Eテレ売却騒動

 youtubeの高橋洋一チャンネルで、Eテレ売却論を見たとき、面白い発想だと思った。(実は、雑誌に寄稿した内容をyoutube でも流したようだ。)高橋洋一氏の考えに、すべて賛成できるわけではないが、この案は賛成できると思っていた。ところが、その後、この売却論に大きな反対意見があること、そして大論争になっているらしいことを知った。
 批判の多くは、Eテレこそ、NHKらしい番組を多く放映しており、それをなくしたら、NHKではなくなってしまう、という番組擁護論だった。しかし、高橋氏は、Eテレの内容が悪いから廃止せよとは、一言もいっておらず、電波帯を売却すれば、NHKの受信料を下げられるというだけだった。よい番組は、ネットで流せばよいという。したがって、Eテレの番組を守れ的な批判は、ほとんど取り上げる価値がないものだろう。高橋氏の問題提起をまったくねじ曲げているからである。
 しかし、違う立場からの高橋氏のEテレ電波売却論への反対もある。
 小寺信良氏の「NHK再編の狼煙、「Eテレ売却」は妥当か、素人考え」https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2012/10/news018.htmlだ。氏の主張は、Eテレの電波枠を売却しても、それほど大きな意味はない。Eテレの費用の多くは番組制作費だから、Eテレの電波を売っても、たいした意味がないというわけだ。受信料については、払っている者と払っていない者との公平感がまず問題だという。
 確かに、見ているのに払っていない人、見ないのに払わされている人という、二重の意味での不公平がある。
 そして、小寺氏によれば、むしろ、無駄は衛星放送ではないかという。すると、単に地デジのNHKだけではなく、BS、CS、そして民放を含めた議論にしていかないと、問題を把握てきないことになる。素人考えが無意味とは思わないので、考えてみたい。

 
 まず、NHKに関する私の立場を説明しておきたい。
 私はNHKの受信料を払うことに、躊躇する気持ちはない。いざというとき、つまり、災害が起きたときには、やはりNHKの存在が大きいからだ。かといって、最近は、NHKは、あまり見ない。嫌っているわけではないが、テレビそのものをあまりみなくなった。テレビは、高齢者のおもちゃのようになっており、若者はほとんど見なくなっているという統計があるらしいが、私は高齢者だが、ネット人間なので、テレビは食事中に見るくらいだ。
 ではまったく利用していないかというと、主にBSで放映している世界のドキュメンタリー番組を録画して、必要なものを見るのが最も利用している分野になっている。テレビは、最近は、地デジ、BSよりは、圧倒的にCSのニュース番組だ。以前は、Law & Orderをせっせと録画してみていたが、一通り録画してしまったので、今はCSのドラマもほとんど見なくなっている。とにかく、ブログを書くことに時間を使っているので、テレビはあまりみない。そういう意味では、若者の利用形態に近い。
 しかし、それでも、NHKの存在価値は十分に認めている。
 
 いろいろな問題が浮き上がってくる。
 まずテレビ放送の地デジ、BS、CSという形態の扱い。NHKは、地デジとBSで番組をもっているが、CSはもっていない。ところか、民放は、この3つをすべてもっている局が多い。そして、NHKとCSが有料である。尤も、NHKは払わなくてもも見ることができるが、CSは払った場合だけ見ることができる。しかも、特別なバック料金以外は、テレビ一台ごとに課金される。
 地域の放送局の問題もまた複雑に絡むようだ。アナログ放送が廃止になり、デジタル化されるときに、何故衛星放送に移管しなかったかが、私には不思議だったが、これは、民放の地方局を守るためだったというのだ。テレビ放送が、全て衛星放送になると、地方の民放は、確実につぶれるという予想になり、そのために、地デジという、非常に経費と手間のかかるシステムに落ち着いたというのだ。この真偽は、私には判断がつかないが、ある程度納得できる部分がある。しかし、衛星放送にしたら、本当に、地方の民放が生き残れないかどうかは、やってみなければわからなかったのではないだろうかとも思う。全部が生き残ることは不可能だとしても、生き残る局もあったに違いない。生き残れないとしても、例えば、キー局の地方局になるなどという生き残り方法もあったろう。逆に、衛星を使うために、それまでは地方の民放だったのに、全国局として独自の地位を築くところもあったはずである。
 
 小寺氏の衛星放送が無駄だという意味は、スリム化するならば、Eテレより、NHKのBSが無駄ということだ。高橋氏は、NHKの番組体系のスリム化は主張していないように思われるから、これは小寺氏の独自の見解なのだろう。
 NHKの番組そのものをスリム化する必要はあるのだろうか。これには、いろいろな好みが関わってくると思う。
 私の印象では、すべてのジャンルで、NHKの資金が豊富なので、民放は番組制作がたいへんだという印象だ。しかも、NHKは、かつては民放がやるので遠慮するというような領域があったと思うが、いまではあらゆるジャンルで番組制作をしている。そして、NHKスペシャルのように、民放ではほとんど不可能な、潤沢な資金を使ったドキュメント番組をつくっている。資金の弱体な民放は、したがって、人気のある形式が生まれると、次々に同じような番組になってしまう。ドラマは刑事ものが多くなっているし、昼はワイドショーで、夜はバラエティと、似通った番組がどこでも放映されている。
 こうした点は、NHKの料金との関連を抜きには結論をだせない。そもそも、私は、受信料をNHKだけが取るということの不合理さを考えるのである。逆に、NHKが広告を一切放映しないというのも、合理的であるかはわからない。例えば、オランダの国営放送は3チャンネルあって、広告は入る。ただし、番組のなかに広告はない。番組と番組の間に入るスポット広告だけだ。番組を企業が費用をだして制作し、そこにCMが入るという形式ではない。(民放は企業の費用の番組をつくるのは、日本と同じ)番組の制作費用は、税金でだして、広告料金は、全体的運営費用としてプールされると言われている。だから、広告も、番組と無関係に、単に放映させるというだけのものもありうるのだ。とすれば、NHKだって広告を流しても、公共性が損なわれることはない。企業は、あらゆる番組の内容に口をださないという条件で、広告をだせばいいのだ。そうすれば、NHK受信料という形ではなく、テレビ受信料という形にして、民放も、番組の制作について、その受信料で制作するものと、民放については、提供企業の費用で制作するものと、両方あるようにするというスタイルもありではないだろうか。そうすれば、ドラマなどの制作を、民放ももう少し力を入れることができるに違いない。現在の形では、費用の点で、あまりにNHKと民放の差がありすぎる。そして、受信料は、テレビとインターネット全体に関わるものとする。その受信料を支払う者だけが見ることができるテレビとインターネット番組と、現在の民放のように、無料で見ることができるものに分かれていくことになる。
 現在でも、NHKは全て有料で、民放は全て無料というわけでもない。
 NHKもラジオは無料であるのに対して、民放ラジオは、通常の電波によるラジオ放送は無料だが、ラジコなどで聞く場合には、有料である。民放ラジオは、地域の制約があるので、圏外にいったときには、ラジコで聞くことになる。また、民放テレビは、いくつかの番組を有料でネットに流している。当然、CSで流れている民放の放送は、有料になっている。また、NHKオンデマンドはけっこう高額である。
 GIGAスクール構想で、すべての家庭で、インターネットにつながるようになれば、テレビとインターネットは完全に融合して、受信料は、NHK独占ではなく、民放も含むものにしていくほうがいいのではないだろうか。そうすれば、受信料支払い拒否は少なくなると思う。
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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