巨人は何故弱くなったか

 巨人の敗戦は、いまだに多く議論されている。かつては、確かに巨人は強かった。お金があり、そしていい選手を集めて、練習もたくさんやっていた。しかし、いつかこのどれもが実行されなくなったような印象だ。現在の選手の給与総額は、ソフトバンクが一位で、巨人は二位だそうだ。しかも、かなり差が開いている。「サンデーモーニング」で桑田が述べていた。確かに、かつての巨人は、選手の給与は断トツに一位だった。しかし、高い給与をもらっている人が、かならずしもそれにふさわしい活躍をするわけではないことも、事実である。その査定が現実と近いほど、おそらく選手たちのやる気が出るに違いない。そういう点の詳細な検討は、私には難しいので、知っている限りで、題名のことを考えてみようと思った。それは、野球界だけに通用することではなく、もっと広く当てはまることだと考えるからだ。

 
 私にとって、巨人といえば、なんといってもV9時代のイメージがまだ残っている。その前からずっとテレビでみていたから、それ以前との違いも、なんとなく感じていた。ただし、V9などという、現在では考えられない偉業が達成されたのは、ドラフト制度が実施されたことと大いに関係がある。だから、今では到底不可能なことだと思う。どういうことかというと、V9を支えた中心的な選手は、ドラフト前に入団した選手だったのである。長島、王、森、柴田、土井等々。堀内がドラフト最初期の選手なので、当時の巨人軍は、ドラフト以前の選手で構成されていたことは重要である。ドラフト前は、巨人と阪神、そして中日が強く、優秀な若手は、たいていこの三球団に入った。したがって、この三チームで優勝を争うことが多く、力も巨人が強かったが、しかし、阪神などの戦力も高かった。しかし、ドラフトが導入されたことにより、戦力の分散が起こったので、新規選手の力の平均化が生じ、それによって、既に圧倒的に優秀な選手を集めていた巨人が、その優位性を保つことができたのである。ドラフト前の選手たちの力が衰えたことによって、常勝巨人が消えたこと、そして、すべての球団が優秀する可能性が出てきたという変化が生じたわけだ。
 もちろん、V9時代の巨人は、猛練習をしていただけではなく、戦略に基づいた練習をしていたことが知られている。今回の日本シリーズで、ソフトバンクの速球に、まるで手がでなかったわけだが、V9時代の他チームに、とうてい打てそうもない速球投手がいた。阪神の江夏である。当時の巨人ファンなら、江夏をどうやって攻略するかという点での練習を、徹底的に行ったことを知っている。私の記憶では、ふたつあった。ひとつは、江夏のような速球を投げる投手は、巨人にいないのだから、なかでも速い球を投げる投手を、マウンドより近くから投げさせて、打撃練習をすることだ。おそらく、速球を打ち返すためには、速球を打つ練習を繰り返すしかないはずだ。今年の巨人は、優勝決定から日本シリーズまで、かなり長い期間があいていた。その間、ソフトバンクの速球を打ち返すために、どういう練習をしていたのだろう。私には、当然必要な、「特別な練習」をしたようには思えない。プロの選手であれば、1月もそのための猛練習をすれば、もう少し違う対応が可能だったのではないだろうか。
 もうひとつの江夏対策は、バント攻勢である。江夏は投手としては太り気味で、走ることが苦手だった。そこで、巨人は、試合の前半では、徹底的にバント攻勢に出た。そのための練習もみっちりやった。バント攻勢といっても、実際にすべての投球でやるわけではなく、構えをする、バントでもファールする、それを繰り返すわけだ。バッターがバントの構えをしたり、実際にバントすれば、投手は必ずマウンドをダッシュしておりてくる。これを前半に50回もさせられれば、さすがの江夏も疲れてきて、球威が衰えてくるのだ。それで、後半になって江夏の球速が落ちたところで、打ち返すことができるというわけだ。もっとも、この作戦は、現在のソフトバンクには、通用しないだろう。疲れてきたら投手が交代するだけだし、続いて出てきた投手もまた速いのだから。
 こうした練習まで含めた作戦参謀が、V9時代には、確固として存在した。牧野である。
 その後の巨人は、次第に、こうした気風が薄くなっていった気がする。長島が監督になったときに、長島を支える参謀になるはずの森を、けんもほろろに追いやったことが、その出発点だったのではないだろうか。
 
 その後、巨人をはっきり弱くしたことがあった。象徴的にいえば、前回書いたように、4番バッターを揃えたことだが、なかでも清原の処遇である。清原をとったこともそうだが、最大の問題は、清原が怠け癖を巨人ナインに広めたことを憂慮した堀内監督が、フロントに清原をだすことを提言し、フロントも調査の結果それがよい、と判断していたにもかかわらず、それを知った清原はフロントに押しかけて、「俺をとるか、堀内をとるか、はっきりせよ」とねじ込んだ結果、こともあろうに、フロントは堀内を切ったのだった。これには、まったく驚いた。
 これを見せつけられれば、一生懸命練習しようという気持ちが削がれることは、十分に予想される。このときフロントは、巨人軍が懸命に練習することから、解放してしまったのである。新しい原内閣で、注目されたコーチで、元木がいる。元木は当時代表的な清原派で、猛練習をする気風を削いだと言われていた。本当かどうかは、わからないのだが、雰囲気としては、そうだった。
 コーチとしての元木の評判はとてもいいようだが、残念ながら、日本シリーズをみていれば、鍛え方が決定的に足りなかったことが一目瞭然だ。つまり、セリーグというぬるま湯にずっとつかっていたわけだし、そのなかでの高い評価に過ぎないことが明らかになってしまった。
 昨年、日本シリーズで4連敗したとき、広岡が、4連敗するような監督は名将ではない、と断言していたが、練習そのものの構造を変えることなしに、セリーグがパリーグに勝つことはできないに違いない。
 もう20年近く、野球場で観戦していない。最後は、イチローを見たくて、千葉マリン球場にいったときだ。千葉県民だから、マリンズのファンにでもなろうか。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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