真子内親王結婚後の天皇制の論議の必要性

 小室-真子内親王の結婚が正式に発表された。私自身は、民間人となるわけだから、早く結婚してニューヨークにいって、日本の視界から、消えることはなくても、薄くなってほしいと思っているだけだが、本当の問題はこれから始まるということを忘れてはならないと思う。つまり、今後の天皇制というシステムが、どのようになっていくのかが、今後熾烈に問われていくということだ。
 まず忘れてはならないのは、「天皇主義者」とでもいうひとたちほど、天皇を尊重しておらず、利用したいと思っているひとたちだということだ。戦前の軍部の皇道派などをみればわかる。また、終戦の前日と当日に天皇の「玉音放送」の録音レコードを奪取しようとした軍人たちは、より鮮明かも知れない。本当に天皇の意志を尊重するひとたちであるならば、天皇自らが吹き込んだ録音を放送させないなどという行動をとるはずがない。

 何故、このことが大切であるか。それは、平成の時代に、天皇利用をするひとたちが目立ってきたからである。昭和天皇の時代には、戦前からの流れもあり、昭和天皇は、天皇主義者たちに対しても「権威」があった。だから、利用しようなどという動きを示すことはなかった。しかし、平成になると天皇の重みは低下し、国民のなかにはいっていく姿勢すらみせたために、天皇主義者たちは危機感を覚え、利用可能な対象を求めた。それが秋篠宮だったのである。秋篠宮は成長期から軽い人物であり、結婚などは我が儘そのものだった。そして、およそ政治的見識などを感じられない存在だ。天皇主義者にとっては、このうえなく都合のいい人物だったのである。平成時代の皇太子(現今上天皇)攻撃をみればわかる。皇太子を辞めなさいなどというキャンペーンすらあった。皇太子は、当時からかなり見識がある人と見なされ、皇太子妃が正真正銘のエリートで高い能力をもった人物だったから、「天皇主義者」達にとっては扱いにくい存在なのである。
 
 天皇主義者ではなく、実利主義者だった小泉純一郎総理は、雅子皇太子妃に男子が生まれないことで、女系天皇を容認し、男系男子に限らず、長子継承の皇室典範改正を試み、ほぼ成功しかけた。これが成功すれば、小室圭問題は生じなかったのである。
 しかし、天皇主義者の安倍官房長官らは、これに反撃をすべく、秋篠宮に働きかけ、男子出産に漕ぎ着けることに成功した。そして、小泉首相に皇室典範改正を諦めさせ、将来皇統を秋篠宮家に移すことに成功したのである。
 もし、秋篠宮家の人たちが聡明であれば、小泉改革を受け入れていただろう。しかし、天皇主義者にとっては、天皇や皇族が賢明な人たちであってはこまるのである。賢明な人たちであることを望む人たちであるならば、「男系男子」とかY染色体などというオカルト的妄想に囚われることなく、民主主義社会に相応しい男女どちらも天皇になりうるシステムを、すんなり受け入れる、あるいはそれを主張するだろう。そして、今上天皇の系統を維持すればよいのだ。
 しかし、彼らは秋篠宮家を選択し、更に、女性宮家を創設して、秋篠宮家の皇統を磐石のものにしようと試みた。そして、その第一弾が小室圭と真子内親王の結婚だったのである。マスコミを動員してこの結婚の祝福ムードを盛り上げ、そして、女性宮家を創設し、真子内親王が宮家の当主となる。そして、佳子内親王が続く。悠仁天皇と、それを支える姉妹の宮家。これが当初のシナリオだったろう。それが崩れていった様は周知のことだ。いまだにわからないのは、秋篠宮が、小室圭氏の身体検査をやめさせたといわれていることだ。常識的には考えられないことだし、事実だとしたら、それこそ、秋篠宮を「天皇主義者」が利用可能としている根拠となることだ。
 その後は、スキャンダルの発覚と、実は真子内親王にとっての目的は、皇室を出て民間人になることだというふたつの理由から、女性宮家構想は頓挫することになった。この間の結婚延期は、なんとか女性宮家構想を実現しようとする勢力と、それを阻止しようとする勢力、そして単純に皇族を出たいという真子内親王、そして、別の意味で皇室利用を目論む小室家という複雑な力関係の相剋が続いていたということだろう。
 そして、最も重要なことは、なお秋篠宮をもり立てて、皇室を利用しやすい状況にしようという人たちの試みが継続しているという点だ。しかし、彼らには致命的な欠点がある。
 まず、その主張があまりに時代がかっていることだ。Y染色体などという、妄想的な根拠を持ち出すこと、そして、男系男子に拘る限り、系統そのものが消滅の危機となることは避けられないこと、民主主義社会である以上、彼らの主張が国民に受け入れられることが難しいこと等である。
 しかし、小泉内閣の皇室典範改定を潰したことでわかるように、天皇主義者は、いかなる手段でもとるに違いない。そして、望んでいることは、見識とはおよそ遠い秋篠宮家の天皇継承である。帝王教育も受けずに天皇になる悠仁親王は、天皇利用者にとっては、かっこうの対象となるのである。
 逆にいえば、だからこそ、令和で皇室は終了という意見が、ネットにも溢れていることなる。ここで、重要なことは、国民の象徴たる存在が、人格・識見・能力において優れている人であるべきなのか、あるいは、異なる要素、血統なのか。この対立が、より鮮明になっていく。いくら天皇制が長く続いてきたといっても、現代に生き残るためには、民主主義社会に適合したシステムに変化していく必要がある。
 
