全球団の全試合が放映されるようになるから、メディア面での差がなくなってくる。そして、明らかに、パリーグのほうが、プロスポーツとしての野球の向上のために、努力しているように思われてきた。大分前から、私には、人気のパ、実力のパとしか思えなくなっていた。一応東京育ちで、野球少年だった私としては、巨人ファンということにしていたが、第二次長島監督の時代から、巨人ファンであることを止めた。第一次長島監督のほうが、成績は悪かったのかも知れないが、若返ったチームを強くするために、チームが全力でトレーニングしている雰囲気があって、今後強くなることが予想されていた。その途中で解任され、長島としては非常に落ち込んだのだろう。そのせいか、第二次監督になってからは、練習によってチームを作り上げるより、金任せのチーム作りをするようになり、4番バッターをずらりと並べるという、あまりにも不可解なチーム作りに走った。それを背後から支持したのが、ナベツネであることも周知のことだ。ナベツネというひとは、ホームランがことのほか好きだったようで、4番を揃えるのも、ナベツネの趣味に合わせたところがあるのだろう。この時期あたりから、巨人は、屋台骨が崩れ始めた感じがする。

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佐々木朗希登板回避は正しかったか?

(一昨日投稿の原稿でしたが、未投稿のままだったものです。)
 丁度一年前、高校野球最大の話題だった佐々木朗希投手が、県大会の決勝戦での登板を回避するという「事件」が起きて、野球に関心のある人たちのなかで、賛否両論侃々諤々の議論が起きた。その一年後ということで、國保監督へのインタビュー記事が掲載された。(https://www.msn.com/ja-jp/sports/npb/佐々木朗希-衝撃の登板回避-大船渡-國保監督が真相初告白/ar-BB16X1Vt?ocid=spartandhp)私は常々高校野球の反教育性について疑問をもっていたので、ブログでも何度か関連記事を書いた。真夏の暑い時期に、連日の試合をやることは、高校生にとってあまりに過酷であり、身体を壊す危険が非常に高く、何らかの対策をとるべきであることは、かなり広く主張されていた。しかし、高野連はまったく動かなかったわけである。野球の歴史を見れば、甲子園で大活躍した投手が、プロに入って潰れてしまう例はいくらでもある。明らかに投げすぎだろう。 “佐々木朗希登板回避は正しかったか?” の続きを読む

野村ノート(再論)

 昨日、野村ノートの出版を望むと書いた。野村の書いた本を何冊か読んだが、念のためアマゾンをチェックしていたら、『野村ノート』という本が出版されていることがわかり、野村が日頃つけていたノートだというので、早速購入して読んでみた。しかし、予想通り、それは私のいう野村ノートではなかった。確かに、野村ノートを元にしているのだろうが、これはあくまでも、野村が書いた著作だ。私が考えているのは、野村のつけていたノートをそのままコピーするなり、写真製版したものだ。もちろん、だれかの解説が付されているほうがよいが、そのままでもよい。そんなものより、本人が書いた、整理された内容があればいいではないか、と思う人も多いかと思うが、やはり、取捨選択してかみ砕いたものは、たとえそれが本人が書いたものであっても、別物であり、オリジナルの書きつけたものには、それだけの価値がある。
 音楽の世界で考えてみると、その違いがよくわかる。
 たとえば、ベートーヴェンのピアノソナタの楽譜は何種類も出版されているが、実はみんな同じではない。音符そのものはほとんど違いはないとしても、強弱に関する記号、指使い、スラー、ペダルなどは、けっこう違いがあるのだ。 “野村ノート(再論)” の続きを読む

