『教育』2021年10月号を読む 山田哲也「教員世界の地殻変動」の検討2

 前回は、求心的関係構造とその弱体化に関する検討を行なった。
 今回は、職務の無限定性と献身的教師像について検討する。これは、ペアのような関係だ
が、やはり、単純に議論すべきことではない。学校職場がブラック化している最大の要因が、この「無限定性」にあるわけだが、これは、確かに、積極的な意味での教員文化としての側面があるが、他方、行政が安上がりの労働を押しつけるための仕組みを作り上げたことも見逃すわけにはいかない。
 戦後民主化された教育の世界で、教師たちが要求したことは、労働者としての権利だった。この場合、労働者とは、労働内容が明確化され、それ以外のこと(雑務)をむやみに押しつけられることなく、労働時間が規定されており、それを超過する場合には、超過勤務手当てを支給するということである。つまり、定量労働ということだ。しかし、これらがきちんと決められて実行されたことは、戦後一度もなかった。それだけではなく、憲法で保障された「労働基本権」すら、教師には一部制限されたのである。

 そのために、長く日教組は、教職に労働者としての権利を獲得することを目標にしていたのである。しかし、そういう時期にあっても、必ずしもそれに同調することなく、むしろ献身的に授業研究を行い、子どもたちのために尽くすことを厭わない組合員や非組合員の教師がいたことも事実である。日教組運動のなかでは、組合派と教研派の対立などと呼ばれることもあった。そして、日教組が分裂したあとも、労働者性と聖職者性との関連を問う議論もあった。そういう意味で、無限定性と献身的教師像が、教員文化を形成していることは間違いない。だが、それは自然に起こってくる文化という側面だけではなく、行政に押しつけられた結果であることも、常に注記すべきなのである。
 山田氏は、教員文化の変化のひとつとして、氏が参加している定点調査によると「教育改革の動向に親和的で、組織の一員として学校が掲げる目標を積極的に追求する新しいタイプの教員が出現しつつある。」ということをあげている。そして、「学力テストをもちいた統制の強化への応答」と具体例をあげている。つまり積極的に学力テストに協力し、テストの点数をあげるべく努力する教師を念頭においているのだろう。ただ、注意しなければならないのは、1960年代に実施されていた学力テストは、多くの反対運動を引き起し、社会の批判の結果、廃止に追い込まれたのだが、それでも、全国のほとんどの学校では、平穏に行なわれていたのである。特に、東京では組合も反対運動はしなかった。私は当時東京在住の中学生で、全国学テを受けたが、何ら騒ぎなどは起きなかったし、教師たちが反対をしているなどということを、知らずにいたくらいだ。
 ただ、とはいっても、積極的に行政やその改革動向に親和的である教師が増えていることは、理解できる。教員採用試験が、緻密に小論文や面接で、そういう受験生を採用してきたからと思われる。
 しかし、「求心的関係構造は、専門家としての自律性と裁量を与える役割を果たしてきたが、制度・政策に従順に従う姿勢へ同調圧力を高める方向にも作用しうる。」と書いているのは、疑問を感じる。そもそも、求心的関係構造は、同調圧力と反対の方向性だったはずで、学校の目標に積極的に協力することに対する同調圧力が強まっているとしたら、それは、求心的関係構造を壊している結果だと考えるべきなのではないか。そして、事実として、求心的関係構造などは、既に弱まっていたことは前回指摘した。
 
 さて、無限定性と献身的教師像に戻るが、山田氏が問題にしているのは、もはや、そういうことに耐えがたい状況が進んでおり、教師自身がそれを表現するようになってきたということだ。文科省の企画した「#教師のバトン」プロジェクトは、当初教職のすばらしさを、現場教師がつないでいくという目論見だったが、みごとに逆の効果をもたらし、学校職場のブラックをなまなましく伝えることになり、教師が声を上げ始めたことで、「学校文化についても同様の事態が進展し、学校教育制度の担い手である個々の教師がそれぞれに教職の再定義を試みる再帰性の加速化を促している。これ以上の献身は無理という現場の切実な声は、教員文化の新たな変容を告げる画期かも知れない」と山田氏は書いている。
 前段では、こういう職場でも、積極的に適合していく若い教師たちが現れたとしているが、ここでは、もうこれ以上の献身は無理、という声が、教員文化の変容を告げているという。整合性の問題はあると思うが、現場は多様だから、両方の現実があるということで理解しておこう。むしろ、こうした変化が起きた要因についての考察が重要な意味をもっている。
 
 教員文化の変化の要因を、山田氏は次のような理由をあげている。
 第一に、教員の年齢構成の「ふたこぶ化」である。これは、教員採用を全国的に極端に絞った時期があり、それが今40代を構成している。つまり、50代以上と20・30代が多く、40代が少なくなっている。このために、先輩たちに継承されてきた教員文化が引き継がれにくくなっているというのだ。
 第二に、近年問題になっている教員志願者の減少である。倍率が低下すると、多様な動機や背景をもつ人が教職に参入してくるので、同調圧力が弱くなる、そのために、求心的関係構造が弱くなっているというのだ。
 しかし、論理的に考えて、この第二の説明の後半は納得しがたい。求心的関係構造は、お互いに批判したくない、批判されたくないということだったはず。多様な動機をもつ人か入ってくると、批判が大事だという傾向になっていくというのだろうか。批判されたくないのは、通常の人間の性といってよく、まして、自分と異なる背景をもった人からの批判などは、御免だという感覚が強まることのほうが多いはずである。相互批判を志向するようになるためには、かなりの脱皮が必要だ。それは、よい授業をめざすためには、お互いに授業を見合って、自由に批判しあう関係が必要だ、という強力なリーダーシップがあってこそ、実現するものだ。教育行政が進めようとしているのは、そうしたリーダーシップではなく、校長の指導に無条件に従うことであろう。
 ただ、このふたつの理由で、教員文化に変化が起きる可能性は、十分に納得できる。ただし、どのように変化するかは、やはり、様々な要因に影響され、職場環境を悪化させる可能性も否定できない。山田氏は、教職員が楽しく働ける学校に変革する条件を次に提示する。(つづく)
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です