ワルターのワルキューレ

 本当に久しぶりに、ワルターの『ワルキューレ』を聴いてみた。このレコードは、(聴いているのはCDだが)いろいろな意味で、特別なものだ。1935年の録音だから、まだSPの時代で、片面5分のレコードに、ワーグナーの全曲など録音できるとは、とうても思えなかった時代に、EMIが指輪全曲に挑戦する企画として、録音が始まったと言われている。つまり、世界最初の「ニーベルンクの指輪」の全曲録音の試みだったという点。しかし、残念ながら、当時の情勢、おそらく、ワルターがユダヤ人であることの、様々な制約があったのだろう、ワルキューレ2幕の途中で中断した。そして、この不吉な徴候は、その後も続いたことでも有名だ。戦後、改めてフルトヴェングラーで指輪全曲を録音しようと、EMIは意欲的なプロジェクトを組んだわけだが、これも、フルトヴェングラーの死によって、やはりワルキューレだけで頓挫してしまう。そして、クレンペラー。これも基本的には、1幕だけが完成で、指輪全曲の予定だったのかはわからないが、とにかく、ワルキューレで1幕で頓挫。EMIが指輪全曲録音を完成するのは、80年代も末のハイティンク盤だった。EMIにとって、ワルキューレは呪われた音楽という風に言われたこともあった。巡り合わせとは、本当に不思議なものだ。しかし、これらはいずれも、非常な名盤と評価されている。ハイティンクは、例によって強烈な個性を発揮しているわけではないが、じっくりと聴けるし、安心感を与える。指輪にとって、安心感はいいことか、という疑問もあるが。 “ワルターのワルキューレ” の続きを読む

矢内原忠雄と丸山真男9 天皇制について(丸山真男1)

 丸山真男は、戦前の超国家主義の分析で、華々しく論壇デビューしたという経歴から、天皇制の分析に関する論文を数多く残していると思われがちであるが、実は、天皇制の分析を主に行ったものは、極めて少ない。有名なものとしては、「超国家主義の論理と心理」「日本ファシズムの運動と運動」くらいのものである。そして、戦後の天皇制に関する分析を論文として残していないはずである。私は、これまで戦後象徴天皇制に関する分析をした丸山の論文には、接していない。しかし、昭和天皇の逝去に伴い、「昭和天皇をめぐるきれぎれの階層」という興味深い文章を残している。そこで、特に戦前の丸山が、昭和天皇に、どのように関わり、また、感慨をもっていたかが、かなり赤裸々に語られている。そして、「超国家主義の論理と心理」に関連して、次のように書いている。 “矢内原忠雄と丸山真男9 天皇制について(丸山真男1)” の続きを読む

教育学を考える16 試験を誰が作るか 市販テストを考える

 私が小学生の頃、試験問題は担任の教師が自分で作成した。内容も自分で考え、印刷も行っていた。当時は、ガリ版刷りであったので、非常に大変だったはずである。もちろん、教師用の指導書なども参考にしたのだろうが、とにかく、自分で行った授業を、子どもたちがどれだけ理解したのかをチェックするためには、やはり、授業を前提にした試験問題であることが、最も的確な評価が可能である。だから、中学以上は、今でも担当教師が試験問題を作成していることが多いのではないだろうか。小学校は、全教科を実施するとすれば、非常に負担が大きいから、市販テストが登場すると、急速に自作の試験をせずに、市販テストに変えていく流れになり、今では、小学校の教師が試験問題を自分で作成することは、ほとんどない状況になっている。
 実は、日教組は、1970年代初頭に、市販テスト反対運動をしている。また、教育科学研究会の機関誌である『教育』は、72年に市販テストの特集を組んでいる。何故、日教組は反対し、『教育』も批判的論文を並べたのか。それは以下のような認識があったからである。 “教育学を考える16 試験を誰が作るか 市販テストを考える” の続きを読む

矢内原忠雄と丸山真男8 天皇制について(矢内原忠雄2)

