公明党が、自民党との連立を離脱することが、とりあえず明確になったようだ。公明党斉藤代表からも、また、自民党の高市総裁からも同様の趣旨が述べられたから、事実なのだろう。私は自民党支持者でもないし、当然公明党支持者でもないので、両党が協力するかどうかは、別にどうでもいいのだが、ただ、公明党の立場というのは、あまり理解できないものと感じる。
公明党は、最初から高市総裁になったら、連立が困難であるという立場を表明していた。それにしたがっての今回の決定ということだろう。私の疑問は、高市総裁では連立できないというのならば、なぜ安部総裁とは連立できたのだろうかということだ。私の目からみれば、高市氏は安倍晋三氏とほとんど同質の政治家であり、それは自他ともに認められることだったのではないだろうか。高市氏が保守であるというのならば、安部氏も当然自民右党内保守であり、むしろ、統一協会との関連が極めて強いという意味では、公明党という政党にとっては、安部氏のほうが連立を組みにくい相手だったと、私には思われる。
公明党の平和の党という看板からしても、高市氏は組みにくいということであれば、集団的自衛権を、憲法の常識的解釈を覆して法制化したり、軍備を増強した安部氏となぜ連立していたのか。今回重視しているという「金」と問題にしても、問題をかかえているのは、多くが安部派であり、ずっと前から継続していたことである。明らかになって以降だけのことではないのである。
結局、公明党というのは、いい加減な党で、結局連立政権に入るのは、国土交通大臣というポストがほしかったのではないかという疑問をいだかれても仕方ないだろう。
その点を考えれば、自分たちの立場を押し出した、それを曲げてでもポストなどをほしくはない、という姿勢を打ち出したことは、けっこうなことだと思う。政党は、政策で結びついた結社なのであって、短絡的な利害で結びつくものではない。
公明党の離反の背景に、創価学会からの厳しい対応があるといわれているが、そうした事情は、メディアによって報道される以上のことはわからない。
私が大学に務めていたとき、創価学会の会員たちのつくるサークルの顧問をしていたことがあった。もちろん、彼らの理念に賛同して顧問を引き受けたのではなく、たまたま顧問だった人が定年でやめて、お願いされたからである私の考えなどは、まったく関係ないものだった。ただ、さすがに彼らは顧問の私に、ときどきオルグにきた。選挙になると公明党にいれてくれというわけだ。もちろんすげない態度などもとれないので、政策の疑問などを述べると、一生懸命説明する。私を納得させることなどできるはずはなく、引き下がるのだが、やがてまたやってきて、衆議院議員の○○先生に聴いてきましたといって、更に説明を試みる。とにかく、真面目な学生たちだったことは間違いない。そういう姿勢には、好感がもてる。まもなく、オランダ留学に1年いくことになったので、顧問をやめることができたのだが、まじめに宗教活動に取り組んでいることは、青年たちにとって、私はいいことだと思う。もちろん、統一協会のように、まさしくカルト的な活動には、いかりを感じるが、そうしたカルト的活動とまじめな宗教活動は区別して考えたいとは思う。
公明党が、党の原則に立ち返って活動を再建するというのならば、おおいにやってほしいものだ。また、自民党も、公明党の票をあてにしての協力などということも、自民党にとって、プラスとも思えない。
ただ、昨今の野党の志の低さには、ほんとうに呆れてしまう。公明党が連立を外れたということは、うまく組み合わせができれば、首相の座を高市ではなく、野党に取り戻せる可能性がある。ここで頑張らないのでは、野党こそ無能力・無政策の政治家集団ということになるだろう。