巨人がセリーグでもDH制度を導入しようと提案したのだが、セリーグのオーナー会議で否決されたそうだ。まず感じるのが、巨人のセリーグにおける地位がずいぶんと低下したものだという点だ。以前なら、巨人の提案に、他球団がこぞって反対するなどということは、考えられなかったと思う。先の日本シリーズで、巨人の主催ゲームでもDH制度を採用したことが、非常に変だと思っていたのだが、要するに、原監督は、DH制度導入を考えていたということだったようだ。
これまで、リーグ全体に関わるような改革に対して、巨人は非常に消極的だという印象だった。DH制度にしろ、クライマックス・シリーズ、そしてセパ交流戦にしろ、パリーグが熱心であった。特に巨人は冷淡で、要するに、交流戦などは、巨人人気にあやかろうとしているだけだとか、DH制度などは、野球の基本に反するなどという、非常に保守的、あるいは、現状にあぐらをかくような対応だったのである。しかし、いつか、気がついてみたら、実力はおろか、人気の点でもパリーグのほうが上だったというのが、現在のプロ野球の実態になっていた。さすがに、これではいけないと考えての、DH制度の提案だったのだろう。確かに、いきなり提案されて、すぐに賛成するのは難しいだろう。特に、巨人が2年間8連敗でシリーズに敗れての提案だから、負け惜しみと取られても仕方ない。しかし、様々な集団スポーツが、分業体制になっていく傾向ははっきりしている。例えば、バレーボールのリベロなどがそうだ。以前は、6人制バレーボールは、文字通り6人でやるものであり、すべての選手が、守りと攻撃をするものだという前提だったが、リベロの導入は、分業の現れである。
野球でも、分業は以前よりもずっと進んでいる。投手は、今は先発が完投することは求められていない。そして、先発、セットアッパー、クローザーと、投手は3種類に分業されている。野手や打者は、以前から分業だった。こうした動向から見れば、投手が投げることに専念し、打つことに専念する野手が現れてもおかしくはない。そうすることが、個々の技が向上することも理解できる。
プロのスポーツは、観客が満足するようなプレイをすることが、絶対的に求められる。では、観客は何に満足するのか。当たり前のことだが、力と力のぶつかり合いと、高度な技だろう。それぞれの持ち場で最高のパフォーマンスを発揮できるようにするのが、分業の効果である。投手は投げることに専念し、野手は守備と打つことに。そして、苦手な部分は、野手でも守備専門とか、打撃専門の選手にもなる。現在は、議論は起きていないと思うが、将来的には、打つことはしない守備専門の野手とか、打つだけの野手なども出てくるのだろうか。(交代としてではなく、最初から先発メンバーとして、守備のみ、打つのみの野手ということ)つまり、野手にもDH制度を導入する。そうすれば、すべての要素で最高のパフォーマンスを発揮した野球の試合が見られるかも知れない。最初は、投手だけで始まっているが、野手2名までDHを認めるとか、段々拡大していくかも知れない。
そうすれば、守備はうまいが、打撃が弱い選手には代打を送るなどという小細工のの「作戦」などは不要になる。いつも、力と力、技の対決が見られるわけである。
DH制度を採用していないセリーグが弱くなったのは、確かに、投手はチャンスに打てないから、バンドさせるか、あるいはゲッツーを食わないように、三振でもいいなどということになる。確かに、それでは力と力の対決ではなく、かけひき、あるいは投手の打撃は、期待しないなどということになるわけだから、弱くなってしまって原因のひとつと考えても外れてはいないだろう。
しかし、完全に分業しているのは、スポーツとして面白いだろうか。あるいは、本来のスポーツの姿だろうか、という疑問もわく。やはり、スポーツというのは、総合的な身体能力の優れた選手を求めるものだ。
陸上競技の王者が十種競技であるように。また、トライアスロンが鉄人の競技と言われるように。体操競技も、種目別での優勝よりは、総合優勝する選手のほうが、個々の種目では劣っていても、尊敬されるのではないだろうか。
野球でいえば、エースで4番というのは、高校野球まではいまでも普通にある。そして、大谷が喝采をあびたのは、総合力こそが最も魅力的であるからだ。二刀流を目指す選手がもっと現れることが、逆にDH制度の面白さを生むのではないか。