 さて、そもそも、天皇のような象徴的存在は、どのような人物であるのがよいのか。これまでは、完全世襲制で千数百年続いてきたから、血統であることが当然視されてきた。天皇主義者の「誇り」は、血統だけでこれだけ長く続いてきた王朝は、世界のなかで、日本の天皇しかいないということだ。しかし、続いていることは、確かに希少価値であるが、実質的価値を主張できるだろうか。歴史をみれば明らかなように、天皇家の歴史は、それほど誇るべき事跡を積み重ねてきたものではない。平安時代以降は、真の権力者に利用される存在であり続けた。何故、武家政治が天皇家を滅ぼさなかったのかは、歴史的定説があるわけではないだろうが、要するに、実権はないが、古い家柄としての権威はあるので、滅ぼすよりは利用したほうが、コストパフォーマンスがよかったからだろう。
 血統としては世界最長であるが、血統ではないが、権威としてより長く継承されてきた存在はある。ローマ教皇だ。440年即位したレオ1世が、現在のローマ教皇に続く権威を確立したといわれており、それは、明確に記録に残されていることである。初代はイエスの弟子であったペテロであるが、まだ、キリスト教がローマに受け入れられておらず、国際的に権威が確立していたわけではないから、やはり、5世紀にローマ教皇の権威は確立したといえるだろう。
 では、日本の天皇はどうか。天皇は初期は複数存在した王のひとりであり、それが卓越した存在である大王(おおきみ)になり、そして、天皇となって、今日に続く権威となった。当初は、実際に政治的軍事的権力をもった存在だったが、平安時代以降は、実際の権力者は別に存在し、その権力者を正統化する役割を担う「権威者」となったわけである。実質的に、国内を支配する天皇がだれかは、おそらく諸説あるのだろうが、私は、大化の改新前後のことだろうと思う。7世紀のことだ。つまり、権威としてはローマ教皇のほうがはるかに古くから継続しており、また、国際的な影響力も圧倒的に大きい。
 何故ローマ教皇は、これほど長く続いてきたのだろう。それは、基本的には、人材として選ばれてきたからではないだろうか。そのときの候補者から、最も適切であると見なされた人が認められて就任してきた。もちろん、様々な例外や批判はあるが、ローマ教皇が権威をもっている存在して、国際的に認められていることは否定できない。
 
 天皇はどうか。現在天皇システムが危機に遭遇していることは間違いない。今上天皇は、賢明な人物であり、象徴としての意味を理解して行動しているが、秋篠宮家は、国民に尊敬される存在からは遠い。そして、そのことが、悠仁親王に後継者が生まれる可能性を小さくするだろう。このふたつの理由から、令和後の天皇制は、遠からず消滅する可能性があるし、また、システム自体に国民の否定的感情が高まることで、崩壊する可能性がないともいいきれない
 とりあえず、現在の天皇家が皇統を継続するような皇室典範の改定(小泉改革)を実現することで、上記ふたつのマイナス要因をとりあえず消去することができる。そして、それは民主主義の原則により適うことになる。
 天皇システムが消滅しても、国民を統合する象徴的存在によって、国家を安定させることは可能である。ローマ教皇はそれを示唆する。国家的レベルでいえば、ドイツのような象徴的な大統領制がある。
 アメリカやフランスのように、最高権力者の他に象徴としての存在がいない国がある。イギリスや日本のように、世襲制の象徴的権威(君主制)の国もある。そして、選挙(ただし、現在は国民の直接選挙ではない。)で選ばれる象徴をもつドイツのような国もある。
 天皇というシステムへの疑問が、国民のなかに生じていることは、こうしたシステムの検討が必要となっていることを示している。 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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