自民や維新が革新で、社民と共産は保守という見方

 毎日新聞11.28に「維新は革新で共産は保守 有権者の新常識を探る」という記事がでた。遠藤晶久早稲田大学准教授のインタビュー記事である。若者が、自民・安倍首相が革新で、共産が保守という見方をしているという話は、数年前からあった。半分正しく、半分間違っていると思う。もちろん、政治的立場を、保守-革新という切り方だけではなく、右-左、資本主義-社会主義、自助-福祉、権威主義-自由主義等複数の対立軸が可能だ。しかも、簡単ではないことは、こうした対立軸が政党や団体によって、いつも同じように対立しているのではなく、つまり単一ではなく複合的である点だ。
 自民党が全体として保守党であることは疑いないが、しかし、様々な面で革新的であり、ある領域では、現状変更を志向していることも事実である。例えば、選択的夫婦別姓やLGBTs法案を推進しようとするひとたちすらいないわけではない。中曽根内閣から小泉内閣にかけて、公的な企業がたくさん民営化されたが、それは、明らかに「現状の変革」であったから、推進した自民党が改革派で、野党が現状維持派であった。しかし、公共性の高い事業を国有化することは、歴史的にみれば新しいことであり、その意味で民営化は、むしろ革新的反動であり、民営化反対は保守的革新と表現することもできる。

“自民や維新が革新で、社民と共産は保守という見方” の続きを読む

中村吉右衛門追悼

 歌舞伎役者の中村吉右衛門が亡くなったそうだ。前からかなり体調を崩していたと報道されていたので、いよいよという感じだったが、77歳というのは、まだ若い。歌舞伎界に大きな損失だ。
 私は歌舞伎はほとんど縁がないが、一度だけ、職場の定年停職の記念品としてもらった歌舞伎の券で妻と行ったことがある。中村吉右衛門も主役ではなかったがでていた。歌舞伎だから当たり前だが、写真の顔とあまりに違うので、あまり実感がなかったのだが。拍手は多かった。吉右衛門を見たという満足感は大きかった。
 というわけで、本職の歌舞伎役者としての吉右衛門に接したのは一度だけだが、やはり、多くの人と同様、池波正太郎の「鬼平犯科帳」の主役として親しんだ。鬼平犯科帳は4回テレビドラマとして放映されたが、最初の松本白鸚主演のメンバーが風貌のイメージを作っていた。その後、丹波哲郎、萬屋錦之助と続き、4代目が中村吉右衛門であり、おそらくこれがシリーズ物としては最後になるだろう。白鸚の息子である吉右衛門は、実際に白鸚のシリーズに息子の辰蔵役で出ていたので、鬼平犯科帳シリーズとしては、2回目だった。

“中村吉右衛門追悼” の続きを読む

秋篠宮誕生日会見を見て 皇室のコストパフォーマンス論

 いろいろな意味で話題になっていた秋篠宮の誕生日会見が放映され、また宮内庁のホームページに文字化されたものが掲載されている。両方目を通したが、この方が将来天皇になるのかと思うと、正直暗澹たる思いになる。同様の感想をもった人は少なくないに違いない。いくら皇族といっても、記者会見の体をなしていない印象だ。質問は予め提出されていて、しかもかなりの準備期間があったはずである。記者は予め提出した質問の文章を最初に読み、それに対して秋篠宮が回答するのだが、ひとつの質問にはだいたい3つ程度の小さな質問が含まれている。準備してきた回答を述べるのだから、メモを見る程度は当然として、小さな質問をその都度確認して回答している。それが最後まで続いた。特段細かな質問ではなく、ごく大雑把な質問内容だ。それを一々再度質問を確認して、回答するというのは、真剣に質問を受とめているのかという疑問が起きた。

“秋篠宮誕生日会見を見て 皇室のコストパフォーマンス論” の続きを読む

サンデーモーニングの張本降板

 人気コーナーでもあり、また批判も多かった関口宏司会のサンデーモーニング(TBS日曜番組)のスポーツコーナーコメンテーターの張本氏が今年一杯で降板するという本人からの説明があった。私自身その場面をみていたので、少々驚いたが、最近のネットでの批判と、張本自身の年齢を考慮すれば、来るべきものが来たという感じでもあった。ネットでは、既にたくさんの見解が書き込まれているが、ほとんどはサンデーモーニング自体への批判のほうが強く、張本氏については分かれている感じだ。私自身は、この番組は、前半は別の番組(というか、朝なので見るときはということで)をみているので、だいたいスポーツコーナーあたりからみて、「風をよむ」の後半あたりからはみるのをやめてしまう。

“サンデーモーニングの張本降板” の続きを読む

そんなことで人を殺してしまうのか、で済むだろうか?

