コロナ雑感 家庭での治療薬がなぜ承認されていのか

 コロナでステイホームになって、既に一年を優に越えるほどになった。コロナの流行と定年退職が重なったために、文字通り徹底したステイホームを実施している。週に2回程度の買い物につきあうことと、3月から復帰したオーケストラの練習に週1ででかけるだけだ。あとは暗くなってからのジョギング。公共交通機関には、1年半以上乗っていない。そのために、コロナ情報には、本当に長い時間をかけて、読んだり、見たりしてきた。そして、感じたのは、何故日本はこんなにコロナ対策が不備なのか、政府が無力なのかという点だ。そして、少なくない専門家と称するひとたちのいいかげんなことだ。
 
 最初に感じた専門家なるひとたちの馬鹿げたいい方は、「新型コロナは単なる風邪だ」というものだった。これにはびっくりした。こういうことをたくさんの専門家がいっていたが、彼らは、今の第5波の感染拡大でも、そう思っているのだろうか。第3波のときには死者もかなり出た。今回の拡大でも、今後死者が増加することは疑いない。風邪論者は、インフルエンザと患者数も、死者数も変わらないということが、主な理由だった。

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菅首相の平和記念式典挨拶の「とばし」はミスか故意か

 またまた、菅首相が話題作りに協力した感じだ。こともあろうに、広島の原爆投下の日に開催される平和記念式典で挨拶したおり、一ページ分を飛ばし、更に別の部分も読まなかったというのだ。私はテレビを見ていなかったので、記事によって知るしかないが、飛ばした部分と読まなかった部分を、両方掲載している記事がなかなかないので、以下のふたつの記事を引用しておく。比較的詳しく解説しているのが、次の記事である。
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【広島平和記念式典】菅首相が読み飛ばしか。NHKの字幕は「核兵器のない世界の実現」と表示も首相は話さず
菅首相は「非核三原則を堅持しつつ」と日本の立場を説明する場面で、核軍縮の進め方をめぐる各国の立場の違いへと話を変えてしまい、意味が通らなくなった。
* 安藤健二
原爆投下から76年目の8月6日、広島市の平和記念式典に出席した菅義偉首相のあいさつで意味が通らない部分があったと話題になっている。
■意味が通らない部分は?
菅首相は「非核三原則を堅持しつつ」と日本の立場を説明する場面で、核軍縮の進め方をめぐる各国の立場の違いへと話を変えてしまい、意味が通らなくなった。地元紙・中国新聞のオンライン版は「用意していた原稿を読み飛ばしたとみられる」と速報で報じた。

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政府の体をなしていない菅内閣 入院措置の朝令暮改

 コロナでの入院を重症患者を原則にするという政府の決定に関して、既に問題山積している。
 まず、分科会の尾身会長に連絡がいってなかったことが明らかになった。菅首相は、何か困ると、必ず専門家を引き合いにだす。GOTOキャンペーンのときにも、専門家によれは、GOTOとコロナ感染の関連を示すエビデンスはないと、専門家を楯に、GOTOを強行した。しかし、その結果第二波の大きな感染が起きてしまった。当時、尾見氏らですらも、GOTOの危険性を指摘していたにもかかわらず、である。
 しかし、今回の大きな方針転換、というよりは、対策放棄というべきだが、コロナ対応について議論する専門家の分科会に、まったく諮ることなくことなく、ごくわずかな人間で決めたらしい。一月万冊に主演していた佐藤章氏の情報によれは、厚労相の医務技官のトップの二人で案をつくり、それを菅首相と田村厚労相が了承して決めたというのである。しかも、その理由が、感染爆発で、各地の保健所が機能不全になり、批判に晒されたることを恐れたというのである。現在のような入院調整に手間どり、入院する必要があっても、入院できない患者が激増したら、保健所が非難される。しかし、重症に入院を限定しておけば、入院調整ができずに、放置されているという「形」にはならず、保健所が批判されないというわけだ。そして、重症化しているか、あるいはその恐れがあるかは、血液中の酸素濃度95%を基準にするという。つまり、こういう単純な基準にしておけば、入院させるかどうか、などという面倒な調査か不要になる。

