アドバの「フィガロの結婚」ライブ映像がついにBDに

 予約注文していたアバド式の「フィガロの結婚」のブルレイ・ディスクが今日届いた。これはずっと発売を待っていた映像だった。HMVの書き込みでも、要望として書いたことがあった。おそらく、私と同じように発売を渇望していたひとがたくさんいたに違いない。LDで発売されたのをずっと見ていたのだが、DVDやBDではまったく発売されないできた。1991年のライブ映像だから、すでに30年以上たっている。不思議なことに、ドイツ・グラモフォンからコンプリートまででており、また映像ソフトも多数でているのに、なぜかモーツァルトのオペラ映像は、これまでまったく出ていなかった。ドン・ジョバンニは2種類の映像があるし、コジ・ファン・トゥッテ、魔笛も映像がある。テレビでの放映はされているのだから、発売をアバドが許可しなかったとも思えないのである。 “アドバの「フィガロの結婚」ライブ映像がついにBDに” の続きを読む

東京交響楽団のマタイ受難曲を聴く

 今日、東京交響楽団によるバッハ「マタイ受難曲」を、ミューザ川崎コンサート・ホールで聞いてきた。2時開始で終了が5時半という、オペラなら普通だが、合唱曲とはいえ、定期演奏会としては、異例の長時間の演奏会だった。ミューザ川崎は、初めていったのだが、以外と便利なので、これからもたまにいくかも知れない。このホールは、響きのよいことで有名で、日本で最もよいという演奏家の声もある。席がよかったせいもあるが、とても心地よい響きだった。
 ジョナサン・ノット指揮、カタリナ・コンラディ、アンナ・リヒター、ヴェルナー・ギューラ、ミヒャエル・ナジという外国人歌手に、桜田亮、萩原淳、加藤宏隆の日本人歌手、合唱は東京交響楽団専属の合唱団と東京少年少女合唱隊が参加していた。 “東京交響楽団のマタイ受難曲を聴く” の続きを読む

ドホナーニが亡くなった

 今月6日に、指揮者のクリストフ・フォン・ドホナーニが亡くなった。ブムロシュテットについで、現役最長老指揮者だった。冥福を祈りたい。
 ただ、私は、ドホナーニをほとんど聴いてこなかった。もっているCDは、ブラームスの1番と2番、そして、リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」のロイヤル・オペラのライブDVDだけだった。ブラームスは単品で購入したので、聴いたと思うのだが、あまり印象に残っていない。サロメは悪くないけれども、なんといっても、サロメにはカラヤンの圧倒的名演があるので、どうしても辛くなってしまう。というわけで、優れた指揮者であることは充分に認識していたが、普段聴く対象ではなかった。 “ドホナーニが亡くなった” の続きを読む

東京都交響楽団での「現代音楽」感想

 昨日、東京都交響楽団の定期演奏会Aにいってきた。プログラムはすべて、いわゆる現代音楽に属するもので、好きな人にとってはたまらない演目だが、すきではない者にとっては、二度と聴きたくないようなものだった。残念ながら私は後者のほうだ。曲目は
 トリスタン・ミュライユの「ゴンドワナ」
 夏田昌和の「オーケストラのための<重力波>
 黛敏郎の「涅槃交響曲」
 私はすべて初めて聴く曲だった。何故、感想がはじめからわかっている演奏会に行ったかというと、2025年度の定期会員になったからである。前回は、アルバン・ベルクとブラームスだったし、今後もいろいろあるのだが、定期会員だから、仕方なくというほどでもないが、たまにはいい経験かもしれないと思っていたことも間違いない。 “東京都交響楽団での「現代音楽」感想” の続きを読む

カラヤンのニューイヤー・コンサート

 久しぶりにカラヤン指揮のウィーン・フィル、ニューイヤー・コンサートのDVDをみた。実は、これまで最初から最期まで一時に見たことはなかったので、全部見たことによる思わぬ発見がいくつかあった。そして、部分的に違和感も感じたが、やはりカラヤンはウィンナワルツでも超一流であり、さすがオーストリア人である。 “カラヤンのニューイヤー・コンサート” の続きを読む

2025ニューイヤー・コンサート がっかりした

 毎年1月1日にウィーンフィルのニューイヤー・コンサートをテレビでみて、翌日録画をステレオで聴きなおし、感想をブログに書くという習慣が続いていたが、今年はなかなかそういう気分にならなかった。あまりにコンサートの出来にがっかりしたからである。昨年のティーレマンにもがっかりしたが、今年はそれ以上だった。いかに注目に値する演奏会にするからといっても、このようにウィンナワルツを指揮するのにふさわしくないような「スター指揮者」を起用するのをやめたらいいのではないかとまで思った。(もちろん、ムーティは大指揮者であり、私は大方の録音をもっているから、ムーティの偉大さは充分に認識しているが。)

