「文藝春秋」12月号に、「秋篠宮家秘録 この三年間に何が起きていたか」(特別取材班)と「象徴天皇制の聖と俗」(保阪正康)という文章が掲載されている。さすがに日刊ゲンダイのような駄文と違って、問題に切り込もうという姿勢が感じられる。両方ともネットでも読めるが、前者は一部省略があり、省かれた部分は悠仁親王の通学したお茶の水女子大付属関連であり、興味深い内容だった。
ネットで読めるので、内容はそちらでチェックしてもらうとして、疑問な点を中心に書いておきたい。
まず「秘録」のほうだ。
ここでは真子内親王が非常に大人で、一端決意したことは断固としてやり抜く強い意志をもっており、籠の中の鳥状態である皇室から抜け出すために、10年も前から佳子内親王と相談しながら、計画をしていたという話が出てくる。近くで接していると「通常よりも10歳くらい精神年齢が上」と感じるのかも知れないが、結婚後の記者会見で見せた状態からは、多くの人が、年齢の割に幼いと感じたのではないだろうか。私もそう感じたし、またネットの書き込みでそういう感想が非常に多かった。意志の強さは確かにそうなのだろうが、より客観的にみれば、意志の強さというよりは、独善的で幼稚な思考の印象が強い。