五十嵐顕考察8 求道者的研究者

 著作集のために、OCRにかけて、著作をDTPにかけられるようなファイル化を進めているのだが、当然、丹念に読むことになる。実は、これまで、それほど熱心な読者ではなかったので、これだけ丹念に読んだことはなく、いろいろな発見があった。
 そのひとつが、題名のように求道者的な研究者だったのではないかということだ。五十嵐顕という研究者は、マルクス・レーニン主義者だったと思われている。もちろん、それは間違いないだろう。実際に『マルクス主義の教育思想』という著作を出しているのだから、そう思われて当然だろう。実際に、通常の日本の教育について論じる文章でも、頻繁に資本論の引用などがでてくる。

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ChatGPT 大学では、どう対応するのか

 ChatGPTを使ってみた感想を前に書いた。その後も議論は盛んに行われている。そして、新学年が始まって、大学では、ChatGPTをどのように扱うか、かなり議論がされているようだ。端的には、ChatGPTを使って書かれたレポートをどうするかということだ。
 私から見れば、そのことは原則としては簡単だと思う。ChatGPTを使ってでてきた文章を、ChatGPTが提示した文章であると、きちんと示し、通常の引用のように扱っているだけならば、いくらChatGPTの書いた文章といえども、不可とするわけにはいかない。他の人が書いた書籍からの引用と、なんら変らないはずである。

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大学倒産について考える

 恵泉女学園大学が募集停止になったことで、再び大学倒産の話題が活発になった。これまでに倒産した大学の原因を詳しく分析した文章もあるが、ここではそうした原因ではなく、そもそも大学のあり方につなげて考えてみたい。
「募集停止・廃校となる大学は何が敗因か~16校の立地・データから分析した・前編」石渡嶺司
 
 2000年以降に廃校になった大学は16校だそうだが、多くのひとは、ずいぶん少ないと思うに違いない。これだけ少子化、大学全入、定員割れ、大学の冬の時代などといわれているのに、800以上ある大学で16校しか潰れていないのかと、逆に感心するかも知れない。しかし、大学としての倒産は少なくても、部分的な廃業は、もっとずっと多い。ある学部を廃止して、他の学部に編成替えするなどということは、多数の大学が行なっているはずである。もっと深刻な事例としては、短大なり、専門学校を廃止して、4年制の学部に組み込むなどという例もある。私の勤務していた大学でも、短大と専門学校が廃止になり、4年制の学部に組み入れたり、教員を職員にしたりしたことがある。こうした再編による生き残りが可能になるのは、それなりに募集が安定している学部が複数あるからだ。つまり、大規模大学は、生き残りが容易である。だから、大学として、学部増設などによる大規模化をめざすのである。

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五十嵐顕考察7 五十嵐顕とはどのような研究者だったのか2

 前回、書き漏らしたこと、そして、新たに考えたことを付け加えておきたい。
 前回は、僣越ながら、私自身の姿勢、歩みと比較してしまったが、今回は、堀尾輝久氏と比較して、研究者のあり方の違いを考えてみよう。堀尾輝久氏は、戦後育った教育学研究者としては、最も優れたひとだと思うが、研究者としての「修行時代」は、五十嵐氏とは、まったく違っている。
 五十嵐氏は、既に日中戦争が深みに入り込んだ時期に、学生時代を過ごしており、東大では繰り上げ卒業になって、そのまま戦地に兵隊として行かされた。約5年間インドネシアを中心に兵役につき、無事帰国することができた。そして、この戦時中の経験は、その後ずっと底流として、五十嵐氏の心の底に流れ続け、晩年、中心的なテーマとなった。帰国後、新しくできた文部省の研修所に勤め、戦後改革に関連する調査活動に携わったあと、宗像教授に呼ばれて東大の専任講師となる。因みに卒業論文は、ペスタロッチだったが、一冊のレクラム文庫を元にしてまとめたものだったという。多少謙遜はあるが、時代的状況もあり、事実それに近かったのだろう。

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大学の教職課程で、現場出身教員採用枠義務化?

 最近、文科省は、教員養成に関して、矢継ぎ早に政策を繰り出している。教員採用試験の応募数が減少し、教員へのなり手が減っていて、更に現場では教師不足が深刻になっていることに、よほどあせっているのだろう。私は、20年以上前から、やがて日本も教師不足になると警告していたが、それは、文科省の政策が、どんどん教師への魅力を低下させているから、確実に教師不足になると予測できたわけだ。同様の見解をもつひとは、少なくなかった。今更というより、あせっている割には、基本的な政策転換ではなく、これまでの誤りを糊塗するようなことばかりだしていることに、失望してしまう。
 教職単位を2年で取得できるとか、教員免許をもたない社会人を採用できるようにする、などということを提起してきたが、そのようなことは、現在の制度でできることで、特に新しいことではない。教職の免許取得は、完全な単位制だから、単位が取得できれば、4年かける必要はなく、教職課程をおいている大学が、どのような履修を可能にするかによって、何年かけるかが決まるのであって、それも柔軟にしている大学もある。私が所属していた学部は、中高社会の免許取得が可能だったが、2年生から授業が始まるので、3年かかるし、予め登録しておかなければならないので、ほとんどの学生はそのルールに従っていたが、特別な理由で、3年からの登録も認めていたので、数名はそうした短縮期間で取得したと記憶する。それに、通信などでは、小学校免許でも2年で取得可能だ。