 東大を辞職した後、矢内原は、主にキリスト教の伝道を行っていた。それまでの『通信』という個人雑誌を『嘉信』と改め、日曜集会、土曜学校講義、そして各地での講演を掲載していった。これには当局の妨害もかなり入ったようだが、最後まで発行し続けた。また協力者が、紙を提供してくれるなどのこともあって、戦争が終わるまでだし続けた自体驚異的なことである。更に、岩波書店から3冊の新書を出すなどの出版もあったが、いずれもキリスト教的な観点の書物であった。研究をやめたわけではなく、大東亜問題に関する研究を、何人かの専門家と行っていたというが、空襲ですべての資料が燃えてしまったので、その成果は結ぶことがなかった。
 戦争に負け、矢内原が予言したように、日本は国家的に滅び、新しく踏み出すことになったが、矢内原は、いち早く、日本人の啓蒙活動に乗り出す。前に紹介した木曽福島での10月の講演「日本精神の反省」から始まって、日本中を回っての講演活動である。そうするなか、東大へ復帰することになり、多忙になるが、焦土となった日本の再生のために、なすべきことを示していったわけである。
 そのなかで、当然天皇制について、多く語っている。 “矢内原忠雄と丸山真男8 天皇制について(矢内原忠雄2)” の続きを読む

矢内原忠雄と丸山真男7 天皇制について(矢内原1)

 現在は、戦後東京裁判で天皇の訴追がなされないことが決定するまでとは、その意味は違うが、天皇制の危機である点では、同じくらいだといえる。敗戦直後は、天皇の戦争責任が問われ、天皇という制度が消滅するかも知れなかったといえるが、もし、占領軍がそのように決めたら、本当に国民は、占領軍に抵抗しただろうか。一旦敗戦という解放感に浸った国民が、占領軍という絶対的な権力が行ったことに、どれだけ抵抗したかは、私にはわからないが、おそらく、大きな抵抗はなかったに違いない。しかし、占領軍は、天皇というシステムをより合理的に利用する道を選択したわけである。そして、天皇は神から人間に、そして、主権者から、主権者たる国民の総意に基づく象徴になった。そして、その後は、紆余曲折はあったが、象徴天皇制が危うくなったことは、二度あった。 “矢内原忠雄と丸山真男7 天皇制について(矢内原1)” の続きを読む

『教育』2020.8号を読む 戦争の社会認識を育てる実践

 今回取り上げる文章について、かなり批判的色彩が強いが、実践そのものを否定しているわけではなく、優れたものだと考えている。批判はあくまでも、価値ある文だと思うので行うものであることを、最初に断っておきたい。

 中山京子「教師の社会認識を育てる--海を越える取り組みから」を取り上げる。中山氏は、小学校の先生を11年やったあと、大学で教職課程担当の教員をしている。中山氏の文は、教職をとる学生に対する採用試験の学習と大学の学問との関連、日米の教師で英語でのパールハーバーとヒロシマを考えるワークショップ、グアムへのスタディ・ツアーに関する三つの柱で構成されている。それぞれ興味深い提起がなされているように思われる。しかし、それぞれに若干の疑問も感じるのである。 “『教育』2020.8号を読む 戦争の社会認識を育てる実践” の続きを読む

矢内原忠雄と丸山真男6 東大紛争と丸山真男

 丸山が、大学との関連でトラブルに巻き込まれたのは、一高生のときの逮捕と助教授のときの津田左右吉への攻撃的質問ぜめで津田を脱出させたこと、そして、東大を辞職するきっかけとなった東大紛争における学生との対応である。
 前のふたつは、既に触れたので、最後の東大紛争時の丸山の行動について考えてみる。
 東大紛争(中にいた学生としては、東大闘争といわなければならないのかも知れないが、既に50年経っており、より客観的に見る必要がある時期になっているのでそのように書くことにする)は、私にとっても、中にいて、私なりの活動をしたという点で忘れがたい事件である。尤も、私は当時1年生だったし、駒場の教養学部の学生だったので、丸山の法学部の動向は、ほとんど知らなかった。丸山に関しては、息子が日大の全共闘の活動家で、丸山真男とは対立しているらしいというような「噂」が聞こえてくる程度で、それ以外の情報には接していない。 “矢内原忠雄と丸山真男6 東大紛争と丸山真男” の続きを読む