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相撲関係者は、よほど白鵬が嫌いらしいが

 白鵬が、オリンピック会場で観戦していたというので、相撲関係者のあいだで大騒ぎになっているようだ。「なぜ無観客なのに柔道会場にいる…白鵬、五輪生観戦を協会が猛批判 怒りの芝田山部長「横綱として失格」」(塚沢健太郎」)https://news.yahoo.co.jp/articles/ffae1555d1bf02ba1e698dc85d597582d7ecb915
この他にも、たくさんの非難記事があるし、また、ネットでも非難轟々だ。
 しかし、冷静に考えてみれば、オリンピックは無観客で、関係者しか入ることができないのだから、何らかの許可があって入場したと考えるのが普通だろう。もし、何もないのに、強引に入場しようとしたのなら、その時点で大騒ぎになっていたはずである。その騒ぎの時点で相撲協会に連絡がいっていたに違いない。しかし、オリンピック選手と歓談している写真まで掲載されているのだからは、何らかの手続きではいったことは十分予想される。それを、ルール違反だと、何も確かめずに怒り狂うほうがおかしい。

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医療の拡充ではなく、患者の切り捨て策に出た菅内閣

8月2日に、政府は、コロナの医療体制を改め、これまではリスクのあるひとを幅広く入院させていたのに対して、入院の対象を重症者や重症化リスクのあるとして、それ以外は自宅療養を基本とするというのである。その理由は、医療が逼迫してきたからだという。
 そして、これまで入院しないと可能でなかった治療法を在宅でも可能にするという。例えば、「抗体カクテル療法」をあげている。しかし、抗体カクテル療法は、点滴によるものなので、自宅で行うには、かなりの制約があるはずである。自宅療養者に対する使い方は、これから協議するらしい。ずいぶんのんびりしたものだ。https://www.nikkei.com/article/DGXZQODE0274O0S1A800C2000000/
 結局、自宅療法への対応が整わなくても、入院は重症患者という措置は、見切り発車するのだろうか。

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日教組教育制度検討委員会報告(一次)1 教育要求実現が教育的格差を生むとは

 戦後に行われた教育改革は、大きく5つの時期に区分することができる。
 第一は、当然アメリカ占領下において行われた「戦後改革」である。
 第二は、1950年代、米ソ対立、朝鮮戦争を契機とした講和条約に発する「逆コース」という一連の戦後改革の否定と管理強化。
 第三は、高度成長とそれに乗って延びた進学率の上昇への対応が中心となった中教審46答申による改革である。
 第四は、日本の経済力がほぼ頂点となった80年代に、中曽根首相の主導による臨教審の改革。そして、それを引き継ぐ小泉改革。
 そして、第五が安倍内閣による教育基本法改定等に代表される一連の教育改革である。
 これらの多くが「改革」というには多少スケールが小さいが、教育の局面を変化させたことは間違いない。
 第二の逆コースに対しては、日教組などが力で対抗することが多かったが、第三の中教審答申に対しては、大学紛争などの青年運動に刺激されてか、日教組は、全面的な制度改革案を自ら提起するなど、積極的に対案提示を行った。

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オリンピックが開始され、日本人の対応が変わったというが

 オリンピックが開始されて一週間余が経過した。そして、案の定、オリンピックが始まれば、反対する日本人の感覚も積極的に、支持するようになるさ、というような事前の観測が「正しかった」ような論評が目立つようになっている。しかし、本当にそうか。もちろん、いざ始まれば、既に反対しても仕方ないという雰囲気が醸成されることは明らかであるし、立憲民主党すら、今更反対したら混乱を招くなどと発言しているくらいだから、そういう雰囲気があることは間違いない。しかし、みんなテレビを見ているではないか、とか、積極的に支持するようになっているなどということで、国民がオリンピック反対の感情が消えたとみるのは、早計だろう。そもそも、テレビをつければ、ほとんどオリンピックのことばかりやっているのだから、国民がテレビでオリンピックを見ているというのは、事実としても、それ以外ないからだといえる。これだけオリンピックばかりに占拠されてしまうテレビ局がおかしいともいえる。やはり、系列新聞社がオリンピックスポンサーだからだろう。そして、NHKはもともとオリンピックを、重点的に放映することになっていたのだから、テレビを通してみれば、国民がオリンピック漬けになっているようにみえる。