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松戸市民コンサート2024

 私が所属する松戸シティフィルと年末の市民コンサートのために毎年新しく結成される合唱団との合同演奏会「松戸市民コンサート」が昨日行われた。曲目は、ブラームスの「大学祝典序曲」、芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」、そして、メインがモーツァルトのレクイエムだった。松戸の市民オケの魅力は、この年一回の合唱曲の演奏にある。多くの市民オケには、こうした演奏会はないと思う。ただ、毎年だいたい宗教曲かベートーヴェンの第九なので、ほんとうはオペラがやりたいのだが、オペラの上演は演奏会形式であっても、とにかくソリストの数が多いので、なかなかとりあげるのが、財政上難しいようだ。それから、合唱団としても、宗教曲は、歌詞はそれほど複雑ではなく、だいたい決まった文言の繰り返しが多い。そして、曲が違っても、歌詞はそれほど大きくことなることはない。しかし、オペラはなんといっても、その筋にあった言葉で作曲されているわけだから、宗教曲のほとんどがラテン語であるのにたいして、言語もドイツ語、フランス語、イタリア語と多彩だ。そういう意味で、オペラの演奏は難しいのだが、なんとか、このオーケストラ在団中に一度はやりたいものだ。なんといっても、西洋クラシック音楽の最大の魅力はオペラにあるわけだから。

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ブロムシュテット・N響の演奏会

 普段演奏会には行かないが、たまにいくのは専らオペラとたまに合唱付きの曲(ベルディのレクイエムとかベートーヴェン荘厳ミサ等)を聴きにいく程度だ。純粋にオーケストラの演奏会にいったのは、記憶では、小沢征爾指揮の新日フィルで、それは近くの音楽ホールにきたためだった。小沢が新日フィルをふっていたのだから、ずいぶん前のことになる。それが、定期会員になっている妻の親友が、急にいけなくなったので、代わりにでかけたというわけだった。
 NHKホールもまたずいぶん久しぶりだ。全盛期のポリーニを聴くために、N響の会員になったのだが、ポリーニが手の故障で衰える前だから、これも何十年ぶりということになる。オーケストラは毎週自分で経験しているので、聴くほうはすっかりご無沙汰というところだが、今回心が動いたのは、指揮がブロムシュテットだからだ。もちろん、はじめて生を聴くのだが、CDやyoutube、テレビではけっこう試聴してきた。そして、がっかりしたことが一度もないから、実演を聴けるのは、これが最後であることは確実で、逃したらやはり後悔しただろう。前にブログに書いたが、ベートーヴェンの第九の演奏(ライチチッヒでのライブ映像)は、ほんとうに感心した。

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ファミリー・コンサート

 昨日は、私の属する市民オーケストラ(松戸シティフィル)のファミリー・コンサートだった。ほとんどその話題では書いたことがないのだが、今回はいろいろとおもうところがあって、演奏会のことを書こうとおもう。
 まず、プログラムだが、前半にベートーヴェンの7番の交響曲、後半に、サウンド・オブ・ミュージックの抜粋接続曲(オーケストラ用の編曲なので、歌は入らない)、スター・ウォーズ組曲というものだった。このプログラムが団員に示されたとき、私も含め多くの団員は、「えっ、ベートーヴェンが前プロなの?」と驚いた。実は、指揮者が、けっこう練習が進んだ段階で、そのことを知り、「ほんとうですか、はじめて知りました」とやはりびっくりしていた。ベートーヴェンの交響曲が前半にある場合は、私が知るかぎり、ほとんどベートーヴェンプログラムで、前半に偶数番号あるいは1番、そして、後半に1番以外の奇数番号の交響曲を配置するものだ。7番は長く、激しい曲だから、前半というのは、聞いたことがない。

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オペラの筋を転換させる重唱

 前に「美しいメロディー」をあげたが、その多くはオペラのアリアだった。西欧クラシック音楽の最も魅力的なメロディーはオペラにあるのは、オペラがしめている位置から当然のことなのだが、ただ、オペラの最大の魅力は、実はアリアではなく、重唱にある。名曲オペラの、音楽的に最も素晴らしい場面は、大抵アリアよりは、何人かがやりとりをする場面であることが多い。
 今回は、そうした音楽的な魅力にあふれた重唱の場面を選んでみた。その条件として、更に、その場面で大きく筋が転回すること、そして、それが主に歌の内容になって起きることという条件で考えてみた。

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