カラヤンの「春の祭典」

 私が属している市民オーケストラが、今年の5月の演奏会で、ストラヴィンスキーの「火の鳥」組曲を演奏するはずだった。しかし、コロナ禍で演奏会自体が中止になり、練習もその後できない状態が続いている。最悪の場合、今年は、演奏会なしだ。本当に困ったことだが、政府も自治体も適切な対応をしないので、このまま長引くだろう。それはさておき、「火の鳥」はアマチュアオケにとって、非常な難曲だ。しかし、「春の祭典」はその何倍も難しい。だいたい、「春の祭典」を正確に演奏できるようになれば、オーケストラとして一人前だということになっている。よくもまあ、こんなに複雑で入り組んだ曲を作曲したものだ、とは指揮者で作曲家の徳岡氏が述べていた。実は、私のオケも「春の祭典」をやろうという雰囲気に一時なったらしいが、やはり無理だということで自重したようだ。プログラムは各セクションの責任者と選曲委員が決めるので、技術的検討が行われたのだろう。
 徳岡氏のyoutubeの番組を、私は登録して見ているのだが、「春の祭典」を取り上げていたので、注意してみた。モントウ、ブーレーズとかメータとか、その他名前を忘れてしまったが、何人かの演奏の特徴を解説したあと、徳岡氏が最も気にいっている演奏は、1960年代のカラヤンの演奏だというのだ。そこで私はびっくりしてしまった。 “カラヤンの「春の祭典」” の続きを読む

ALS患者への安楽死事件 安楽死に反対ではないが、今回はアウトだ

 また、安楽死事件が発生した。その度にブログで書いているが、毎回残念に思う。日本の医師の多くはそうでないのだと思うが、こうした医師の「法意識」の欠落についてである。日本では安楽死を禁止しているのに、何故実行してしまうのか、ということではない。そもそも、日本では安楽死を絶対的に法的に禁止しているわけではない。このことを理解していない人が圧倒的に多いのだ。数年前に、文藝春秋が安楽死特集をやったときにも、この前提があった。実は、日本は、世界で最初に、安楽死の違法性阻却事由を判決のなかで示した国なのである。山内事件という、1960年代の判例で、そこで示した条件は、現在でもほぼ踏襲されており、安楽死を合法化している国の基準ともほぼ重なる。そして、日本の裁判で、安楽死を絶対的に違法であると認定した判決は、おそらくないと思う。私自身は、安楽死を一定の条件で容認する立場だが、合法とする法制定は今の段階ではしないほうがよいとも考えている。だから、本当に安楽死を望む人は、判例として蓄積されてきた違法性阻却事由を満たす形で、医師に依頼すれば、医師が責任を問われることなく実行できるのである。もちろん、それはぎりぎりの、自身の判断によるもので、他人に勧めるようなものであってはならない。
 では蓄積された条件とは何か。 “ALS患者への安楽死事件 安楽死に反対ではないが、今回はアウトだ” の続きを読む

PCR検査が進まない理由、偽陽性での隔離による人権侵害を恐れているというのだが

 新型コロナウィルスの感染拡大が始まった当初から、PCR検査の拡充をすることが、感染拡大を防ぐベストで不可欠な施策だと主張しつづけてきた、羽鳥モーニングショーの玉川氏が、彼の調査時間帯「そもそも総研」で、この問題に迫っていた。実は、このテーマについて、NHKのラジオ番組の紹介をしたときの翌日だったか、やはりモーニングショーでPCR検査を拡充しないことが話題になったとき、全員が顔を見合わせて、気まずい雰囲気になったのだが、そのとき、やはり、メディアに圧力がかかっているのかと思ったものだ。ところが、数日前に、今日23日に、この問題を扱うという予告が出たので楽しみにしていた。玉川氏がインタビューにいった人は、NHKのラジオに出ていた人と同じだった(小林慶一郎氏)。彼は、分科会メンバーで、PCR検査の拡大で安心を作り出すべきだという主張をしていたのだが、なかなかそこに集約されないようだった。そして、今回玉川氏にその理由を語っていた。NHKアナウンサーが、ずっと避けて質問しなかったことだ。
 感染症の専門家たちは、ハンセン病での隔離問題が大きな社会的非難を受け、訴訟を起こされて敗訴していることが、大きな躊躇の理由になっているというのだ。そして、PCR検査で避けられない「偽陽性」がそこに関わる。つまり、「偽陽性」で隔離した人から、訴訟を起こされたら負けるということが危惧されているという。しかし、それはあまりに子どもじみた対応ではないだろうか。ハンセン病と新型コロナウィルスとは、かなり相違点がある。 “PCR検査が進まない理由、偽陽性での隔離による人権侵害を恐れているというのだが” の続きを読む