実際に聴いたライブのCD 普門館のカラヤン

 録音された音楽が市販される場合、ライブの録音とスタジオでの録音があるが、実際にライブで聴いた演奏を、市販のライブ録音で聴くことができる機会はあまりない。実は、初めて自分が聴いた音楽会のライブCDを聴くことができた。それは、1977年普門館でおこなわれたカラヤンの、ベートーヴェン演奏である。私は、まだ大学院生で、結婚して間もないころだったが、カラヤンのチケットがとれそうだというので、思いきって2回の演奏会を申し込み、首尾よく入手できた。普門館のときだから、とれたと思う。とにかく5000人は入るらしい大きな会場で、そのために、チケット代も安く、数も多かったからである。聴いたのは、第一日目の一番と三番英雄、そして最終日の第九だった。しかし、40年以上前のことであるだけではなく、なんといっても、ばかでかいというしかないホールで、英雄のときは、まるで、外野席の一番上から野球の試合をみているような感じで、ベルリンフィルという世界一のオーケストラの音などは、まったく味わえないような席であった。カラヤンを聴いたという感動は、まったくえられなかった。だから、演奏については、遠くでやっているなという程度のもので、ほとんど覚えていないのだ。FM東京で放送したらしいが、当時はテレビもラジオもないときで、まったく知らなかった。
 数年前、このときのライブ録音がCDとして発売されたが、えらく高かったし、またカラヤンのベートーヴェンの全集は何組ももっていたので、購入せずにきた。多少安くなったのと、リマスターされたというし、いま買わないと入手できなくなるとも考えて、先日買ってみたたわけだ。

 発売されたとき、非常に話題になったのは、FMで放送するために、かなりしっかり録音されたのたが、どういうわけか、第九のときだけ、機材に欠落があり、他のときとは違って、録音された音に不備があるということだった。レビューを読むと、確かに第九だけ音が悪いというのと、ほとんど気づかないくらいだという両方の見解があった。私が聴いたのが第九だから、そのことはとても興味をもっていた。
 さて、これまで、実演を聴いた一番、三番、九番のCDを聴いた。普通、こうした実演に接した演奏の録音を聴くと、実演の思い出が甦るものだと思うが、実演の思い出が演奏イメージとしては完全に欠落しているので、そうした感慨はまったくなく、ああこんな演奏だったのか、という実感だ。そして、会場で聴いた、あの遠くでなっている、迫ってこない演奏が、実に素晴らしい音で鳴っているのが、不思議な気がした。特に、「英雄」は、素晴らしい演奏で、カラヤンのベストと言われる、ベルリンフィル100年祭のライブよりも、素晴らしいと思った。カラヤンの全盛期は1970年代と言われており、80年代になると、病気や身体の衰え、そしてベルリンフィルとの確執などがあって、どうしても思うような演奏ができなかったのだろう。やはり、70年代に録音されたもののほうが全般的に優れている。この英雄も、82年の100年祭演奏より、ずっとよいと思った。82年の演奏は、何かせかせかした感じもあり、それが迫力を生んでいる効果もあるのだが、77年の普門館の演奏は、もっとスケールが大きく、力強い部分と叙情的な部分のバランスがよい。
 
 第九は、席が遠くではなく、前から二番目の列の第一バイオリンの後部あたりだった。遠くとはまた違う、生の音で、しかもバランスが悪い。やはり、ベルリンフィルの音を満足に味わうのは難しい席だった。当時、カラヤンの指揮は、ベルリンフィルだからわかるので、違うオケでは、とまどうのではないか、というような評論家の意見がけっこうあった。映像を見れば、直ぐに気づくのだが、カラヤンは、各楽器の入り(アインザッツ)を指示しない。入りの合図は、指揮者不可欠の動作などという意見もあるが、ベルリンフィルほどのオーケストラであれば、そんな合図は不要だということなのだろう。だから、カラヤンの指揮はひたすら音楽の表情を指示するものになる。そこで、当日の私の興味は、合唱団が日本人であり、かつ芸大ではあるが、プロではない人たちも混じっているので、合唱団がカラヤンの指揮にちゃんとついていけるのか、ということだった。合唱に混乱はまったくなかったし、カラヤンも満足そうだった。指揮もまったく分かりにくいものではなかったと思う。よくない席だったが、カラヤンの指揮姿は、横からよく見えたのだ。
 肝心の機材不備だったという録音だが、私が聴いた限りでは、やはり、他の録音よりは、ずっと音が貧弱だと感じた。私の聴いている装置は、特別に高いものではないが、そこそこに聴けるもので、広い部屋でそれなりに大きな音をだせるので、違いは明瞭にでる。他の曲は、スタジオ録音と比較しても遜色のない、潤いと力感に満ちた音で響くのだが、第九は、かなりデッドに聞こえる。トスカニーニの第八スタジオの録音を、音だけよくしたようなものといってよいかも知れない。第三楽章のような叙情的な部分はきれいなのだが、第一楽章の劇的な部分で、かつアクセントがつけられるようなところが、どうしても残響不足できれぎれに聞こえる。それでも、まったくがっかりするというようなものではない。この一連の録音は、ワンポイントマイクを中心にして、多少の補助マイクを設置して、バランスをとったということだが、第九のときには、補助マイクのシステムにどこかの欠落があったようなのだ。主要なワンポイントマイクは問題なかったので、要するに、味付けは弱いが、全体はしっかりとれているというような音なのだ。一番録音の難しい第九で、そうした事故が起きたのは、本当に残念だ。ただ、合唱は非常に立派だった。なんといっても、日本の合唱団は、第九はお手の物だ。暗譜でもあぶなげなく歌えるだろう。しかも、さすがに広い会場なので、当日はかなり大人数だったし、カラヤン自身が、特別に合唱だけのリハーサルをしたようで、数ある第九の録音のなかでも、合唱は素晴らしいと、録音で聴いても感じる。
 
 私がカラヤンのベートーヴェン全集で、まだ市販されていないもので、ぜひだしてほしいと思うのは、1970年にウィーンでおこなった全曲演奏会のライブだ。実は、CDRででたことがあるのだが、当時CDRをあまり信用していなかったので、買わなかったのだが、後悔している。この演奏は、ウィーンと決別し、生涯ウィーンでは演奏しないといっていたカラヤンが、ウィーンにベルリンフィルで復帰したときの演奏会だった。私は、FMで聴いていた。この演奏旅行では、その前に日本を訪れ、実は、日本でベートーヴェンの全曲演奏をしていたのだが、それは、ウィーン用のリハーサルだったとも言われているほど、カラヤンは、ウィーンでのライブに特別な意味を込めていたわけだ。その気迫がしっかり伝わってくる演奏で、評論家に影響されてカラヤン懐疑派だった私が、カラヤン好きに転向したきっかけとなる演奏だった。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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