野村元監督の死 野村ノートの出版を願う

 子どものころは、東京育ちだから普通に巨人ファンであったので、パリーグの試合を見ることは、駒沢球場がなくなってからはほとんどなかった。オリンピック会場が建設される以前は、駒沢には東映フライヤーズの本拠地の駒沢球場があり、そこはよく見に行った。小学校時代、友達とだ。思い出に残っているのは、山本八郎という捕手がいて、直ぐに暴力を振るって退場させられることが多かったのだが、その現場を2度くらい見た。また、近くにある合宿所で、新人のときの張本にサインをもらったこともあった。当時、新人の張本をよく知らなくて、ただうろうろしていただけなのだが、張本がこっちこいといって、自発的にサインをしてくれたのだ。小学生なので、ありがたみもわからずに、そのサインはすぐにどこかにいってしまったのだが。
 そんななか、野村が出る試合を一試合だけ見たことがある。後楽園で巨人とのオープン戦で、どういう事情でチケットを手にいれたのか、まったく憶えていないが、ネット裏の特等席で、野村を間近に見たことははっきり憶えている。もちろん、まだばりばりの現役キャッチャーだった。長島や王が目当てだったが、ネット裏だったから、野村のほうが印象に残った。 “野村元監督の死 野村ノートの出版を願う” の続きを読む

相撲の国際化と品格 白鵬のかち上げは非難されるべきか

 前回(12月23日)の国際社会論で、文化の国際化を扱う材料として、音楽の国際化を考えた。昨年初めて行った講義で、3月のこのブログに、文章化したものを掲載してある。その際、様々な領域の文化、スポーツなどで、国際化が進んでいるものとそうでないものがある。何故そうなのか、自分の好きな領域で考えてみようという課題を与えた。
 日本発祥のスポーツとして、柔道は国際化が著しいが、相撲は極めて限定的である。柔道は、世界中で活発に行われているが、相撲は、日本でしか行われていな。海外巡業がごく稀に行われたり、あるいは相撲をしたいという外国人が日本にきて力士になることはある。しかし、相撲が海外でも日常的に行われることは、今のところ全くないし、また今後も考えにくい。それは何故なのか、いろいろな理由があるだろうが、そのことも考えさせる文章が、JBpressの12月25日号に掲載されている。「横綱白鵬を開き直らせた的外れ批判の罪」という臼北信行氏の文章である。要旨は比較的単純で、白鵬が、立ち会いのかちあげや張り手を、横綱審議委員会を筆頭として、いろいろな方面から、「横綱の取り組みとして品格がない」とか「横綱はやるべきでない」と散々批判されていることについて、白鵬の、禁じ手ではないのだから、改めるつもりがないという姿勢を支持している文章である。むしろ、相手が、白鵬がそうした技をやってきたら、それに対する有効な反撃の技を繰り出せばいいことであるのに、それをしないほうがおかしいというわけである。 “相撲の国際化と品格 白鵬のかち上げは非難されるべきか” の続きを読む

松坂が今でもレッドソックスに嫌われているという記事

 12月12日のJBpressに「西部復帰の松坂大輔が今もRソックスに嫌われる理由」という文章が載っている。ここに書かれている内容については、私は多くを知らなかったが、日本のメディアの松坂に対する甘い評価については、日頃から疑問に感じている。
 まず記事の内容を紹介しよう。執筆は、臼北信行氏である。
 古巣の西部に復帰して、松坂は覚悟を決めているのだろうと書いたあと、日本復帰後は一年を除き、散々の成績だったことを確認する。そして、大リーグでは活躍したと、多くの日本人が思っているが、実はレッドソックスでは、ヒンシュクをかっていたし、成績も期待されていたほどではなかったと書く。一見いい成績だったシーズンもあるが、統計的評価では、運と味方の援護に大きく助けられたとして、四球が多く、味方もいらいらしていた。2シーズンのあとは、けがや手術で10勝をあげられたシーズンがなく、松坂の獲得は失敗だったと評価されているのだそうだ。
 そして、何よりも、評価を落としたのは、日本人スタッフが付きっ切りで、同僚たちとあまり交流もせず、同僚が近づくこともできなかったらしい。 “松坂が今でもレッドソックスに嫌われているという記事” の続きを読む