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車への閉じこめによる死亡事故 保育園は出欠確認をしないのか

 毎年、車に閉じこめられた幼児が、熱中症で死亡する事例が少なくない。以前は、親がパチンコに熱中し、子どもを駐車場の車のなかで待たせていた間に、死亡してしまう例が目立った。パチンコと子どもの放置ということで、親への非難が主な報道内容だった。奇妙なことに、毎年繰りかえされていたことだ。パチンコとは、それほど中毒性の高いものなのだろうか。
 ところが、今年は、そういう報道は目立たず、むしろ、別の理由での放置が原因で死亡する例が目立っている。例えば、二人の子どもを連れて帰宅した母親が、最初年上の子どもと一緒に、マンションの自宅に戻り、しばらくして車に戻ったときには、下の子どもがぐったりしており、病院に運ばれたが死亡したという例があった。報道では、その母親は普段から子どもを放置しており、そうした面が表れたので、決して偶発的なものではないという意見もあったように思う。私の感覚では、2人一緒が無理なら、普通は小さな子どもを先にするのではないだろうか。真実はわからないが、今度は、保育園での事故だ。

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共通テストが民間英語と記述式を諦める

 共同通信によると、ついに、文科省は、共通テストの英語民間試験と記述式問題を諦めることを正式に公表するとしている。「英語民間試験、記述式の導入断念 共通テ、文科省きょう公表」(共同通信2021.7.30)
 今まで、検討していたのかと思うと、その執念は、かなり驚きだが、当たり前の結論だと思われる。50万人の記述の答案を適切に採点することなど、不可能であることは誰にでもわかる。問題の量や形式、そして、採点者の質などによるだろうが、例えば、東大の入試では、過去に一次試験と二次試験に分かれていたとき、すべて選択式の一次試験で定員の3倍まで絞っていた。それは、二次試験はすべて記述式だから、採点の負担を軽減するためであった。それでも、東大入試の場合には、募集単位が6類に分かれており、採点者は毎年行う東大の教官だったことを考えれば、試験の質を保つために、有効な手段だった。当時、一次で絞るのは、機会均等に反するなどという、非常に間違った批判がメディアにあふれていて、ずいぶん浅薄な批判をするものだと驚いたものだが、それも共通一次試験の導入で、形が変わってしまったことは残念である。それでも、二次試験で記述問題を中心にだしていることは、見識である。

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ワイドショーのオリンピック報道への疑問 もっと国際的な視点をもてないのか

 オリンピックが開始され、ワイドショーをめっきり見なくなった。オリンピックネタをやっていると、他にチャンネルをまわすようになっている。ワイドショーをみるのは、やはり、ニュースに多少解説めいたものを付加しているからで、更に複数の見方が提示されればなおよい。そういう意味で羽鳥のモーニングショーはもっとも面白い。しかし、どの番組もオリンピックに占拠されている。しかも、その内容が、私から見れば悲惨だ。国力が低下している日本の象徴のような番組になっている。オリンピックに批判的なことを言っていたのに、実際に始まると競技の様子を放映し、メダルをとった選手を礼賛するのはおかしい、という批判もある。メディアがまったく報道しないのも変だろうから、その批判には与しないが、それにしても、放映の仕方には大いに疑問だ。
 とにかく、日本選手のことしか放映しない。しかも、メダルをとった選手しか扱わない。もちろん、あまり見ないでいうのもフェアでないことは承知だが、たまたまつけた番組で例外がないのだから、当たらずとも遠からずだろう。

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