「皇女」? 奇妙な試み

 突然「皇女」なるポストが考案されているらしい。既にずいぶん話題になっているが、毎日新聞によると次のようなものらしい。
 
 「皇族減少に伴う公務の担い手不足の打開策として、女性皇族が結婚して皇籍を離脱した後も特別職の国家公務員と位置付け、皇室活動を続けてもらう制度の創設が政府内で検討されていることが分かった。「皇女」という新たな呼称を贈る案が有力。政府関係者が24日、明らかにした。」(2020.11.24)
 
 要するに、女性皇族は結婚すると民間人になり、皇族が減少していく。そのために、公務の担い手が少なくなるので、女性のみ「皇女」という特別職の国家公務員となって、公務に携わってもらうということらしい。女性皇族が結婚後も皇室に残る「女性宮家」創設案と一緒に明記されているということだ。
 早速ネット上で話題になったのは、「特別職の国家公務員」だと、総理大臣が、特定の皇族を任命拒否できるのかという「問い」が出回っている点だ。学術会議の会員の任命を、特別職の国家公務員については、総理大臣が任命を拒否できるという「解釈」をもって、拒否したばかりだから、当然、皇族が「皇女」になるに際して、総合的俯瞰的理由で拒否できることになる。もし、拒否できないという解釈を押し出すとすれば、学術会議会員の任命拒否は、違法行為となる。ごく自然な疑問として出てくるわけだ。まじめに提案するとなると、この点が当然追求されるので、興味深い展開になると予想される。

 しかし、もっと別のところに、この「皇女」なるポストを考える際の問題がある。そもそも、「公務」なるのものを、それほど皇室がやる必要があるのかという疑問である。そもそも、天皇家における憲法上の仕事は、内閣の助言と指導の下で行われる国事行為のみである。それを平成時代の天皇が、自然災害や戦争被害を受けたところにでかけて慰問する活動を、活発に始めたことが、公務なるものを拡大したきっかけだと考えてよいだろう。そして、もちろん、以前からなかったわけではないが、様々な社会活動団体が、皇族を名誉総裁などに仰ぐようになり、その大会などへの出席が公務と位置づけられるようになった。結婚問題が取り沙汰されている真子内親王も、wikipediaに書かれているだけでも、 日本テニス協会名誉総裁と日本工芸会総裁になっている。もっと他にもあるのかも知れない。
 もちろん、そうした名誉総裁になってもらう理由は、団体によって異なるに違いないが、単に皇族に対する尊敬の念からお願いしているわけではないだろう。皇族を名誉総裁に戴いていると、利益があるからに違いない。大分前だが、ある団体の役員をやっている人から、ある皇族に名誉総裁をお願いしている理由は、そうすることで、役所などの大会の会場使用許可や協力を取りやすいからだ、という話を聞いたことがある。大きな大会を開催するためには、当然文化会館などの大きな会場を確保する必要があるし、それなりの費用もかかる。皇族が名誉総裁になっていれば、自治体は確実に大きな会場を使わせてくれるし、協賛団体に名前を連ねてくれるというのだ。それはそうだろう。そうして、どんどん皇族にお願いをする団体が増えてくるわけで、それに応じて、皇族の公務の数も増えてくることになる。
 しかし、冷静に考えてみれば、こうしたことは、皇室の「利用」なのではないだろうか。もちろん、悪意で皇室を利用することがないとしても、団体というのは、様々な社会的、政治的立場をもっている。同じ領域に複数の団体があって、互いにいがみ合っているという場合もあるだろう。そういう場合には、公務を引き受ける皇族が、そのつもりはないとしても、そうしたいがみ合いに関係してしまうことだってありうる。
 もちろん、皇族であっても、社会的活動をする権利はあると、私は考えている。憲法的に制約されているのは、天皇という存在だけであるからだ。しかし、実質的に活動をしているわけではないのに、単に、団体にとって都合がいいという理由で要請され、それを受けるというような活動は、慎むべきものではないだろうか。「公務」などといいつつ、その対象は、私的活動団体であることがある。日本テニス協会は、基本的に私的団体だろう。そして、大会の開会式に挨拶したり、試合を見ることが、「公務」だというのは、私の感覚では、非常に違和感がある。
 私がオランダに滞在していた2003年は、1953年に起きた、オランダで戦後最大の洪水被害から50年の年だった。そこで、かなりの数の記念行事が行われた。テレビでも特集がさかんに放映されていた。そういう中で、ある若者がヘリコプターに乗って、被害の中心地域の上を飛びながら解説し、そして、地上に降りて、ここらがどうだったというような説明をしている。たった一人でメモももたずに、30分以上話していた。そして、それがなんと、当時の皇太子だったのである。現在は、即位してオランダ国王になっている。このような活動がよいかどうかは、日本では意見が分かれるかも知れないが、ただ、このレポーターをやるために、相当な調べをしたはずであり、普段は交流のない団体の名誉総裁になって、大会で挨拶するなどということに比べれば、国民の信頼感をえる活動であろう。
 「公務」なるもののために、「皇女」という、大層税金のかかるポストをつくるよりは、たいした意味のない「公務」の削減こそとるべき方向性である。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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