自民党と公明党の連立解消によって、総理が必ずしも高市総裁で決まりというわけではなくなってきたことは、各種メディアで報じられている。高市氏が、公明党をきりたかったのか、その場合、このように総理の椅子が多少遠のく可能性があることを自覚していたのか、結果がでてからでないとわからないが、とにかく、混沌としてきた。
日本の政治状況は、おそらくどの他国とも異なっていると思われるが、私はヨーロッパ大陸型のあり方を参考にしてほしいと思っている。ヨーロッパ大陸の主要な国は、比例代表制をとっているので、決定的な多数党が存在せず、連立政権が政権を運営している場合が多い。そして、連立の組み合わせも少しずつ変化する。政策の違いをある程度押さえて、話し合うことで共通部分をひろげていくという形をとらざるをえないからである。
日本では、自民党が2つの時期をのぞいて、ずっと政権をとってきたから、そうした話し合いで妥協するという政治スタイルが形成されてこなかった。公明党との連立で、公明党が自民党に対する牽制役となっていたという評価もあるが、私はそういう印象をあまりもっていない。むしろ、自民党内にある幅広い立場が相互に牽制しあってきたのではないだろうか。
そういう点では、私はまったく支持していないが、自民党の政治というのは、ときどきの情勢に応じて、それなりに柔軟に対応してきたのだといえる。しかし、そのことが、積り積もった腐敗という問題を放置し、自らの利害として温存してしまう状況をつくりだしたのだろうと思う。
この状況を打開するには、自民党から政権党の座をおりてもらうのがもっともよい。ネトウヨのひとたちは、民主党政権は最悪だったというが、民主党が政権を短い間にせよ担ったことによって、政治運営で改善はたしかにあった。非常に不幸なことに、東日本大震災が起り、福島原発の事故の原因となるものは、自民党政治に責任があったにもかかわらず、民主党政権が取り組まねばならないことに、大きな無理が生じ、短命に終わったことが成果を充分に生まなかった原因であると私は考えている。安部政権よりは、民主党政権のほうが、むしろ評価されるべきだと思っている。残念ながら、潰された政策が多いのだが。(たとえば沖縄基地問題)
政権が変わるということは、政党に大きな反省を強いるものであって、やはり、一党があまりに長く政権を持続させることは、マイナス要素を蓄積させるものである。
したがって、現在もっとも可能性のあるのは、重い責務であるが、玉木氏が首相を務めるといって、野党に広く呼びかけることであろう。立憲民主党とは、安保政策とエネルギー政策が違うなどというのは、逃げるための口実に過ぎない。自民党と公明党などは、国民民主党と立憲民主党のこの政策の違いよりももっと大きく、安保政策とエネルギー政策で異なっていたように思われるし、もっとたくさんの意見の相違点があった。しかし、20年以上も連立を組むことは可能だったのである。安保政策といっても、自衛隊の違憲性、安保条約の保持・破棄などというレベルで対立しているわけでもない。原発は、とりあえず決められた新しい規準で審査が行われているのだから、当面違いが重大な協力の齟齬になるようにも思えない。
私は玉木を支持しているわけではないが、少しでも日本の政治をよくするために、玉木氏が首相となるべく合意形成に動くことを期待する。