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読書ノート『ルポ 大学崩壊』田中圭太郎(筑摩新書)1

(投稿していたと思っていたら、なぜかされていなかった文章。21日にアップするはずだった原稿です。)
 ウェブに章ごとで、いくつか掲載されているのを読んで、全部読まねばと思い購入した。今半分のところだが、私も大学に勤めていたので、実に憂鬱になる話の連続だ。
 前半を読んだが、構成は、
・破壊される国公立大学
 ここでは京都大学、北海道大学、東京大学、下関市立大学が扱われている。
・私物化される私立大学
 山梨学院大学、札幌国際大学、追手門学院、上野学園大学、日本大学が出てくるが、リアルタイムで問題となった事例が多い。
・ハラスメントが止まらない
 追手門学院、山形大学、東北大学、宮崎大学が扱われているが、教師、学生両方の被害者が登場する。そのなかで、大学でここまでひどいことがあるのか、と思わせられたのが、宮崎大学での「セクハラ捏造」だ。

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読書ノート『ルポ 大学崩壊』田中圭太郎(筑摩新書)3

 最後に、最も大きな問題だといえるのが、大学教職員への天下りである。以前は、国立大学と私立大学は、職員のありかたが、公務員と私企業に似た相違があった。国立大学の職員は、文科省からの出向という形で、文科省から多数が派遣されていた。キャリアもノンキャリアもいた。また、文科省の出向としては、県や市(こちらは少なかったと思われるが)の教育委員会があった。しかし、現在では、国立大学は、成立形態が違って、「国立」ではないから、以前のように、配置変えのような感じでの出向は少なくなっているようだが、その代わり、天下りで幹部になるケースが増えている。しかも、国立大学から、独立法人に変化し、大学の管理職の選び方が変わってきたので、いきなり学長になったりするわけである。それまでは、学長の選出は、多くが教職員による選挙によっていた。しかし、原則選挙は廃止し、意向調査なるものをやったとしても、選出機関が最終的に決める方式になっている。すると、意向調査で学内の教授が最高点をとっても、選出機関が文科省からの天下りを学長に選出することが起こりうる。そして、実際に起こっている事例が、本書で紹介されている。
 天下りが可能になるように、学長の選出方法を、法で変えてしまったとも、考えたくなる。

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読書ノート『ルポ 大学崩壊』田中圭太郎(筑摩新書)2

 前回は、前半の3章から、印象的な部分を重点的にとりあげたが、今回は後半に関して、1つの話題をとりあげたい。
 後半の構成は
・大学は雇用破壊の最先端 
 大量リストラした奈良学園大学、視覚障害の教員をはずした岡山短大、早大・東大の非常勤教職員の雇い止め、研究者の雇い止めが扱われている。
・大学に巣食う天下り
 全国的に広がる文科省の大学への天下りが扱われているが、特に、福岡教育大学と目白大学が詳しく書かれている。
 
 このなかでとりあげたいのは、視覚障害者の教員を、なんとかやめさせようしている岡山短大の事例である。幼児教育学科の准教授は、遺伝性の網膜色素変性症を患っているが、岡山大学から博士号を取得しており、「環境」という科目を担当していたという。視力が少しずつ衰えていったが、授業をするのに支障はなかったという。派遣職員がいろいろと手助けをしてくれていたが、その職員が辞めるときに、准教授にも退職勧奨をしてきた。そのときには、自費で補佐員を雇うことで、継続していたが、そのうちに、強力に辞めるように圧力をかけ、結局、授業をもたせないようになった。事務職ならよいということだが、拒否したために、授業をはずされてしまった。そこで、労働局に提訴し、授業をさせないのは不当であるという決定がだされたにもかかわらず、復帰させていない。

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五十嵐顕考察6 五十嵐顕とは、どんな研究者だったのか

 五十嵐顕著作集の作業が始まった。私は、せっせと、著作のファイル化を進めている。スキャンしたファイルをOCRにかけて、読み取りミスを直していく作業だ。消耗な作業だが、熟読することだと思えば、特に苦痛ではなく、それなりに楽しんでやっている。
 そういうなかで、五十嵐顕という人物が、普通の東大教授のイメージとは、かなり違うひとであるという印象が強くなってきた。実は、私は五十嵐先生の指導生ではない。指導教官は、持田栄一教授だった。それは、大学院に進学したときには、ドイツの教育を研究するつもりだったので、ドイツ留学から帰国して、どんどん成果を発表していた持田教授のほうがよいと考えたからである。ただ、当時大学紛争の雰囲気が冷めやらない時期で、二人の教授は、極めて忙しく外の活動に邁進しており、また、五十嵐先生は、そのうち重い心臓疾患になってしまったので、院生が、親しく研究指導を受けるということはなかった。その時期でなくても、そういう雰囲気ではあったのだが。

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給特法の論議 教師の残業はどうすればよいのか

 給特法(「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」)をどうするかという議論が、再び活発になっている。
 給特法とは、公立学校の教師の給与の特例措置を決めたものだ。
・残業手当をださない代わりに、基本給の4%を支給する。
・残業を命じることができる事項を限定し、それ以外の残業を命ずることはできない。限定された残業とは
1.校外実習その他生徒の実習に関する業務
2.修学旅行その他学校の行事に関する業務
3.職員会議(設置者の定めるところにより学校に置かれるものをいう。)に関する業務
4.非常災害の場合、児童又は生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合その他やむを得ない場合に必要な業務
である。

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