 ほとんど理解不可能な殺人事件が立て続けにおきた。ほとんどの人は、そんなことで人を殺してしまうのかという疑問にとらわれたに違いない。
 中学生がとなりのクラス(小さな町なので、小学生時代からの友人だった)の友人を呼び出して、廊下で持参した包丁で刺し殺した事件。そして、妹夫婦の家族と同居していた男が、妹をその夫が迎えにでかけたあと、二階に子どもが二人寝ているのを知りながら放火して全焼させ、子どもを死なせた事件。
 ふたつの事件とも、おそらく小さな、継続的なトラブルはあったのだろうが、大きな喧嘩などもなく、突然の犯行のように思われた。まだ真相は明らかになっていないし、今後明らかになるかどうかもわからないが、特に学校の教師にとっては、大きなショックだったに違いない。

“そんなことで人を殺してしまうのか、で済むだろうか?” の続きを読む

ノーベル賞受賞者が地方出身に多いこと

 日本人のノーベル賞受賞者は、地方出身者が多いことは、これまでしばしば話題になってきた。そして、今日この記事に気づいたので、考えてみることにした。日経の「ノーベル賞受賞者、都内高卒は1人、開成、筑駒はゼロ」という記事だ。筑駒は、私の母校であるので、思わず笑ってしまった。
 確かに、地方公立高校出身者がほとんどである。都内は日比谷高校卒の利根川博士のみだそうだ。私なりに考えると、理由がいくつか考えられる。
 まずノーベル賞というのは、自然科学が柱だ。自然科学者として業績をあげてノーベル賞を獲得するわけだが、ノーベル賞級の研究をするのは、まずは基礎研究が主で、それまでなかった発想で新しい発見をすることがもとめられる。そのためには、やはり、小さいころから自然に接して、自然の不可思議さに日々感応するようななかで育つことが有利なのではないかと思うのだ。私は自然科学者ではないので、想像するしかないのだが。

“ノーベル賞受賞者が地方出身に多いこと” の続きを読む

プロが仕事中に泣いてしまうこと

 最近「朝イチ」はまったくみないので、実際にその場面を見たわけではないのだが、朝ドラの話を最初にする場面で、鈴木アナウンサーが、「カムカムエヴリバディ」の場面を語るときに、あまりにドラマに感情移入して泣いてしまい、話ができなくなってしまって、周囲のスタッフが懸命にフォローしたという記事があった。そして、プロは泣いてはいけいないのかというような提起がなされていた。

“プロが仕事中に泣いてしまうこと” の続きを読む

広告と言論

 朝日新聞の記者が、書きたい記事を広告主に忖度した上司と折り合いがつかず、自ら命を絶ったという事件があった。なんとも痛ましいことだが、たくさんのことを考えさせる事件だ。
 現時点では、週刊文春11月11日号に報道されているくらいで、肝心の新聞社系は沈黙しているようだ。したがって、現在では詳細はわからないが、文春によれば、パナソニックの早期退職希望者に関連して、他の新聞は、前向きな記事を書いたのに、朝日の件の記者だけが、パナソニックの意図に反して、優秀な社員も応募して会社側も困惑したことを載せ、上司が、積極的なことも書けというので、意に沿わない記事を書いて悩んでいた、その気持ちがツイッターに書かれていたというような内容だった。記者の死亡後の朝日の人事の不可解さもあわせて報道している。

“広告と言論” の続きを読む

国民の教育権論の再建6 教育権の基本的要素2 教育を受ける権利

 憲法に明記されている「教育を受ける権利」について考察しよう。
 憲法に規定されているのだから、この権利については、法的に存在していることは疑いない。条文を確認しておこう。
 
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
② すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
 
 法的には、国民は教育を受ける権利はあるが、それは「能力に応じて、ひとしく」という限定かついている。子どもの教育を受ける権利については、保護者が法律の定めに従って、保護する子女に教育を受けさせることによって充足される。全体として国家がそれらを保障する義務がある。

“国民の教育権論の再建6 教育権の基本的要素2 教育を受ける権利” の続きを読む

小室夫妻の結婚と保守論壇

 「文藝春秋」12月号に、「秋篠宮家秘録 この三年間に何が起きていたか」(特別取材班)と「象徴天皇制の聖と俗」(保阪正康)という文章が掲載されている。さすがに日刊ゲンダイのような駄文と違って、問題に切り込もうという姿勢が感じられる。両方ともネットでも読めるが、前者は一部省略があり、省かれた部分は悠仁親王の通学したお茶の水女子大付属関連であり、興味深い内容だった。
 ネットで読めるので、内容はそちらでチェックしてもらうとして、疑問な点を中心に書いておきたい。
 まず「秘録」のほうだ。
 ここでは真子内親王が非常に大人で、一端決意したことは断固としてやり抜く強い意志をもっており、籠の中の鳥状態である皇室から抜け出すために、10年も前から佳子内親王と相談しながら、計画をしていたという話が出てくる。近くで接していると「通常よりも10歳くらい精神年齢が上」と感じるのかも知れないが、結婚後の記者会見で見せた状態からは、多くの人が、年齢の割に幼いと感じたのではないだろうか。私もそう感じたし、またネットの書き込みでそういう感想が非常に多かった。意志の強さは確かにそうなのだろうが、より客観的にみれば、意志の強さというよりは、独善的で幼稚な思考の印象が強い。

“小室夫妻の結婚と保守論壇” の続きを読む