ブラック職場を教師が提訴

 公立小学校の教師が、教師に超過勤務手当てが支給されないのは、違法であるとして、県に残業代を払うことを求めた訴訟を起こしたと、読売新聞が報道している。記事を引用しておこう。
 
「教育現場は『ブラック職場』。このままだと、若い人たちが倒れてしまう」
 1981年に教員となり、昨年4月からは再任用で埼玉県内の公立小学校で働く男性(61)は、そう語った。
 若手教員の頃は、自身のペースで働くことができた。だが、子どもたちの安心・安全や健康について、学校への社会からの期待が高まるにつれて、勉強を教える以外の仕事が増えてきた。朝のあいさつ運動、歯磨き指導、下校指導――。全て、働き始めた頃にはなかった仕事だ。
 男性は「学校や教育委員会から指示や命令を受けた形ではないが、様々な業務は事実上、命じられている。やらなければならない仕事が多すぎる」と訴える。提訴前の2017年9月~18年7月の残業時間は、少ない時で月41時間5分、多い時で月78時間40分に上った。
 公立校の教員の給与について定める法律では、教員に支給されるのは基本給の4%の「教職調整額」で、民間企業のように残業時間に応じた残業代は支払われない。男性は18年、教員に残業代が支払われないのは違法として、県に残業代約242万円の支払いを求めて提訴した。
 提訴に踏み切るのは、大きな決断だったが「訴訟を通して、教員の働き方が変わるきっかけになれば」と願っている。
 
 実は、こうした訴訟はこれまでもいくつか起きている。埼玉の教師が起こした裁判は、現在でも進行中である。(2018.12.5の産経新聞が、埼玉の小学校男性教師が提訴したことを報じている。) 

 教育界では、誰でも知っていることだが、一般にはあまり知られていないので、教師の残業に関する規則を確認しておこう。いわゆる教特法と言われる法律で、公立学校の教師には、残業手当が支払われない代わりに、4%の手当てが支給されている。そして、残業については、決められた場合のみ命じることができるとされているのである。
 それが以下の項目となっている。
『超勤4項目』:
1  教育職員については、正規の勤務時間の割振りを適正に行い、原則として時間外勤務を命じないものとすること。
2 教育職員に対し時間外勤務を命ずる場合は、次に掲げる業務に従事する場合であって臨時又は緊急のやむを得ない必要があるときに限るものとすること。
イ 校外実習その他生徒の実習に関する業務
ロ 修学旅行その他学校の行事に関する業務
ハ 職員会議(設置者の定めるところにより学校に置かれるものをいう。)に関する業務
ニ 非常災害の場合、児童又は生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合その他やむを得ない場合に必要な業務
(文部科学省|教員の職務について)
 
 このために、教師は、どんなに残業しても、4%の手当て以外には残業手当はなく、また、定時に帰宅しても、手当ては出る仕組みになっている。もちろん、それは、4項目の仕事をしてのことだが。4項目以外は命じない、と書かれているが、命じられなくても決められた仕事をしていれば、時間内から大幅に超えて働かざるをえないのが実態なのである。
 では、何故ブラックと言われる職場になってしまうのか。それは、4項目の残業は、管理職が命じるものだが、日常的な仕事を、教師は山ほど抱えており、当然定時で帰ることはほとんどできない。保護者対応、子どもたちの宿題のチェック、連絡帳の記入、試験の採点、通知表、相談業務、部活指導、これらは、多くが、勤務時間外に延びてしまう。勤務時間内においても、掃除指導、給食指導、登校下校時の指導等、山ほど授業以外の仕事がある。こうしたことのために、時間外にはみ出す仕事が山ほどできてしまうのである。近年は、教育委員会からおりてくるアンケート調査や、報告書の提出などが増大し、まさしく公立小中学校は、ブラック企業化している。しかも、それだけ働いても、超過勤務手当てがでないのだから、その職場環境の悪さは、日本の中でも代表的なものではないだろうか。しかし、これまで提起された訴訟によっても、この状況は克服できていない。違法性を訴えても、法律で正式に決まっていることだから、裁判所としても原告の主張がいかに正しくても、認めることは難しいのだろう。 
 欧米では早くから教師不足が問題となっていたが、日本は、比較的最近まで、教職の人気が高く、教師採用試験は難しい試験となっていた。しかし、かなり前から、教職の魅力を削ぐような政策が行われてきた。私はずっと、このような状況が続けば、そのうち教職のなり手が少なくなり、必要な教師が集まらなくなると、いろいろなところに書いてきた。そして、現在教師不足になりつつある。教員採用試験の倍率は非常に低下し、大都市では、定年後も留まってもらうようになっている。それは決して年金支給の年齢と定年があわないからだけではなく、明らかに教師不足への対応なのである。欧米の教職の人気のなさは、移民などによる学校の荒れが大きな理由となっている。しかし、日本では移民は非常に少ないにもかかわらず、欧米のように教職が大変な仕事になっている。
 
 ではどうしたらよいのだろうか。裁判に勝てればベストである。しかし、おそらく裁判所は原告の訴えを認めないだろう。違法性を訴えても、違法とはいえないからである。したがって、訴えが憲法に違反するということであれば、その可能性があるかも知れないが、憲法に教特法が違反であるということを示す条文が、明確にあるわけではない。
 とすると、やはり、制度的な改革が必要だといわざるをえない。
 いかなる形にせよ、教師がしなければいけないとされていることを削減することである。超過勤務手当てがでれば、どんなに長時間労働をさせてもよいということにはならない。教師の健康が、教育を行うためには必要条件だからである。普通にやれば、勤務時間内に終わる程度の仕事量に削減できれば、よいともいえる。しかし、それは現代社会においては、なかなか困難ではないだろうか。
 私は、教師の仕事を労働時間できることに無理があると思う。大学の教師は、時間制をとっていない。朝何時から夕方何時までが勤務時間ということはなく、自分の受け持ち授業と、決められた委員としての仕事をすればよい。そして、委員としての仕事には、多くが手当てがつく。その代わり、授業のためにどれだけ準備に必要な時間がかかっても、そのための手当てがでるわけではない。委員としての仕事も、かかった時間が手当ての多寡には関係がない。
 教職は、こうした仕事と賃金の決め方のほうが、合理的なのである。それは大学の教師に限らず、小中高の教師も同様である。校種によって、基本的授業のコマ数は異なってくるだろうから、それは、交渉なりで決めればよい。基本よりも都合で多くの授業を受け持つことにてれば、コマ数に応じて手当てをだす。
 現在の超過勤務をさせることができる4項目は、そのままでいいだろうが、ただし、学校行事は、本当に必要なもの以外は削減すべきである。(これはまた、別の機会に書く。)教職の大変さに、行事が多いことがあるのだ。教師のなかには、行事こそ子どもを成長させるし、自分はその指導か好きだ、というような人もいる。しかし、行事の多くは、義務教育、つまり、だれもが学ぶ必要があることとは外れるものが多いのだ。
 
 文科省は、教師の過重労働の解消に、仕方なさそうに対策をとっているが、実際には軽減になっていないだけではなく、かえって過重の度合いは高めている。発想の転換が必要である。
 
 
 
 
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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